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【西遊旅譚/司馬江漢】(20)京より木曾路にて芝へ帰りぬ【読了】

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

三月朔日、宇治の方に行、伏見御幸の宮の前を過、桃山の下城路を左に見て、六地蔵、木幡こはた村を過て、黄檗わうばく山萬福寺は唐僧隠元ゐんげん禅師ぜんじ承應ぜうおうの比、創立ざうりうす。大伽藍なり。それより三室みむろ堂、はし寺、恵心寺ゑしんじ、奈良の方 春日山、大佛殿たいぶつでん興福寺かうぶくじ郡山こほりやまの方より法隆寺、立田の邊、吉野の方まで、すべて是を「大和廻」といふ。古蹟こせき多し。よくひとの知所故、爰にのせ ず 

それより京に出て、数日とまる。名所古蹟多故にしげければ略す。

※ 「伏見御幸の宮」は、伏見の御香宮ごこうのみやのことと思われます。
※ 「承應」は、承応しょうおう。江戸時代前期の元号。
※ 「比」は、ころ。
※ 「はし寺」は、宇治の橋寺はしでら放生院ほうじょういん

四条板はしわたりて、東山ひがしやまの方に行、祇園町遊亭有。祇園の社、夫より八坂やさかたう有。清水観音の方へ行なり。西北は北野天神、北の門を出、紙屋かみや川にかゝる小橋をわたり、平野の社あり。鳥居の前に桜多し。寂寥ものさひたる社也。華表とりゐより東のかた御室おむろ道有。御室おむろ堂の前、八重桜多し。

夫より二十餘町過て、嵯峨さが釋迦堂有。七八町を行ば、嵐山なり。松の木陰こかげより一重桜さき出て、大井河をのぞめり。東は桂川かつらがはといふ。山は丹波のかたにつゞけり。花の比は、茶店を出す(酒食はうつてなし)。其川に橋を掛るを吐月橋とげつきやうづく。渡りて虚空蔵こくうざう堂有。茶てんあり。夫より東の方へ帰る。其路、松の尾の社、梅宮むめのみや有。はなはだしづかなる所にて、春月といへど遊行ゆうかうの人まれなり。

※ 「四条板はし」は、四条板橋。参考:『古事類苑 第5冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「北野天神、北の門を出、紙屋かみや川にかゝる小橋を渡、平野の社あり」 下記地図を見ると、紙屋川(地図の右下)をはさんで北野天満宮と平野社が向かい合っているのが分かります。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『聖蹟圖志

※ 「華表とりゐ」は、鳥居のこと。かひょう。
※ 「夫より」は、それより。
※ 「大井河」は、大堰川おおいがわのこと。
※ 「寂寥ものさひ」の読み「ものさひ」は、物寂ものさびでしょうか。
※ 「吐月橋とけつきやう」は、渡月橋とげつきょうのこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

三条槗より四条を望む。
大佛殿 八坂塔 東山 清水観音

※ 「三条槗」は、三条大橋のこと。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

嵯峨嵐山

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

程なくかつらわたし、千本とをりより嶋原(遊女町也)の方に行、東寺とうじに至。弘法大師の像、此日終日開帳なり(三月廿一日なり)。諸人参詣多し。本堂は千手観音、後堂は薬師如来也。此寺、昔は大伽藍なりしを、いつころやけたり(羅生門有)。西本願寺、又、本國寺の前を過て、西南の洛外らくぐはいを廻てかへる。北東の方は叡山ゑいざん(近江の国なり)、鞍馬くらま貴布祢きふね、賀茂、皆人のしる所なれば不話。

※ 「貴布祢きふね」は、貴船きふね

三月廿八日、近江国鈴鹿山を過る。筆捨山、景色よし。残花所々に咲。

四月四日、美濃の国、乕渓山に ● る。正路わうくはん。内津と云所より山を入。即、乕渓也。寺あり。夫よりかまとと云所宿●。追分に至。是より岐岨きそ路なり。大井に行路、西行塚有。

