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【西遊旅譚/司馬江漢】(2)江尻宿から掛川、御油へ

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

江尻えじりえきより一里餘。右の方、山中に庵原ゆはらと云所有。庵原河流て、往来へ出る。其河原に至れば、北瀧きたたきなづく 飛泉ひせんあり。岩石かんぜきめぐて流るゝ瀧也。はなはだの山林にして、人物皆 太布たふきる(太布はしなと云る木の皮を以て製す)。

駿府すんぷ 町数九十六町有。皆、板屋作いたやつくり。御城は、往来の右にあり。四面山めたりて、気候きこう不順さだまらず夏月かげつたちまち  へんじて冷気れいきとなる。土俗どぞくいはく、冨士山より冷際れいさいの風を吹落ふきおろす ゆへなりと。

※ 「江尻えじりえき」は、東海道五十三次の十八番目の宿場、江尻宿えじりしゅく
※ 「めたりて」は、誤読しているかもしれません。
※ 「土俗どぞく」は、その土地の住民のこと。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

久能寺観音山より冨嶽を望圖
昔雪舟遊于支那而所 圖富嶽景何乎望無知
者余登於駿陽矢部補 陀落山上始観之
寛政巳酉春三月三日 寫於平安客館乃入 天覽

※ 「圖」は、図。
※ 参考:『名品綜覧:東洋芸術 第1集 第1編』(国立国会図書館デジタルコレクション)

伊豆天城山 鶴巻山 鷲頭山 箱根山
二子山 足柄山 足高山 観音山 観音山
清水町湊
薩埵山 清見寺山


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

八部龍華寺りうげじあり。えん中に、大ソテ鐵おほそてつ覇王樹さぼてんはなはだ  大樹たいじゆにして、そのころはな有。龍華寺を下りて、程なく久能寺有(久能山にあらず別なり、江尻海て)。石階いしざかをのぼりて、観音堂に至り、眺望てうぼうする所、眼下がんかに清水のみなと人家じんかせん餘軒よけんあり。

覇王樹花 花の色 カバ黄
同全圖

清水川ながれ出て、蒼海中さうかいのうち三穂みほの松原、正面に冨士ふじを望む。九難坂、薩埵峠さつたたうげ油井ゆい沖津おきつ江尻えじり、清見寺、山 右の足高山、足柄山、箱根山、二子山、伊豆、鶴巻山、鷲頭山、天城山、見えて日本第一の風景ふうけいなり。

遠州 掛川のゑきより秋葉山にゆく。二里山路やまぢを過て、川をわたり、又ゆく事 二里。川を越て森宿有(冨商あり、茶師多し)。夫より行事 三里。一瀬いちのせと云所にいたる。此間、川を越る事、四十八瀬なり。是よりふもとまで三里有。ふもとの前に、瑞雲ずいうん坂を下り瑞雲寺ずいうんじ有。夫より小天龍川、舟渡ふなわたし

扨、掛川をいつて、山々やま/\みな大木多し。松杉の類也。山、もつとも  たかしふもとより山にのぼる事 五十町。唐銅の鳥居あり。がくに 金明嶺きんめうれい、山門に㝡勝関さいしやうくはん、本堂に大登山だいとうざんと有。堂は、南面なんめん(みなみむき)本尊ほんぞんくはん音を安置あんちす。鎮守ちんじゆ南向觀現の社有。寺は禅宗ぜんしう秋葉寺と云。是より三河國、鳳来寺ほうらいじにゆくみち也。すなはち、寺のうしろの方、さかを下る事 五十町。戸倉とくらと云所に至る。山坂多し。半里はんり過て犀河さいかは、舟渡。天龍てんりう川のみなもと也。このへんすべて米なし。いもひゑを|《しよく》食す。

※ 「 掛川のえき」は、東海道五十三次の二十六番目の宿場、掛川宿かけがわしゅく
※ 「夫より」は、それより。
※ 「扨」は、さて。
※ 「㝡勝関さいしやうくはん」は、最勝関さいしょうかん


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

海なくして、しほ得がたし。はなはだ  の深山しんざんにして、猿、猪、多し。夫より、石打へ一里、熊村へ二里。このへんまことに、山林さんりん幽巌ゆうがん人𤇆じんえん寂寞せきばくとして、おそろしき地なり。婦人ふじんは、旅客りよかく荷物にもつをひて、ちんとる男子だんしといふとも、うみを不 見(みず)。平地に人家じんか並立ならびたつ を見たる事なしと。

※ 「人𤇆じんえん」は、人煙じんえん。人家のかまどの煙のこと。人の気配。

庵原 深山の婦女

扨、熊村より行事 一里半。加宇連かうれ峠に至り、又、ゆくこと  一里半、巢山すやま村。此間、座頭轉ざたうころばしと云峠あり。遠州と三河の堺の峠をこへあるひは、四十四まがり坂をくだり、大野まで一里半。此間、まことに深山也。

大野は市街しがい(いちまち)商家しやうか(あきびとや)多し。夫より、板敷いたじき川をわたる。川の底岩そこいは 板(いたのごとし)。ゆへなづくと。程なく、鳳莱ほうらいふもとより、五十町山にのぼるに、行者越げうじやこえといふ所、一町余のぼるに、皆 巌石がんぜきよぢ絶頂ぜつてういたる。

遠州えんしううみはるかに見えて、山々  つらなり  てなみの如し。こゝを過て、三四町山をくだりて、石階いしざかの上に権現のほこら有。階下さかのした薬師堂なり。末社まつしや、本堂のうしろに多し。左の方、岩にそふてたう有。夫より石階いしざかを下る事、九町。其なかばに十二ぼう天台てんだい真言しんごん二派には有。學頭がくたう、天台に松髙院しいやうかうゐん、真言に醫王院ゐわうゐんの二坊也。

すなはち、下れば角屋町、旅館りよくはん(とまりや)多し。こゝを過て、瀧川へ出る。たにの間をながるる川也。舟にてわたる。銭龜村ぜにがめむら有。瀧川をめぐりて、しん城へ三里、冨商ふしやう多し。夫より野田へ二里十六町、大木おほき村へ三里、とよ川左にみえて、小奈髙戸こなかうとが原、家野ケ原、本野か原を過て、松原をゆく事 一里余、やうやく御油ごゆ往還わうくはんへ出る。

※ 「市街しがい(いちまち)」参考:『新撰字解(市街)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「御油ごゆ」は、東海道五十三次の三十五番目の宿場、御油宿ごゆしゅく


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [1]

熊村
此邊、農夫はいえを山のなかばに作事、漸一二軒。皆、山々につくりをつとむといへども、しゝさる、多くして、畑をあらす故に、めぐりに垣をむすぶ。圖する。谷ゝの小家は、猪番しゝばん小屋なり。日暮ひくれになりければ、此 熊村の庄屋しやうやの宅に宿す。夜ふけて、猪追声を聞。夏日といへども蚊なし。

鳳来寺の方 重山かぎりなく見ゆる


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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