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【職人図鑑】彩画職人部類(11)鉤簾(みす) 又 翠簾

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『彩画職人部類 上

鉤簾 みす  又  翠簾

※ 「鉤簾」は、『和漢三才図会』によると「こす」とも読んだようです。

『風雅集』
  雨晴るゝ 風はおり/\ 吹いれて
    こすの間匂ふ 軒の梅かえ
           永福門院内侍

※ 「こすの間」は、鉤簾こすと思われます。(御簾みすの部屋という意)
※ 「梅かえ」は、うめ
※ 「永福門院内侍」は、南北朝時代の京極派歌人。伏見天皇の中宮、永福門院(西園寺鏱子さいおんじしょうし)に仕えました。


鉤簾こす翠簾みす)について

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会 巻第21−52(鉤簾)』


『風雅和歌集』

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『二十一代集 400巻 [39]』巻一春哥上

永福門院内侍
  雨晴る 風はおり/\ 吹いれて
    こすのま匂ふ 軒の梅かえ

永福門院内侍えいふくもんいんのないしは、この歌のほかにも梅の詠んでいます。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『二十一代集 400巻 [41]』巻十五雜哥上

定家卿はやう住ける家にしばし立入て、又ほかへうつり侍けるおり、かのみづからうへて侍ける梅の木の枝に結びつけゝる。

 永福門院内侍
    忘れじな 宿はむかしに 跡ふりて
      かはらぬ軒に にほふ梅がえ

これは永福門院内侍が、藤原定家の屋敷の梅の木に結び付けた歌です。

京都の二条の北、京極の西にあった定家の屋敷には、定家自らが植えた梅の木があったそうで、『徒然草』に次のように記されています(京極入道中納言は、藤原定家のこと)。

京極入道中納言は、なをひとへ梅をなん軒近くうゑられたりける。京極の屋の南むきにいまも二本侍めり。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『徒然草2巻 [2]

参考:『大日本地誌大系 第17巻 山州名跡志(定家卿家)』『系図綜覧 第1』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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