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東京名物百人一首(24) 女芝居・岩井久米八/女優・川上貞奴/靖国神社・臨時大祭/浮世絵商・小林文七

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

二條院讃岐
 わざおきの 手振に見へて 女郎花おんなゑし
  人こそ知りし 岩井久米八

※ 「わざおき」は、役者のこと。参考:『広文庫 第20冊(わざをぎ)』『女単語編 1之巻(わざおき)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「女郎花おんなゑし」は、秋の七草のひとつ。おみなえし。
※ 「岩井久米八」は、明治時代に活躍した女芝居の役者。九代目市川團十郎の弟子になり「女団州」の異名をとったそうです。(団州は市川團十郎のこと)

【元歌】
  わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
    人こそ知らね かわく間もなし


岩井久米八は、女優老練家を以て東京名物の一人と衆人これを許す。


岩井久米八が登場した頃の雰囲気を、当時の小説から引用してみます。

十年前からして、女形をんながた は 婦人に勤めさするがい、男では ぜうも移らず、仕打しうちが行届かぬと云ふ所から、劇場でも一同が気をもんで改良説を唱え、トウ/\ 守旧論を打破うちやぶり、市川升之丞 や 岩井久米八を入れて、團十郎、菊五郎、左團次など云ふ 座頭株ざがしらかぶの相手を勤めさせる様になったる。以来このかたは、女優ぢよゆうも大に進んで来たが、マダ/\ 品格や気象が下流にみて十分ならぬところがある。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『もしや草紙 増訂

明治の文明開化により女性が芝居の舞台に立つようになりますが、その代表的な存在が岩井久米八くめはちと次に登場する川上貞奴さだやっこでした。


※ 参考:『人情学(市川久米八)』『現代人名辞典(市川月華丈)』『銀座秘録(築地講武所から海軍造兵)』『有美臭 続編(市川久米八)』『女哲学(傑物と変化)』『芸壇三百人評(市川久米八)』『舞踊の手ほどき』(国立国会図書館デジタルコレクション)



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

鎌倉右大臣
 世の中を つねに み居る 貞奴
   川上かわかみが つまで風呂敷

【元歌】
  世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
    海人の小舟の 綱手かなしも

※ 「貞奴」は、戦前の日本を代表する女優。
※ 「川上かわかみ」は、貞奴さだやっこの夫、川上音二郎おとじろうのこと。

挿絵には、欧米を巡演する貞奴の随筆文が描かれています。

御髪おぐしあらひについ御婦人ごふじんがたげる
 目下歐米漫遊中 新派女俳優 川上貞奴 述

日本にほんでも西洋せいやうでも御婦人ごふじんがた美容うつくしいのは、御髪おぐしつやく、たけながいのがだい一かとぞんじます。此かみつけち、また活潑くわつぱつ精神せいしんちますには、御髪おぐしあらこと御注ごちう意が肝要かんようかとおもひます。れをおこたりますと、毛穴けあなちりあかためふさがれ、つひふさぎ、ヒス テリー、 … おこします。わたくしは、先年せんねんおう  … 

貞奴は、明治三十二年(1899年)から明治三十三年(1900年)にかけて、夫の川上音二郎一座とともにアメリカ、イギリス、フランスで公演しており、この時の文章と思われます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『川上音二郎欧米漫遊記

※ 参考:『川上音二郎欧米漫遊記』『避暑漫遊旅行案内』(国立国会図書館デジタルコレクション)


先に登場した岩井久米八と貞奴は、女優として対で語られることも少なくなかったようです。大正時代の『女優論』から少し長くなりますが引用してみます。

川上貞奴は、其の夫 川上音二郎と共に現今の新女優の母として、たとへ彼女が芸が拙くとも、赤い信女が又孕むの失態を演じやうとも、兎に角忘るゝことの出来ぬむのである。彼女はもと葭町芸妓で、濱田家の奴といって居たことは皆人の知る処であるが、川上と一緒になったのは明治二十三年彼女が二十歳の時、爾来じらい 辣腕の川上と苦楽を共にして、幾度か洋行もした。彼女が初めて舞台に立つたのは三十二年の四月で、道成寺をやつたことである。其後四十一年五月三回目の洋行を終つて帰つてから、かねて希望の女優養成所を設立したが、のちこれを帝劇に譲つたので、今日の女優の卵は実に彼女が生んだのであつた。(略)

