【西遊旅譚/司馬江漢】(14)生月島にて鮪漁を見る
『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。
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十二月四日、朝風あり。城下より一里、山を越、薄香浦に至り、此浦より舟を出す。舟人五人にして櫓をおす。風有て波高し。故に、須草といふ所に舟を入。此所、鮪納屋一軒あり。其余人家なし。
又、鮪漁の舩に乗。生月島に渡る。海上三里、涛大にして舟中に入。衣服を絞。日暮、漸、生月島に着岸す。この島にとまる事。三十日也。

須草
此所は城下の後、田助の脇也。鮪納屋。

阿子貝の圖 真珠は此貝より出る
此邊の海中にあり。又、伊勢の海よりも出る。二見鳥羽の邊に多し。
アハビの如く光る
※ 「圖」は、図。

須草よりのり出したる圖。波高し。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]』

生月島の圖 亘三里あり。
此所より後、三崎と云所、鯨を解く所あり。
琵琶嶽 益冨が宅
※ 「益冨が宅」は、鯨師の益冨又左衛門の家。

松本の方 鯨見樓 鮪網


五日四時過より、孩子が嶽頂にのぼる。路、田夫の家あり。石を囲て壁となし、舎を作る。廿町登りて、絶頂に至。頂に遠見番人の曰「一年両三度に不過、西の方、暮色国を見る」といふ。即、支那の地也。

孩子が嶽に登。山中小童来る。圖の如し。

此邊、海中より龍の天に昇事有。龍昇んとするとき、海波雲珠の如く棬あがり、天よりは黒雲降、其雲波をはなるといへど、波高くなり次第に天上するを、鱏といへる魚の尾の如きもの雲の中よりさがる。即、龍の尾なり。故に、此島のもの龍の昇を見て「鱏の尾」と云ふ(漁夫、ヱイノウがのぼるといふ)。
八日、此島のうち、松本といへる所、鮪漁を見る。鮪は冬月山々の岸をむれてきたる。故に山の腰に網を布。一網に二三百、或、四五百、大漁のときは千も入よし。

鮪網の圖 地の方 沖の方
本網 起網(是は底なき網なり)
百廿尋 百八十尋 百八十尋 一尋は四尺に當
立櫓

鮪漁
鱐、又、タカマツ、鮪を喰んとして人を 不 恐、舟のきはまできたる。
氣を吹セイ 入勢


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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