「存在するだけでうれしい」ということを忘れない
3児の母で会社員、ももです。
我が子が生まれた瞬間、わたしたちは生まれてきてくれたことをただ喜んでいました。
目を開けたとき、授乳ができたとき、ニコッと笑ったとき、立ち上がったとき、歩き出したとき……
新しいことをできるようになるたびに、その行動を喜びました。
それはいつしかそれはあたりまえのこととなり、いちいち喜ぶことはなくなります。
でも、それでいいんでしょうか。
どんな些細な行動も、昔と同じように喜んでいいと思うのです。
「存在するだけでうれしい」ということを、忘れてはいけないと思うのです。
「そういえば今日、ぐずらなかった」
先日、3人の子どもたちと一緒にイベントに参加しました。
親も子もそれぞれに楽しめる内容で、たっぷりと遊んだ帰り道、ふと気づいたんです。
「そういえば今日、誰もぐずらなかったな」と。
たくさん動いて、大人のわたしでさえ途中から疲れていたので、子どもたちはクタクタだったはず。
けれど、「疲れた」「帰りたい」「抱っこ」なんて言葉は一度も出てきませんでした。
それどころか、1日通して楽しそうにしていて、母を呼ぶこともなく自分から積極的に企画に参加していました。
いままででは考えられないくらい、楽しいままイベントが終わったのです。
「デフォルト」の状態にはなかなか気づかない
子どもたちがぐずらないこと。
それはわたしたちが「デフォルト」だと、そうあってほしいと思っている状態です。
ぐずったときには「ああ、また」と意識しますが、ぐずらなかったときは何とも感じないんですよね。
これってなんだか、もったいないと思いませんか?
あたりまえにできていてほしいことを、あたりまえにできていること。
これって決してあたりまえではなくて、素晴らしいことです。
「あたりまえ」のことに感謝してみる
こうしたことに普段から気づき感謝できたら良いのですが、なかなかそうもいきませんよね。
だからあえて、「あたりまえ」のことを毎日いくつか取り出して、しみじみ味わってみることにしています。
今日も元気に学校に行って帰ってきた、ニコニコ楽しそうに笑っている、ごはんを食べている、触れることができる、そこに存在している……。
それだけでじんわりと幸せを感じることができ、なかなか良い習慣だなぁと思っているので、ご紹介させていただきました。
おわりに
あたりまえにそこにあることは、実はあたりまえではありません。
あえて「あたりまえ」のことを取り出して感謝してみる、ということを続けていると、「あたりまえの幸せ」をすぐ思い出す力も育つように思います。
子どもへの愛情も再認識でき、そして自分がいかに幸せかということにも気付かされるんですよね。
温かい気持ちを、ぜひ味わってみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