貞奴に対して、旧派の市川久米八も亦忘るべからざるものである。彼女は、故九代目市川團十郎の門人で、其の技芸の巧妙なることは当代の珍として称せられたものだ。然かも旧派でありながら、守住もりずみ月華げつくわと称して文士劇等の仲間へ入つて腕を振るつた。彼女は、天保五年神田豊島町に生れ、坂東ばんどう三枝みえ八に踊を学び、更に当時の名人阪東三津江みつえの門弟となり、半四郎の弟子となりて岩井いはゐくめ八と改め、次いで團州の門に入りて市川升之丞となり、一度破門されたが、のち再び帰参を許されて、久米くめ八と称するに至つた。團十郎張りの技芸の巧みさは人の知る処であらう。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『女優論



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

参議雅経
 御社みやしろの かみ御前みまいに 尊くぞ
  唐銅からかねたかく 鳥居とりゐたつなり

【元歌】
   み吉野の 山の秋風 さよ更けて
     ふるさと寒く 衣打つなり

※ 「鳥居とりゐ」は、靖国神社の鳥居を指しています。

挿絵に描かれているのは、明治二十年(1887年)に完成した靖国神社の第二鳥居と臨時大祭の参拝券です。

明治三十八年五月 三日  四日  五日
 靖國神社臨時大祭 參拜券

この臨時大祭は日露戦争で亡くなられた御霊の招魂祭で、陸軍では陸軍少将山本信行以下28,998人、海軍では海軍大佐佐伯誾以下1,886人の方が合祀仰出されたそうです。

一、 本券携帶ノ向ハ五月三日、四日、 五日午後三時ヨリ四時迄ノ間ニ於テ靖國神社舊競馬場西端受附ニ至リ掛リ員ノ誘導ニ依テ參拜ノコト
二、 參拜終レハ神酒ヲ供ス
三、 本券携帯者ハ余興中相撲及ヒ能樂所ヘハ隨意出入シ得
四、 本券ハ一枚一人ニ限ル

※ 「舊競馬場」は、旧競馬場。明治三年(1870年)から明治三十一年(1898年)まで靖国神社(当時は招魂社)内の境内にあった競馬場のこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
招魂社境内フランス曲馬図:Cirque Soulie

※ 参考:『征露戦史・日露戦役名誉亀鑑合本』『靖国神社事歴大要』『ダンスの栞』(国立国会図書館デジタルコレクション)靖国神社Webサイト「第二鳥居



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

前大僧正慈圓
 もうけづく 浮世うきよ繪高しく うれる也
   丹繪 うるし絵 墨摺の筆

【元歌】
  おほけなく 憂き世の民に おほふかな
    わが立つ杣に 墨染の袖

※ 「丹繪」は、墨摺すみずりに、朱色の丹を主に、緑や黄を筆で彩色した浮世絵のこと。丹絵たんえ

近年、江戸繪と称する古繪、非常なる聲價を博し、一葉の錦繪に数十圓を投じ、是を得る。就中、此賣買者の内、小林文七等を以て最も盛りなりとす。

※ 「江戸繪」「古繪」「錦繪」は、江戸絵、古絵、錦絵。
※ 「聲價」は、声価せいか。世間の評判のこと。
※ 「数十圓」は、数十円。
※ 「就中」は、なかんずく。
※ 「小林文七」は、浅草区駒形町に「蓬枢閣」という店を構えていた浮世絵商で、江戸時代の絵画・工芸に関する書籍を数多く出版しています。明治三十一年(1898年)に浮世絵歴史展覧会を催しており、その目録をアーネスト・フェノロサが書いています。


おいらん  春英画
※ 「春英」は 浮世絵師 勝川春英
春信画
※「春信」は 浮世絵師 鈴木春信

鈴木春信の美人画集『青楼美人合』に、この円の女性を探してみると、松葉屋のわかなとよく似ているように思います。帯の締め方は山紅葉でしょうか。

松葉屋 わかな
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『青楼美人合 第1冊
さゝきぬ 山紅葉
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『青楼美人合 第4冊

参考:『日本紳士録 第6版(小林文七)』『浮世絵展覧会目録』『浮世絵人物誌(鈴木春信)(勝川春英)』『浮世絵編年史(吾妻錦絵)』『日本絵類考:異本 巻1(吾妻錦絵)(鈴木春信)』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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