【西遊旅譚/司馬江漢】(8)岩国を発し長府に至る
『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。
📖

九月廿七日、岩國を發して、山中に入。程なく、海邊に出。大賀岬と云なり。向に、萩島、八代島、柱しま、其外、小島数々見ゆる。此ところ、蜃樓見ゆる所なり。
漁夫(りやうし)に尋ねける時に、此日 天気よく至て長閑にして、春三月比の如し。島々は空に浮びたる様に見ゆるうち、程なく八代島、霞を帯て、かくれければ、其霞中に山に松などの象あらはれける。漁父の曰、「是則蜃気楼なり」と。やゝ見えてやみぬ。秋起事、稀也。
扨、蜃気は、島々かくれて其うちに樓臺竹林の類あらはれ、段々こなたの島の方へうつりて、あとはもとの嶋となる也。自 夫(それより)、由と云所を過て、大畠にいたる。此路、海邊にして島々多く見ゆ。前島わたり一里、大島わたり十里、小鳥島、小黒島、小新五郎(是は小嶋也)、及島の数、二百余有よし。諸邉、岩石多し。風景佳。七里、皆砂濱也。
大畠の瀬戸山上より見る。両山高く、其山間僅三四町ほどに見ゆる。海中岩石ぬけ出、潮の流 急也。夫より山を下りて、大畠村にいる。此邊、旅客の通行絶てなき所也。ほどなく柳井津村に宿す。市街(まち)、瓦屋。岩國の領地なり。
廿八日、柳井津を出て行事 一里半、多武瀬村を過、鵜市と云所、人家有。紺屋多し。布をさらす。それより國木。
※ 「扨」は、さて。
※ 「八代島」は、山口県の屋代島(周防大島)。周防大島諸島のひとつ。
※ 「柱しま」は、柱島。忽那諸島(忽那七島)のひとつ。
※ 「樓臺」は、楼台。高い建物のこと。
※ 「夫より」は、それより。
※ 「紺屋」は、藍で布を染める染物屋。

山を越、其峠、防州、長洲の境なり。室積と云所、山上より望む。佳景也。山を下りて、人家千餘軒有よし。はなはだの邉鄙にて食店(ちやや)なし。こゝを過て、松原二里、漸 島田といへる一村に至る。旅館(はたごや)なし。農夫の舎に宿す。
九月廿九日、朝速 出足して、河をこえて濱邊松原を行事 半里余、皆砂地なり。又、海㟁に大石よこたはり、或、斜となりたるを飛越て通路にて、漸、戸永と云所にいたる。塩濱あり。人家を見る。毛利■(■は厃+天)徳山の領地也。ほどなく戸石と云に出。此處より往来なり。
※ 「防州」は、周防国。
※ 「長洲」は、長門国。
※ 「毛利■」は、毛利矦(侯)。徳山藩(長州藩の支藩)の藩主。

瀬の満るに正に急流にして
舩はしる事 矢のごとし
※ 「満る」は、誤読しているかもしれません。

豊後山

扨、徳山に至る。是迄四里、福川より行事 二里半、冨海に宿す。冨海を發して行事 二里半、宮市。此所、人家つゝけり。佐波川を渡り、右の方、山間に入、萩路也。毛利■(■は厃+天)三十万石の城下なり。
岩渕峠、佐野峠有(佐野焼とて火鉢、壺の類をやく)。行事 七里、山中といへる所に一宿す。山中をつとふ。發して行事 二里半、二股瀬川をわたり、吉見村新道峠有。舩木にいたる。人家つゝく。冨商有。此邊總て、家ごとに石炭を焚。途中はなはだ臭し。又、煙多し。備前よりも出る。山腰を堀出す。石にして炭なり。
扨、行事 七里。長府にいたる。そのあいだ、あさ川、蓮臺寺坂、吉田川有。岩國より此邊まで黄櫨の樹を植て、紅葉 如 花ノ。
※ 「蓮臺寺坂」は、蓮台寺坂。
※ 「黄櫨」は、ハゼノキのこと。
※ 「紅葉 如 花ノ」は、紅葉 花のごとし。
参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
● は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
