【古今名婦伝】祇園梶子(ぎおんのかぢこ)

祇園梶子
今よりは百五六十年の往昔、洛東祇園林において茶店を出し、梶子とて性質の都雅き女あり。幼年より歌をよく作、遠近の■客(■は馬+癶+虫)に賞翫されたり。一世の秀吟少からず。集めて一巻とし『梶葉』と■(■は号+乕)く。
就中逸たりとて、人口に鱠炙する夜霰を作る也。
雪ならば 梢にとめて あすや見ん
よるのあられの 音にのみして
此結句、さる人の刊行したる本には、音のみぞしてと、錯れり。かくては手尓遠波調ひがたし。
『崑山集』に
かぢの葉に かけ七夕の せんどう歌
※ 「■客」は、騒客。風流人のこと。
※ 「梶葉」は、祇園梶子の家集『梶の葉』。参考:『祇園三女歌集(梶の葉)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「■く」は、號く。
※ 「人口に鱠炙する」は、世間の人々に広く知られ、もてはやされること。
※ 「手尓遠波」は、てにをは。
※ 「崑山集」は、江戸時代初期に刊行された俳諧撰集。『崑山集. 巻第1-13,附録 / 良徳 編輯』(早稲田大学図書館古典籍総合データベース)
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梶子は、江戸時代中期を生きた女性です。

生没年不詳(江戸時代中期)
祇園林の茶店の娘で、生まれなどのは詳しいことは分かっていません。

幼い頃から歌が上手だった梶子。十四才の年の暮れに「歳暮恋」という題で詠んだ歌が秀逸であるとして、その名が知られるようになります。
「歳暮恋」という題にて
こひ/\て 今年もあだに 暮れにけり
涙の氷 あすやとけなむ
十代半ばで(数え十四才は現在の15~16才)この歌は大人顔負けの技量だと思います。師走の雰囲気や大人たちの機微を抜け目なくとらえています。
これには当時の人々も驚いたとことでしょう。生来の歌の才能に加え、祇園林の茶店で培われた人間の観察眼があってこそと思います。
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祇園林は、現在の八坂神社境内とその周辺の林を指します。当時は祇園社 感神院といいました。明治維新の神仏分離政策によって八坂神社になります。
梶子の茶店は、祇園社の表参道(下図右下の大鳥居)の辺りにあったとされています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『大日本名所図会』
梶子の茶店は多くの参詣客でにぎわったことでしょう。大坂の浮世絵師・長谷川定信の「祇園大鳥居」からも賑やかな表参道の様子が窺われます。

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「梶子」の名前は、梶の葉に由来します。

平安時代の古くより梶の葉は歌を書きつけるものとして使われてきました。
現代の私たちにとって七夕の願い事とえば紙の短冊ですが、江戸時代には梶の葉に書いたそうです。葉っぱの形を見ると、三十一の文字を書きつけるのにちょうどいい感じですね。
江戸時代中期に刊行された『宝永花洛細見図』の七夕行事に、子ども達が梶の葉に字を書いている様子が描かれています。

願い事を書いた梶の葉を川に流します。川辺まで文机を持ち出して来ているのは面白いと思いました。

また、京都の梶葉流しという行事では、このように大掛かりな梶の葉飾りもあったようです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『都名所図会 拾遺』
歌の上手な女の子が「梶」と呼ばれるのは自然だったのでしょうね。
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宝永四年(1707年)、梶子の歌は『梶の葉』家集として刊行されます。挿し絵を担当したのは友禅染めの考案者とされる扇絵師の宮崎友禅です。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『祇園三女歌集 』
梶子は養女をとり、百合子と名づけます。百合子もまた歌が上手で茶店を継ぎ、家集『さゆり葉』を刊行しています。
百合子は女の子を出産し、その子(町子)は後に南画の大家・池大雅の妻(玉瀾)となります。玉瀾も家集『白芙蓉』を刊行しています。
〔梶子の孫の玉瀾と池大雅〕

『先哲像伝 近世畸人伝 百家琦行伝 』
梶子から始まる祇園林の母娘三代は、京都祇園の文芸の中心のひとつだったのでしょうね。
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雪ならば 梢にとめて あすや見ん
よるのあられの 音にのみして
※ 参考:『近世畸人伝(祇園梶子)』『近世畸人伝 巻之1-5(祇園梶子)』『都名所図会 拾遺(梶)』『日本史伝文選 下巻(祇園梶子)』『逸話文庫:通俗教育 婦女の巻(祇園梶子)』『扶桑書画款印集覧(祇園梶子)』『名女伝(祇園梶子)(百合女)(玉瀾)』『新撰日本書画人名辞書 上 書家門(百合子)』『新撰浮世絵年表(梶の葉)(さゆり葉)』『近代科学の偉人(仁清と友禪)』『祇園三女歌集(梶の葉)(小百合葉)(白芙蓉)』『女流文学全集 第4巻(梶の葉)』『浮世絵と版画(宮崎友禅)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
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