【語源】日本釈名 (11) 地名(壱岐・対馬・敷島・奈良・太秦・筑紫)

壱岐
「ゆき」なり。「い」と「ゆ」と通ず。浪高くして、潮の白き事、雪のごとし。是、古人の説也。
對馬
海中にありて、日本より新羅に渡る「津」ある故に名づく。「津ある嶋」也。對馬と書くは、韓に對する意にや。
※ 「津」は、船が停泊する所、港の意。
※ 「對する」は、対する。
磁磯嶋
日本の惣名也。昔、大和にしき嶋の都あり。崇神天皇、欽明天皇の住給ひし都也。故に、都の名を以て日本の惣名とせしなり。やまとに都有て、日本を「大和」と云がごとし。もろこしの名も、其代によりてかはるは、皆其都の地の名を以て、惣国の名とせし也。敷嶋の都のあとは、長谷の谷口ひろき所、慈恩寺村の下五六町にあり。しば原、少残れり。
※ 「磁磯嶋」は、敷島。崇神天皇・欽明天皇が都を置いた大和国磯城郡の地名(現在の奈良県桜井市)。
※ 「惣名」は、総称のこと。
※ 「其代によりてかはる」は、その代によりて変わる。
※ 「慈恩寺村」は、現在の奈良県桜井市大字慈恩寺村大字。
長谷
大和の名所也。仙覚が曰、ながくせばしと云詞也。しかるを、「はつせ」といへり。「つ」は詞の助也。泊瀬とかけるは、其訓當る故、書也。假名也。
篤信おもふに、「はせ」の「は」は「はるかなる」意。「はるかなる」は長き也。はせの谷は、はるかに長くしてせばし。「隠口のはつせ」と云へるは、長谷はおくまがりて、口よりはこもりて見えざる也。
※ 「仙覚」は、鎌倉時代の万葉学者。
※ 「篤信」は、『日本釈名』の著者、貝原益軒の名。
※ 「隠口」は、泊瀬にかかる枕詞。「く」は所という意。

奈良
崇神天皇の御時、反人 埴安彦をうち給ふ時、官軍あつまりて、なら山をふみならしたる故に「なら」と名づく。故に「平城」とかきて「なら」とよむ。
※ 「反人」は、悪者のこと。
太秦
応神天皇の御世、もろこしより秦氏、漢氏来りて、はたおる事を事とす。朝廷より城州うづまさを給ふ。「うづまさ」と名付し意は、かいこの糸をうみ入ておくに次第にうづみまさるほどに「うづまさ」と云なり。此地に、秦始皇の廟を立る。故に「大」の字をくはへて「大秦」とかくなり。又、『姓氏録』に曰、雄略天皇、使を遣し、得 秦氏 云々。
爰率 秦氏、養 蚕、織 絹 詣 闕、
貢 ノ 進 ズルコト 如 丘、如 山。
積 畜 朝廷 天皇 嘉 之。
特 降 寵命 賜 号 曰 「宇都萬佐」ト 。
是 盈積 有 利益 之義。
又、『古語拾遺』に「うつまさ」の姓の事あり。
※ 「城州」は、山城国のこと。
※ 「姓氏録」は、平安時代前期の系譜書『新撰姓氏録』のこと。参考:『新撰姓氏録抄』『訂正新撰姓氏録 3巻目録1巻【全号まとめ】』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「古語拾遺」は、平安時代に編纂された神道資料。参考:『古語拾遺』『古語拾遺節解:4巻【全号まとめ】』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筑紫
『筑後国風土記』に「つくし」に四義あり。一義は、其国の形「木兎」に似たる故也。其餘の三義は、皆「尽」の意。『詞林采葉抄』曰、凡、九州を「つくし」と名づくるは、此島の形「木兎」に似たり。「紫」は「島」と云詞也。よつて「つくしま」と云也。『萬葉仙覚抄』の意も亦同じ。
※ 「木兎」は、みみずくの古名。
※ 「其餘」は、そのほか。
※ 参考:『古事類苑 第3冊(筑紫)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「詞林采葉抄」は、南北朝時代に編纂された『万葉集』の注釈書。参考:『詞林采葉抄』(国立公文書館デジタルアーカイブ)
※ 「と云詞也」は、という詞なり。
※ 「萬葉仙覚抄」は、『万葉集註釈(仙覚抄)』のこと。参考:『萬葉集註釋 20巻【全号まとめ】』(国立国会図書館デジタルコレクション)

篤信おもへらく、九州のかたち「木兎」に似たれば、九州をすべて「つくし」と名付しとはいふかし。
「筑紫」とは、はじめ「筑前」「筑後」一国なりし時、一国にかぎりて名付し名なれば、はじめより九州に名づけし名にはあらず。後に、筑前に大宰府立し故に、官府ある国をとりて、九州をすべて「筑紫」といへる也。又、此嶋のかたち「木兎」に似たりと云事、しかるべしとも思ひ侍らず。
今、九州の惣国を見るに、木兎に似たりとも見えず。古人の説は、さだめて道理あるべし。されども、今わが浅見よりみれば、是、其義を得ずして、みだりにつくり出せし詞のやうに聞え侍べる。
ひそかにおもふに、いにしへ異国より賊兵の襲来るをふせがんとて、筑前の北海の濱に石垣を多くつかせらる。其故に「つく石」といへる意なるを略して「つくし」と云なるべし。
雜書の説に、上古の時、西の藩の国より度々日本を攻し事有。其後、仲哀帝も異国より来りし賊の流矢にあたりて崩じ給ふといへり。
※ 「雜書」は、雑書。

菅丞相の哥に
筑崎や 千代の松原 いしだゝみ
くずれん世まで 君はましませ
※ 「哥」は、歌。
※ 「菅丞相」は、菅原道真のこと。
是、いにしへ、ちくぜんの海辺、箱崎博多のあたりにいしがき有し証なり。
近代、亀山・後宇多の御時、蒙古の賊兵多く攻来りしに、博多の濱十三里に石垣をつきし事は、上代より有し石垣を修補したる也。此時、はじめてつきたるにはあらず。
鎌倉の北条家より筑前の太宰少貮に書をつかはして、昔より有し石垣を修復すべき由を附せし証文ありし由きこゆ。其石垣は、博多の西に今に處々わずかにのこれり。
むかし「筑前」「筑後」一国にて、これを「筑紫」と云。後にわかれて、「筑前」「筑後」となる。「つく」「ちく」音通ず。且、「つく」は訓なれど「筑」に「ちく」の音あり。筑前大宰府に官府有しゆへに、九州をすべて「筑紫」と名づけし事、大和に都ありし故 大和を日本の惣名とせしがごとし。
又、筑前の国に「筑紫」と云所有、大宰府に近し。古、此所に大宰府ありし故、九州の惣名とせしにや。されども「筑石」の説よくかなひ侍べる。是、古人をそしりて、わが説を立んとにはあらず。愚見をしるして識者の訂正をまつのみ。
※ 「少貮」は、中世の北九州の豪族。少弐氏。
※ 参考:『古事類苑 第4冊(筑前国風土記)』
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