同前の池に飛泉たき岩上より落る。

※ 「乕渓山」は、虎渓山こけいざん。永保寺こけいざんえいほうじ
※ 「正路わうくはん」の読み「わうくはん」は、往還おうかん。主要道路、街道のこと。
※ 「乕渓也 寺あり」は、虎渓山こけいざん永保寺えいほうじのこと。
※ 「かまと」は、岐阜の釜戸かまど
※ 「岐岨きそ路」は、木曽路。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

十觧国峠、一里廿五町あり。峠に馬籠まごめ宿あり。

胞衣ヶ嶽えながだけ、雪有。白し。此所より五里有。

九月十九日、祭礼まつり、飛騨国、乗鞍のりくらが岳北の方 御嶽みだけ、加賀の国に白嶽、又、右の方駒ヶ岳、皆雪峯也。

※ 「十觧国峠」は、信濃国と美濃国の境の十曲峠のことと思われます。
※ 「胞衣ヶ嶽えながだけ」 参考:『氷河と万年雪の山』(国立国会図書館デジタルコレクション)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

馬籠まごめ峠、草木冬月の如し。山を下りては、躑躅つゝじ、桜、桃、梨花なしのはな、皆さかり也。岐岨きそながれて、桟道さんだうめぐりて、所々渓水けいすいの音なきはなし。人家、板屋いたやつくり茅屋かややなし。かべ皆板なり。つがけいやきの類也。八五原やぶはら、奈良井の間、鳥井峠有。十八町のぼりて、三十町下る。熱川あつかはより二里、本山もとやまと云所まで、岐岨路きそぢ也。下諏訪しものすは温泉おんせん(いでゆ)、和田峠あり。五里のぼりて、峠に茶店有。こゝにて四月雪を見る。それをくだりて七まがり坂あり。

※ 「岐岨きそ河」は、木曽川。
※ 「めぐりて」の「続」は、誤読しているかもしれません。
※ 「八五原やぶはら」は、藪原やぶはら
※ 「岐岨路きそぢ」は、木曽路。

名目なめ川槗 流は岐岨川に入。
駒ヶ嶽、雪峰也。

岐岨きその人家

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

稲川橋 野尻、須原の間、流は岐岨に入。
雪峰。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

四月十日、浅間あさま山のもとを過る。四十餘年以前、此山焼出す。其時の焼石やけいしは、皆大石にして色黒くかろし。又、七年以前、焼出す。軽井澤より坂本、碓氷うすひ峠、山々皆焼石にて、樹木じゆもくかる、小石なり。此地このち、寒国故、松すくなし。杉おほし。又、とちの木有。上州妙義山、遠方より望に、山のかたち嵬々たり。

※ 「焼出す」は、噴火のこと。天明三年(1783年)に起きた浅間山の大噴火は「天明てんめい浅間あさまけ」と呼ばれます。
※ 「嵬々」の「嵬」という漢字は、山が高く険しいさま。

一里餘遠く望に、岩峯に二ツの穴有。其穴つらぬきて、日を見る。百合若ゆりわか大臣射ぬきの穴と云。

妙義山 岩峯 画事不能ゑがくことあたはず

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

十二日、深谷より熊谷宿あり。どて三十町有。皆、皂角さいかちなり。右の方 相州大山、又、富士山見ゆる。

四月十三日、大宮より板橋に至り、郷里けうり神僊しんせんざにかへりぬ。

寛政庚戌四月 門人蘭江平民誌
江漢先生著
享和三年癸八月發行 中橋南傳馬町壹町目
江戸書林 鴨伊兵衛梓

※ 「相州」は、相模国。
※ 「神僊しんせんざ」は、芝の新銭座町しんせんざちょうのことと思われます。現在の港区東新橋二丁目。


参考:『西遊日記』『凡品雑録 第1輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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