【西遊旅譚/司馬江漢】(6)赤穂を発して岡山に至る
『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。
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八日、赤穂を發す。市街を過て山路に入、行事 三里。皆、山林にして路狭。其比、松茸多し。是を八木山越と云。片上に出る。即、往還也。是よりは備前国にて、印部村焼物有(備前焼是なり)。
かゝとと云る所、右の方に入事、半里。両山競て高。其山腰石を畳、穴有。上に草木を生し、穴庫の如し。此もの所々に有。樵者に是を問ば、塚と申ものにて何の時作たる哉。知者なし。此山の彼方に、二間、三間、又は五六間方なる塚、大石を以て畳てある物多し。|
惣《すべて》● 備前、備中の國内、古墳、陵の類多し。然ども、往古の事にて傳記なし。此奥十餘町に寺有。観音を安置す。飛泉を見。大路と云所なり。夫より四里過て、岡山に至る。城下、市街(まち)続て、冨人(とめるひと)多し。京橋あり。一二町を隔て二ツ懸る。茲に数日留る。
十一日、岡山を發て、行事 二里。備前、備中の境なる所に両国小一社づゝ吉備津の祠に釜有。初穂銀を納れば、火を焼。其釜、忽 鳴動する事、竒也。備前の方には其竒事なし。
※ 「往還」は、人々が行き来する主要な道路のこと。おうかん。
※ 「印部」は、伊部。
※ 「かゝと」は、『西遊日記』では「加加戸」と記されています。
※ 「傳記」は、伝記。
※ 「茲に」は、ここに。
※ 「竒事」は、奇事。珍しいこと。

祠も後世建たるよし。爰を過る事、二里。右の方に入。足守也。木下■(■は厃+天)二万五千石の領地にて、陣屋有。黒宮氏の庭中に、飛石は古 礎 を以てす。径二尺余。是は、備中足守賀陽郡溝手村賀陽寺の古跡より堀出す。千年を経るもの也。
※ 「木下■」は、木下矦(侯)。足守藩の藩主。

又、径尺五六寸余、生焼の壷有。同賀陽郡巌山下より堀出す。外に鬼面の瓦を見る。肉高にして、常に見ざる物也。領内、柏井と云所、足守より一里、田の中 丈四方 雪の不 積(つもらざる)所有。黒宮氏、發起して湯治場となせり。浴(ゆあみ)する者多し。
それより五六町を過て、中山といふ處あり。岩石数十丈畳て飛泉あり。又、鬼城といへる所、石を以て城の如くつくる。鬼の釜口、径八九尺あり。因幡の方へ十余里、鐘乳穴あり。穴中甚廣く、鍾乳石多し。

備中下道郡南山といふ所、古墳あり。河邊の驛より十二三町南に入。墳の高さ七間半許、登て上の廣き亘六間、中檀廣一間半に、周二百四十歩許溝有。深さ六七尺埋れて水なし。封●の高さ六尺、形櫃、周四百歩余、所々壷を置。その数、千もありしが、今は二十許残れりとなり。

壷の径八寸、高さ一尺二寸、如 圖、半に帯あり。素焼にして赤色なり。
※ 「如 圖」は、図の如く。

備中下道郡、二万里塚の圖
塚の前後左右、昔の塘と見えて、今は田となる。大墳、高八間、小墳高さ七間、小墳大墳に傍て穴あり。土崩て、穴の口廣さ六尺。二三十年、以前までは人這入しと云。傳へ聞に、穴の内平にして、凡十四五歩行ば、石門ありて、石の扉あり。それよりは底の方に穴ありて、入がたしといふ。上古の王■(■は厃+天)の墳なり。
※ 「傳へ聞」は、伝え聞く。

同山手村古墳あり。十五六間許。山に登て穴あり。二間ほど内に入て、八間四方天井石一枚にて畳。左右も一枚石也。穴中、高き事 七八尺。
是より國分寺へ五町あり。
※ 「内に」は、誤読しているかもしれません。
※ 「其比」は、そのころ。

参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
● は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
