【職人図鑑】彩画職人部類(24)傘(からかさ)

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『博物誌』に云「魏ノ 神元帝 始メ 為ル □ ヲ 」
『古今集』
みさふらい みかさともふせ 宮城野の
木の下露は 雨にまされり
※ 「□」の漢字は、傘。
※ 「魏ノ 神元帝」は、北魏の始祖 神元帝のこと。
※ 「みさふらいみかさともふせ」は、御侍御笠と申せ。お供のかたよ、(御主人様に)「笠を召されませ」と申し上げてください、という意。

文禄三年、泉州堺の商人、納屋助左衛門といふもの呂宋より帰来れり。其時、傘、蝋燭をの/\千挺つゝを献ず。
今用ゆるところの傘、是なりとぞ。
※ 「泉州」は、和泉国。
※ 「納屋助左衛門」は、安土桃山時代の堺の商人。ルソンに渡航し、持ち帰った傘、蝋燭、壺などを豊臣秀吉に献じました。呂宋助左衛門、魚屋助左衛門。
傘について
『彩画職人部類』に記されている「博物誌に魏ノ 神元帝 始メ 為ル 傘ヲ 」の説、および、納屋助左衛門が呂宋から落ち帰ったとする説について、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』に掲載されています。

一方で、納屋助左衛門が持ち帰る以前から、日本にも傘があったとする説もあるようです。また、平安時代中期に書かれた『更級日記』に「庵のまへに傘さゝせてすゑたり」という記述が見えます。
天正の頃、泉州堺の商人納屋助左衛門、呂宋に航し、文禄三年帰朝して、始めて傘及び蝋燭を傳ふと云ふ説あれども、此二物は、我國既に往古より之あり。

参考:『類聚名物考 第5冊(傘)』『更科日記 : 校註』(国立国会図書館デジタルコレクション)
呂宋(ルソン)について

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会 巻二』
台湾の南に「呂宋」が見えます。

『地誌略 巻1亜細亜洲総説 日本総説畿内五国』

『地理全志 上篇 巻之1』
納屋助左衛門について
呂宋助左衛門
呂宋助左衛門の称は、其呂宋を攻めて之れに克ち、我国に凱旋するの後、堺浦の豪商 魚屋助左衛門が自らを命する所の名なり。其家、世々外国と貿易し、家畜甚だ富めり。
助左衛門、天資豪邁にして勇敢、曾て慨然として歎して曰く
「方今英雄四方に割拠し、強は弱を併せ、大は小を呑む。国分裂して民常主なし。大丈夫豈に局促として徒をに他人の控制に甘んぜんや。我れ寧ろ遠く海外に航し、我武をして揚り、我威をして振はしめん」と。
乃ち、猪突豨勇、一百余人を率ゐ、兵器を蓄へ海を超へて、呂宋を攻伐す。呂宋、当時兵力極めて脆弱、遂に支ふる能はず。頭目、頻に和を請ひ、其宝器珍産を賂する甚だ夥し。於 是、助左衛門、其請を容れ、奏して師を班へす。実に文禄三年七月二十日なり。
是より呂宋助左衛門の威望遠近に震ひ、富又前日に倍蓗す。助左衛門、堺の代官石田政澄に依て、其呂宋に獲る所の蝋燭千、麝猫二を秀吉に献じ、且つ、真壷五十を其覧に供す。秀吉、大に喜みして、之れを西の丸広間に陳列せしめ、千の宗易に議り、壺儥を分て三等となし、諸侯を延て之れを購はしむ。数日にして尽き、余す処、纔に三個のみ、秀吉自ら之を納め、助左衛門をして諸侯の壷儥を収めしむ。是に於て助左衛門、又巨利を享くることを得たり。
後ち、志貴城主松永久秀三千石を以て、之れを聘す。応ぜず、久秀、一日助左衛門の家に□み、其輪奐たるを見、歎して曰く、「善尽せり、美尽くせり」と。惣ち刀を抜て、一柱を斫り、徐に助左衛門に謂て曰く、
「水満て而して溢れ、月円ふして而して虧く、是れ豈に数にあらずや、故に我れ今ま、吾子の子孫との為めに、抂げて此一柱を欠き、以て其円満を祝す」と。
助左衛門、後ち秀吉の命に背くことあり。遂に其滅する所となる。
※ 参考:『世界ニ於ケル日本人 増補版(呂宋助左衛門 呂宋を侵掠す)』『堺史談』『船舶論』『日本文化史 第9巻』『日本文明史』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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