【語源】日本釈名 (9) 地名(大和・河内・山城・和泉・摂津・志摩・伊勢)

大和
「やまと」の訓。山迹、山止、山戸。古人、此三説あり。

「山迹」とは、上古には人山にすみて、往来の跡おほければ、「やまあと」ゝ云意。「山止」とは、上古に人山にとゝまりすみし故也。「山戸」は、山にすみて、戸ありし故也。
篤信おもへらく、古人の説は、後人まことにみだりに議すべからず。されど、此三説、皆みだりにおしはかりて、附會せるやうに聞え侍べれば、信用しがたし。神武帝の日向より東征し給ふ時、先難波より枚方にのぼらせ給ひ、それよりいこま山をこえて大和に入給ふ。膽駒山の外にある国なる故に、山外と云。「と」は、外也。淀河の内にある国を河内と云。山外とは、河内に對して名づけけらし。又、いこま山のうしろにある故、山背と云。うしろは北也。
「やまと」を日本の惣名とせしは、大和国に都有しゆへ也。「しき嶋」に都ありしゆへ、日本の惣名を「敷嶋」と云しがごとし。もろこしに、此ためし多し。
山迹、山止、山戸の𦾔説は、日本の名を初より「やまと」ゝ云たるやうに聞え侍べる。「やまと」ゝは、はじめ大和一国にかぎりて名付し名なり。はじめより日本の惣名とせしにはあらず。大和に都たちしゆへ、後にやまとを日本の惣名とせし也。
山にすみて、人のあと有し事、又、山にとゞまりし事、山に斗ありし事は、いづれの国も同じかるべければ、大和にかぎるべからず。是を以て大和の国に名付がたし。
※ 「篤信」は、『日本釈名』の著者、貝原益軒の名。
※ 「もろこし」は、唐土。
※ 「惣名」は、総称のこと。
※ 「𦾔説」は、旧説。

河内
右に見えたり。
山城
「山しろ」と名付し事、右にしるせり。はじめは「山背」とかきしを、延暦十三年の 詔 に此国の形勝山川襟帯して、自然に城をなす故に「山背」をあらためて「山城」とかけり。『日本後紀』に出たり。
※ 「形勝」は、敵を防ぐのに都合のよい地形のこと。要害。
※ 「襟帯」は、山や川に囲まれて、敵の攻撃を受けにくい要害の地のこと。
和泉
いづみの国府に、清きいづみ有。神功皇后、新羅を征し給ふ時、此泉わきいづ。是によりて、いづみと名づけし由、和泉の国府ノ明神の記に見えたり。和泉は、郡の名也。郡の名を以て、国に名づけたり。此例猶あり。
摂 津
此国に津ある故、津ノ国と云ふ。後に、摂津職を被 置。ふるきによりて、摂津国とかきて、津の国とよむ。「せつしん」とも「せつつ」とも称せず。
志摩
此国は、伊勢の出崎にて、海中に出て、嶋の如なる故に名づく。
伊勢
むかし、伊勢津彦の領し給ひし国なる故に名づく。『風土記』に見えたり。
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