【観音霊験記 西国巡礼】第二十五番播州新清水寺/赤松氏範

『観音霊験記 西国巡礼二十五番播州新清水寺 赤松氏範』

觀音靈驗記 西國順禮二十五番 播州新清水寺
あはれみや あまねきかどに しな/\の
何をがな見に こゝにきよ水
※ 「あはれみやあまねきかどにしな/\の」は、愍みや普き門に品々の。
※ 「何をがな見に」は、何をか浪の という意味であるようです。参考:『西国三十三所御詠歌講話』(国立国会図書館デジタルコレクション)

赤松氏範
當山は法道仙人の開基にして、堅固の灵場なり。金堂は推古帝、講堂は聖武帝、薬師堂は池二位殿、大塔は祇園女御、阿弥陀堂は頼朝公の御建立にて、則、金輪聖王、天下安全の御祈願所なれば、晝夜の勤行怠ることなく、又、灵驗もあらたかなり。
※ 「法道仙人」は、天竺の霊鷲山の五百の持明金剛摩尼法を修めた仙人の一人。参考:『本朝人物叢伝(法道仙人)』『大日本人名辞書 明治19年4月(ホフダウセンニン)』『魔術と催眠術(法道仙人)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「灵場」は、霊場。
※ 「池二位殿」は、平安時代末期の女性。平清盛の継室、平時子。二条天皇の乳母。
※ 「祇園女御」は、白河法皇から寵愛を受けた女性。白河殿。
※ 「金輪聖王」は、須弥山の四州を統治する王のこと。参考:『大日本国語辞典 巻2(金輪聖王)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「晝夜」は、昼夜。
※ 「灵驗」は、霊験。

赤松氏範、前関白師基と吉野にて打負、身に數ヶ所の疵をうけて、當国に皈り、義詮に降りしが、其後、清水に戦ひて、終に自殺す。歳五十七。
家臣 伊藤民部、今村五郎、乙若丸を助けて、薩刕へ走る時、ふかく此尊像を祈りて、敵の危難をまぬかれたるとなり。
※ 「赤松氏範」は、南北時代の南朝方の武将 赤松氏範(氏則)。播磨国守護の赤松則村(円心)の四男。
※ 「前関白師基」は、南北朝時代の公卿、二条師基。南朝に仕え、正平六年に関白となっています。
※ 「義詮」は、足利義詮。
※ 「乙若丸」は、赤松則村の子、当時十三歳。参考:『系図綜覧 第一(岡本系図)』『史籍集覧 第4冊 第4冊』『大日本人名辞書 上 訂補2版(赤松氏範)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「薩刕」は、薩州。薩摩国のこと。

※ 参考:『西国・秩父・坂東百観音霊験廻拝記』『西国三拾三所観音霊験記図会』『西国三拾三所観音霊験記図会』『西国三拾三所観音霊験記図会』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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