【生月島捕鯨】勇魚取絵詞(2)生月御崎沖 座頭子持鯨 剣切図
『勇魚取絵詞』は、江戸時代後期の肥前国松浦郡生月島での捕鯨の様子を記した書物です。国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されている『勇魚取絵詞(全三巻)』をコツコツ読んでいきたいと思います。絵も文字もとても美しい作品です。
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生月御崎沖 座頭子持鯨 剣切 圖

鯨は、子をおもふ情深く、就中、座頭鯨は最切也。
子持、綱にかゝれる時は、先、子に万一本突立、かぐひ、綱もて舩に繋留るなり。かくすれば、親鯨、綱を遁れて、二三里許隔るとも必立帰り、子のうなる声を聞、傍をはなれず、鰭にて繋縄を打切んとする中、又、綱を張廻し、驅寄て、捕得る也。
若、再、綱を逃ることありとも、子 死ざるほどは、幾度も立帰て救んとす。其死了たるを知れば、思切て打捨逃なり。
※ 「圖」は、図。
※ 「鰭」の読み「たつは」は、太羽。鯨の鰭のこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『勇魚取絵詞 [1]』
又、挟子とて、雌雄の間に子を連たるあり。漁人これを見れば、先、子に銛を突に、息弱りて、とても助らじとしれば、雄は見捨て去れども、雌は、なを鰭の上に載て、憐いとふさま、「焼野の雉子 夜の鶴」のためしも思ひあわされぬ。
※ 「いとふ」は、厭ふ。ここでは、いたわり大事にする意。
※ 「焼野の雉子 夜の鶴」は、切ないほどに親が子を思うことの喩え。

又、兒鯨の子持は、性荒くして、綱を損ゆへ、銛而已にてまつ。
その子を突、次に親を突に、いみじく狂廻るを、數艘の舩追かけ、万を突立る也。此時、親児鯨は舩を子とまがへ、子児鯨は舩を親とまがへて、舩底より突觸、舩おほく毀ることあり。
※ 「まがへ」は、紛え。取り違えてという意。

さて、剱切するに(剣切のことは、已に上の段にいへり)肥たる魚には、百余処も突き、痩魚はニ三本にて死するもあり。死了れば、やがて「沈鯨」となりて、人力に浮揚がたきゆゑ、半死半生の時、羽指一人、手形切包丁を執て、鯨の頭上に飛乗、その運動隨に、浮沈して、潮吹鼻の障子を切穿也。
※ 「已に」は、すでに。
※ 「沈鯨」 参考:『いさなとり 後編』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「鼻の障子」は、鼻中隔のこと。鼻腔を左右に仕切るところ。


これを切穿了て、包丁を頭上に指上、合圖とすれば、又、一人の羽指、手に障子釣の綱を持、海中に飛入、切穿たる手形の穴に綱を引通し、帰舩に繋留る也。
此「沈鯨」にならざる間の塩合を見を肝要と云り。

※ 参考
「ライノ鳥」について、司馬江漢が生月島でスケッチを残しています。

ライ鳥
此鳥、常に不 レ見。鯨漁の節、いづくより来り。鯨の肉を喰ふ事、かぎりをしらず。鷗に似て、大さ白鳥の如し。阜にあがりては歩事あらず。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]』
※ 参考:『日本科学古典全書 第11巻 第3部』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 「■(金+守)」という漢字を、「銛」として記載しています。
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