【観音霊験記 西国巡礼】第廿四番摂津国中山寺/多田美丈丸

『観音霊験記 西国巡礼廿四番摂津国中山寺 多田美丈丸』

觀音靈驗記 西國順禮廿四番 摂津國中山寺
野をもすき さとをもゆきて 中山の
寺へまいるも のちの世のため

多田美丈丸
多田の満仲公は、當山を祈願所として、堂舎田園を竒附のあまり、御子美丈丸を中の坊において、學問をさせ、既に出家となさるべきを、諾はざれば、家臣仲光をもつて、討しめしに、仲光、わが子の幸壽を殺して代りとせしこと、美丈丸ふかくかなしみ、終に出家して源賢僧都と号し、多田院の住持となり、ふかく普門品を信じて、族の後世を弔らはれける。
※ 「多田美丈丸」は、平安時代中期の僧、源賢。美女丸。
※ 「多田の満仲公」は、平安時代中期の武将、源満仲。
※ 「家臣仲光」は、藤原仲光。
※ 「幸壽」は、藤原仲光の子の幸寿丸。

又、當山の本尊は、上宮太子の前生、舎衛国に在て作り給ふ十一面の観音なれば、我朝観音の始めといふべし。
又、一度巡禮するもの重罪を滅して地獄に堕ざるといふ閻魔王の印文、寺中の窟の内に藏る。其外の灵驗、猶あらたなり。
※ 「上宮太子」は、聖徳太子のこと。
※ 「舎衛国」は、釈迦の時代にインドにあった国。
※ 「灵驗」は、霊験。

※ 参考:『西国・秩父・坂東百観音霊験廻拝記』『西国三拾三所観音霊験記図会』『西国三拾三所観音霊験記図会』『西国三拾三所観音霊験記図会』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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