【職人図鑑】彩画職人部類(8)織殿(おりどの)

織殿 をりとの
應神天皇三十七年の春、阿知使主、都加使主を呉國につかはし、縫工女をもとめ給ふ。兄媛、弟媛、呉織、穴織、四たりの婦来たれり。是、はじめなり。
金襴、 唐織は、京都西陣野本氏、俵屋何某が織出す所、はじめなりとぞ。
※ 「織殿」は、機を織る建物のこと。また、それを業にする者のこと。
※ 「阿知使主」は、応仁天皇に仕えた帰化人。あちのおみ。「あちしぬし」という読み方については、『摂北温泉誌』に同じ読みが見られます。
※ 「都加使主」は、阿知使主の子。つかのおみ。
※ 「四たり」は、四人。

阿知使主について
織縫の術は、漢人 阿知使主といへる人、これを吾国に伝来れり。阿知使主は、漢王の裔にして、漢亡びて、東北の辺境に遁れしが、其地、三韓に接しかば、其便を以て、応神帝二十年に、悉く、其十七縣の人民を率ゐて、帰化せり。其人民は、男女共に、皆才芸ありて、我邦の文明を益せしこと少なからず。
同帝、更に、阿知使主を呉に遣して、織縫の工人を求めしむ。後、数年を経て、織女四人を携へて、帰国せしが、応神帝崩御し給ひしかば、これを仁徳帝に上れり。これ、吾国織縫の開祖なり。
※ 参考:『祭 (日の国物語)綾阿知使主 』(国立国会図書館デジタルコレクション)
京都の織殿について
二条の北、皇居の西に織殿あり。西陣と称す。絹布の製造を以て著名なり。

京都西陣 野本氏・俵屋何某について

金襴唐織
金製西陣ノ人 倣テ 中華ノ之巧ニ 而金襴
(略)
金襴ハ 以テ 西陣野本氏ヲ 為ス 始ト
唐織ハ 以テ 俵屋ヲ 為ス 本ト
※ 参考:『古事類苑 産業部 第2冊(雍州府志)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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