価値観の違いは受け入れなくていい
3児の母で会社員、ももです。
「お互いの価値観を認め合いましょう」
この言葉に違和感を覚えたことはあるでしょうか?
「認め合う」という言葉は、人によってとらえ方が違うように思います。
解釈によってはわたしたちを苦しめるこのメッセージを、いったん自分なりに整理しておいた方がよさそうです。
わたしはこう思うのです。
価値観の違いに苦しむなら、その違いは受け入れなくていい、と。
価値観の違いを目の当たりにした瞬間
ここ最近で、価値観が自分とまるで違う人と立て続けに関わることがありました。
やり取りをしている最中で、わたしも自分の考えを述べました。
しかし相手は、いったん受け取りながらも、「でも」と自分の思想の正当性を主張するばかり。
こういうとき、ある瞬間に悟るものですね。
「あ、これ以上は話しても無駄だ」と。
自分と違う価値観は「知る」だけでいい
価値観は、自分の根っこの部分に紐づいています。
同じ人間が誰ひとりいないように、同じ価値観など存在しないということ。
それが事実です。
わかり合うだとか、歩み寄るだとか、そういう次元にあるものではないのです。
ただ単に、わたしと他者との価値観が違うということを「知る」だけ。
批判も批評もせず、もちろん無理に理解しようとすることもなく、ただそれを確かめるだけでいいんです。
価値観は受け入れなくていい
自分とは違った価値観を、おもしろがることができればいいですが、拒絶反応を示すことがほとんどではないでしょうか。
受け入れがたく、それは違うんじゃないかと言いたい、言ってしまう。
あるいは、相手を理解するために歩み寄れないだろうかと試みてみる。
こうしたことは、良い結果をもたらさず、ただ疲弊するだけです。
相手の思想が強ければ強いほど。
わたしがあの人の考えに疑問を持つのと同じように、あの人もわたしの考えを受け入れることができないのです。
それでいいんです。
だってみんな、違った価値観を持って生きているのだから。
生き方に正解はない
わたしたちはそれぞれに固有の価値観を持っていて、それに正解や不正解はありません。
たとえばどんなに過激な思想でも、その人にとっては正義なのです。
そしてその思想自体は、誰にも批判することができません。
受け入れがたい価値観に出合うと戸惑い、憤りを感じることもあるでしょう。
けれどどんな価値観を持って生きるかは自由。
ただ、自分と違った価値観がそこにあるというだけです。
価値観を認め合うということ
「価値観を認め合う」とは、歩み寄りでもなんでもなくて、ただ違う価値観を「知る」ということなのではないでしょうか。
無理に理解しようとすることではありません。
そのことを苦しみ、なんとかしようと力を注ぐより、自分や他者の価値観を深く知ってみることに意識を向けてみましょう。
余裕があれば、この人はどんな背景を持っていて、どんな思いでそう言っているのだろう?と考えてみると、新しい発見があるかもしれませんね。
さあ、このわたしの「価値観」、あなたはどう思いますか?
やはり歩み寄りは必要だと思われるでしょうか。
過激な価値観は是正されるべきでしょうか。
何かを考えるきっかけになればうれしいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
