見出し画像

東京名物百人一首(23) 絵はがき・上方屋/袋物商・玉寳堂/染浴衣・金屋竺仙/金物商・なごや商店

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

皇嘉門院別当
 ならぶ繪の 数種すしゆのはがきは 上方かみかた
   つくしてや かみゑらむべき

【元歌】
  難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ
    身を尽くしてや 恋ひわたるべき

※ 「繪」は、絵。
※ 「上方かみかたや」は、絵はがき販売で大成功した銀座の上方屋。
※ 「ゑらむ」は、えらむ(選ぶ)。

明治時代の後期、絵はがきが一大ブームになりました。そのきっかけは、明治三十三年(1900年)の私製はがきの認可と、それに続く日露戦争です。

当時の様子を以下に引用してみます(明治三十八年、日本葉書書交換会による文章です)。

絵葉書の流行
絵葉書は、最初消息文などを書かずに、絵を以て通信の意味を暗示したのであるから、書くことの流行し出したのは、最近の事実に嘱するのである。
  (略)
今日に至りては出版業者も絵葉書使用者も、趣味が向上したので、一組一円半位のものも、絵葉書屋の店頭に山をなして居る。文禄堂発売の透かし絵葉書などは、馬鹿に凝つたもので、亦感歎の声を禁ずる能はざる印刷意匠の精妙を極めて居る。此の外に上方屋などからも、随分逸品が発売される。

思ふに我国に絵葉書の流行し初めたのは、政府が私製葉書の通用を許したのに基くから、まだ両三年に過ぎぬのであるが、昨今の流行は、江河の堤防を缺潰して奔涛逆巻き走る、夫れにも似て非常の勢いを呈して居る。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『詩的新案絵はがきの栞』(明治38年)

美人絵はがきでも知られた上方屋は、上記出版と同じ年、差押え処分を受けています。その内容が興味深くて…  女子学生と男子が手を握っている様子ということに時代を感じました。👫🏻

明治三十八年四月二十五日 内務大臣子爵芳川顕正
内務省告示第七十八号
一 絵葉書(女学生風の婦人、男子と握手の状態を描く) 二種二枚
東京市京橋區銀座三丁目十五番地上方屋発行
右出版物は風俗を壊乱するものと認むるを以て、明治三十八年四月二十四日発売頒布禁示及刻版並印本差押の処分を為したり。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『法令全書 明治38年

※ 参考:『日本信用録 3版(前田喜兵衛 絵葉書 上方屋)』『絵画絵葉書類品附属品美術印刷製品仕入大観(美人絵葉書)』『日本ピグメント協会展覧会作品集 第3囘(自然に還れ)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

式子内親王
 たまの たうときたから ならぶるは
  不忍池しのばづいけの ほとりとも知る

【元歌】
  玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
    忍ぶることの 弱りもぞする

※ 「たまたうときたから」は、「玉」と「寶」で玉寳堂の隠喩になっています。袋物商で知られた宮内省御用達の老舗高級店です。

挿絵に描かれているのは、玉寳堂の金銀盃のしおりです。

金銀盃類
東京下谷池ノ端仲町
宮内省御用達  玉寳堂
電話 特 下谷 九六五番 一二四四番


日本の最上流社会に顧客を多く持つ玉寳堂は、宮内省御用達の老舗店というだけあって、日英同盟の際に皇室から英国王室へ贈られた花瓶を調えたり、皇居広場前にたつ楠木正成像の製作を請けたりしています。この二点をとっても、玉寳堂のブランド力がうかがえます。

貴金属及美術袋物商  玉寳堂
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『柳北全集
はこせこ 貴金属及美術袋物商  玉寳堂
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『円遊小さん落語集
懐中眼鏡 宮内省御用達 玉寳堂
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物志


庶民には手の届かない高嶺の華の玉寳堂は、このような漫画にもなっています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『漫画天地 (未醒漫画集 第2篇)

今の人の妻はその夫を三越、玉寳堂の支払のために駆使す。
今の世には貞夫ありて貞女なし

参考:『東京名物志(玉寳堂)』『東京勧業博覧会実記(玉寳堂)』『日英同盟』『二十世紀之東京 第4編下谷・浅草区(楠公肖像 池の端玉寳堂製作)(楠公の肖像)』『広告術(玉寳堂広告)』『東京横浜一週間案内』『妊婦必読安産の心得(玉寳堂)』『沖縄風俗図絵(玉寳堂)』『東京市有名実業家目録(玉寳堂 飯塚伊兵衛)』『日本現今人名辞典 訂正3版(飯塚伊兵衛)』『日本社会事彙 上巻 2版』『商店の研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

殷富門院大輔
 みせばやな 竺仙 意匠 染浴衣そめゆかた
   ぬれにしまゝの 色はかわらじ

【元歌】
  見せばやな 雄島の海人の 袖だにも
    濡れにぞ濡れし 色は変はらず

※ 「竺仙」は、天保年間に創業した浴衣の老舗呉服店。現在も日本橋に本店があり、営業を続けられています。Webサイト:株式会社竺仙

挿絵に描かれているのは、浴衣の染め模様です。

金家竺仙は、中形染物を以て有名なり。
花柳に及び、藝人社会に最も歓迎され、竺仙染といふて東京名物の一品也。

中形は 長板ながいた中形ちゅうがた のことで、染色技術のひとつ。浴衣地の藍染めに多く用いられた技法だそうです。

呉服 太物商  各色 友禅染
東京市淺草區北冨阪町十九番地
金屋 ● 竺仙分店  橋本英二郎

太物というのは綿や麻などの太い糸を使った織物のことで、絹織物の「呉服」に対して「太物」と呼ばれたそうです。

紙片に書かれている橋本英二郎の名は、金屋竺仙の創業者・橋本仙之助の二男です。「竺仙」は、仙之助の俳号が後に店名として通称されるようになったものだそうです。

参考:『東京名物志 改定増補(竺仙)(金屋分店)』『明治宝鑑(金屋 橋本仙之助)』『恩(金照院壽僊素行竺阿彌)』『各種専門五大老舗案内:一名・東京御買物食通案内(竺仙金屋)』『本邦侠客の研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

後京極摂政前太政大臣
 錐ゝきり/\す 名古屋このの うちものは
  しなもかたしく 光りかもねん

【元歌】
  きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
     衣かたしき ひとりかも寝む

※ 「うちもの」は、ここでは、打ち鍛えて作る鋳物いもののこと。

挿絵には、なごや商店のしおりが描かれています。

東京市日本橋區小網町壹丁目三番地
字 てりふり町
 なごや商店
  電話 浪花 八百五十七番

なごや商店は、元禄二年(1689年)創業の老舗の金物店です。屋号は、祖先が九州名護屋の出身であることに由来するようです。

錐(きり)と糸切りはさみ
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本鉄道線路案内記

参考:『東京案内(なごや商店)』『事業と人物(亀山久太郎君)』『日本優良商品文庫(家庭用高級は物となごや商店)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