【生月島捕鯨】勇魚取絵詞(3)生月御崎沖 持双舩鯨掛挟漕之圖
『勇魚取絵詞』は、江戸時代後期の肥前国松浦郡生月島での捕鯨の様子を記した書物です。国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されている『勇魚取絵詞(全三巻)』をコツコツ読んでいきたいと思います。絵も文字もとても美しい作品です。
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生月御崎沖 持双舩鯨掛挟漕之圖

手形切の穴に、障子釣の綱を通じ、舩に繋留め、鯨の背、脇腹のあたりに、数多劔を突に、臓腑に及ば、其口より潮入て、水面に泡立浮を方言に「湧」といふ。
※ 「障子釣」は、羽指(羽差)が鯨の鼻(潮を吹く穴)に通す綱のこと。参考:『分類漁村語彙(シヨウジツリ)』『農業館列品目録 第2版(障子釣綱)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

さて、鯨の半死半生の境を見極め、麾持親父、相図して、持双舩に掛べきよしを ● せば、達者の水練の羽指ども、綱を持て、海中に没、罹りたる綱の目を察し、甚捷鯨の腹下を泳抜、胸の邊、及、腹二所に胴縄を差廻して、浮出る時、二艘の持双舩、左右より鯨を挟み、持双柱一本上に打渡して、筏のごとく組合居なり。
※ 「捷」は、誤読しているかもしれません。

羽指共は数人、鯨に 騎 て、例の貫廻したる胸腹二處の胴縄を、此持双舩に繋附るを「上の胴縄」「下の胴縄」といふ。


其後、劔、大切包丁などもて、突殺すに、中に死せんとして身を伸し、大息突て、一聲噭、舩に繋れながら、二三遍廻り、喉をころ/\と鳴して、息絶るあり。
かゝる時には、漁人同音に「南無阿弥陀仏」と三唱し、「三國一や大背美捕すまいた」と謡ふ。
※ 「三國一」は、日本、唐土、印度の三国で一番ということ。世界一という意。
江戸時代には祝い事のときに「三国一じゃ」という歌詞で小唄が歌われたようです。近松門左衛門の浄瑠璃『雪女五枚羽子板』に「舅に過たる聟殿や三国一じや聟にとりすまいた」という歌詞があり、『東海道中膝栗毛』には「三国一の娶をとりすまいたしやん/\」という歌詞が見えます。
「三國一や大背美捕すまいた」」の歌は、これらに倣った言い回しと思われます。背美は、セミクジラのこと。また、土佐の捕鯨(津呂組)では「三国一じや子持捕りすました」と歌われたようです。
参考:『近松時代浄瑠璃 巻2』『東海道中膝栗毛』『津呂捕鯨誌(捕鯨の祝謡)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

又、綱を十分に被さる鯨は、いと狂廻りて、尾鰭に波を打激、若、舩に觸れば、舩微塵に砕く。唯、其激風に觸ても、舩覆こと、まゝあり。扨、劔切時いまだ弱ざるに、手形を切、胴縄を通し、持双舩に搦付れば、夫より狂廻りて、二艘の舩を負ながら、二三度も海に出没し、舩は粉のごとくに成也。
※ 「若」は、もし。

されど、漁人は、疾海に飛入居れば、怪我なし。かゝるをりの為に設置の持双舩に繋替る也。
鯨を突止たる後は、持双舩を筌にして、二筋の引綱を着、十余艘の舩、二行に列りて、御崎浦に引寄るなり。
※ 参考:『日本科学古典全書 第11巻 第3部』(国立国会図書館デジタルコレクション)
筆者注 ● は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
