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【西遊旅譚/司馬江漢】(13)長崎より時津を経て平戸城下へ

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]

十一月十四日、長崎をはつして三里、時津ときつに至る。十五日朝、舩にのり、風雨波あらし。大村領龜浦かめがうらと云小島にかゝる。ほどなく舩を出して、又、小串をぐしと云る小島にかゝる(大串島有)。舩より出、海岸かいがん(あゆむ)す。皆、岩石がんぜき雲母うんもなり。其夜、大風雨にて、こゝはくす。

十六日、こく頃、舩を出して六里をはしる平戸領ひらどりやう 針尾瀬戸はりをのせとに至。右は大村領、左は平戸領なり。地の辨天べんてんおき● 天べんてんあり。此間、半里はんりほどうち入組いりくみ齟齬そごしてうしほ岩石がんがんふれ、波なくして皆雲珠捲うずまきをなす。あやまつ乗入のりいるれば、舩たちまちしづむと。又、海底かいてい岩石がんせきぬけ出たる所は、白波とんで、沸湯ほつたうの如し。うしほみちて舩を乗、干潮ひしほのらず 乗。

※ 「こく」は、午前十時頃。

向所は長崎の方なり
沖の弁天 地の弁天

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]
平戸城下 勝●山より眺たる圖

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]

※ 「圖」は、図。

山城 唐津カシゲ岳 黒子嶋弁天
幸橋石ナリ 市中
ムク嶋 呼コミサキ 小川シマ カクハラ

※ 「呼コミサキ」は「呼子岬」と思われるのですが、誤読しているかもしれません。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]

則、針尾はりをの瀬戸を越て、小鯛が浦と云小島に、七時過に舩をかける。又、ほどなく大鯛が浦に舩をとゝめて、其夜丑の刻頃、東風に帆をあげ、九十九島の間 うしくびなどいふ島を見てはしり、十七日 四時よつとき過に平戸島に着岸ちやくがんす。

※ 「丑の刻」は、深夜二時頃。

小鯛が浦の圖

扨、平戸ひらど城下廻船くわいせん十艘かゝり、しび(マグロ)(西国さいこく邊にては「シビ」と云、大坂にては「ハツ」といふ、江戸にて「マグロ」と云)をつみて、其舩おひ/\にはつして、冬月時雨しぐれの風雨にをはりて、玄界灘げんかいなだを過て、下の関にいたり、夫より防州すはうなだをこへて、阿波あは鳴門なると(瀬戸なり)をわたり、志摩しまの國鳥羽とばの浦より伊豆の東海をて、七八日にして江戸に来る由(小田原町より売出す)。

又、舩中とゞこふる㕝あれば、しほつける也。舩にかねし塩あり(鮪は伊豆にて秋ころ漁するものは三四尺のものなり、平戸にて五六尺、支那から南京なんきんにては丈余 甚毒あり)。

此島、暖土だんどにして、だい/\、ザボン(ダイ/\に十倍なり)多し。ゆきしもまれなり。あか大根だいこんあかかぶらあり。茶釜を不 見。土瓶どびんにてよきちやをいだす。茶うけ、蕪漬かぶらづけなり。冬月といへども食事しよくじ四度よたびにす。

※ 「扨」は、さて。
※ 「㕝」は、こと。
※ 「甚」は、はなはだ。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]

平戸城下、観音院くはんをんゐんの地内、つりかねあり。支那からより渡たると云。見るにしん支那物からものにして、播州ばんしう尾上おのへかねと同物なり。其かたはらに観音堂有。小松重盛の観音と云。又、阿部宗任むねとうが塚あり。

まへど和蘭オランダ及びイギリスなど、此島に船をつけしとぞ。かこみへい、今に有。● を畳てチヤンをぬると云。市街まちはし石を以てつくる事、長崎の如し(昔西洋ヲランダの人作たる今に有)。十一月廿三日、冬至とうじにて寺々の開基かいき支那僧たうそうなる故に、今に此日をまつる。その習、俗家ぞくかにおよび、餅等つきいはふ。

※ 「播州ばんしう」は、播磨国。
※ 「かたはらに」は、かたわらに。
※ 「小松重盛」は、平安時代末期の武将 平重盛たいらのしげもり。別名、小松殿こまつどの小松内府こまつのないふ
※ 「阿部宗任むねとう」は、平安時代中期の陸奥の豪族 安倍宗任あべのむねとうのことと思われます。
※ 「まへど」の読みは、誤読しているかもしれません。
※ 「チヤン」は、松脂まつやにと油を煉り合せた黒い顔料。

観音院地内鐘(つりかね)の圖
聖護院御願所平戸島観音院
奉施入鐘一口應永十二年未十二月日と彫てあり
天人樂器を鋳たり
阿蘭陀墻(へい)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]

平戸城下より一里北の方、白だけあり。行路坂をのぼり、山に入、しば生して、なし。馬のまきはなつ。白だけ絶頂ぜつてうより大島、宅島たくしま眼下がんかみいへはるか壹州いきのくに見へる。其とをきに對馬あり。あいだに小嶋二つ有。布太髪ふたかみと云。西北はるか朝鮮國てうせんごく、常に不 見。北より東の方斑島まだらしま(唐津の領地也)、西の方日本の地なし。支那海からのうみなり。西より南、生月島いきつきしまみえて、正南まみなみ安萬嶽やすまんだけ有。平戸第一の高山なり。夫よりたけを下り、田助浦たすけうらに至る。長崎より下関しものせきの方へ渡るに舩をかけるちまたなり。

方濟、日本房州に漂流する時、長崎まで返る。其●●を一軸に図す、其巻中に平戸田助の港に泊して舩中より望、山上より眺たるけいにして、図中に高く画くものは鮪樓なり。

※ 「壹州いきのくに」は、壱岐国。
※ 「對馬」は、対馬。
※ 「布太髪ふたかみ」は、二神島ふたがみしまのことと思われます。
※ 「方濟」は、清の商人・画家 方西園ほうさいえんのことではないかと思います。

薄香(うすか)浦の圖
平戸城下より一里
是より生月島へ渡る海上三里
田助浦(うら) 唐津山
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [4]
東野方斑島あり
對馬 北の方
壹州 フタカミ 無人
大島 亘三里人家七百余軒
宅島 人家百余軒
撗島 白嶽頂
朝鮮國
生月島 亘三里西南の方なり
をしか 七島あり
左の方 安萬嶽あり


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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