見出し画像

【西遊旅譚/司馬江漢】(19)下関から海路にて岡山へ、陸路 大坂・宇治へ

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

📖

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

十七日、赤間をはつしてて、行事 四里、木屋瀬こやのせにいたる。此路、田畑廣原くはうげんつる多し(マナ鶴、クロツル、白ツルなり、丹頂はなし、蝦夷に多しと云)。

此間、石炭せきたんを堀出す。其石炭のうちより石を出す。皆、木紋ありて、松杉の化石くわせき也。案ずるに、石炭は山の腰より出る。箱根山、神代杉の如し。、地中にうづもれ、石に化し、硫黄いわうの気を得て、もゆるもの歟(甚臭気しうきあり、油と硫黄のにほひ也)。硫黄の気のてつ せざるもの(とをらぬ)、そのうちより出るに、みな木紋もくもん有て、化石なり。甚の大石あり。えだふしありて、木の如し。木屋こやは、長崎への正路わうくはんなり。

是より黒崎へ出て、小倉にいたる。小倉より三里、海をわたる。すなはち下関しものせき(赤間が関と云)。

※ 「行事」は、行くこと。
※ 「歟」は、
※ 「正路わうくはん」の読み「わうくはん」は、往還おうかん。主要道路、街道のこと。
※ 「赤間が関」は、下関の古称。あかまがせき。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

名島弁天 大しま 藍島あゐしま はこ﨑八幡の社 海の中路 甕しま
灘濱
博多町百八町有
鹿のしま 玄海しま 大机しま うぐしま 燈籠
東照宮 福岡の方

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

廿一日、下関より舩に乗。西風吹て、防州灘はうしうだん(すはうなだ)を走事、三十五里。奴和ぬわと云小島に舩をかける。人家、十八九軒有のみ。又、西風に帆をあげて、藝州の内、御手洗みたらひといふ島にかゝりてはくす。海岸、人家多し。

廿三日、出帆しゆつはんし、備後のともと云所に舩をよせる。福山の領地也。人家、八九町有。舩の往来を待て渡世とせいする江にて酒肉しゆにく売店ばいてん多し。

廿四日あかつき、帆●あげて、廿五里をはしる。七時、備前国牛窓うしまどに至(岡山の領地)。此所にて舩よりあがり、陸地りくちを行事 七里。備前岡山に至。

二月十三日、岡山をはつして、藤井、一市ひといち、吉井川を渡り、伊部いんべ片上かたかみ八木山やきやまを過て、三石みついし有年うね

※ 「防州はうしう」は、周防すおう国。
※ 「走事」は、走ること。
※ 「奴和ぬわと云小島」は、怒和島ぬわじま(愛媛県松山市)のことと思われます。
※ 「御手洗みたらひといふ島」は、大崎下島(広島県呉市)のことと思われます。御手洗みたらいはその港町。
※ 「ともと云所」は、ともうら(広島県福山市)の辺りと思われます。

備前の鞆(とも)
備前 牛窓 燈籠
出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

此間、甚の山中なり。有年うね川、舟わたし、正条、姫路、加古川より大久保。此間、五十町一里なり。明石、舞子まひこが濱、淡路しま見えて、絶景也。兵庫に楠正成まさしげはかあり。山に入、布引の瀧、其山下さんか(やまもと)一村、梅樹多し。其ころ、花さかりにて雪の如し。生田いくたの社は、往来に立。それより摩耶山まやさんのぼる。甚高し。山を下れば、西乃宮なり。是より大坂へ五里。

箕山(きさん) 瀑布(ばくふ)たき 不動堂

二月廿三日、浪華おほざか難波橋なんははしをわたり、池田路を行。しにあはち、池田の里にいたる。池田川ながれて、町四五てう有。皆、酒をつくる。行事 一里餘にして、多田に至る。多田の社有。温泉をんせんいけよりわく

廿四日、多田を出て、深山に入。箕尾みのを山にいたる。瀑布ばくふ(たき)を望。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

其瀧、数十丈たゝちに落て、那智の瀧につぐと。瀧の右山にのぼるみち、甚せばく、漸、石をよぢて越る。勝尾寺かちをじ観音堂あり。西三十三ヶ所の札所なり。山上より大坂の方を望に、五里有。はるかに城見ゆる。夫より山ををりて、山田さんでんの間を行。此みち、正路わうくはんにあらざれば、食店しよくてん(ちやや)なし。河を二瀬、舟にて渡る。一ツは長良ながらの渡と云。渡てほどなく大坂に入。

※ 「漸」は、ようやく。誤読しているかもしれません。
※ 「西三十三ヶ所」は、西国三十三所巡礼のこと。勝尾寺は第二十三番札所。
※ 「夫より」は、それより。

二月廿八日、浪華おほさかを出て、闇峠くらかりとうげを越て、伏見の方にいたる。扨、伏見、豊後橋をわたり、京町有。其町の裏手うらて、皆はたにして、畑の間に梅桃をおほくうゆはう六町あり。桃山と名つく。古は、奈良の方へ行路にて、大和街道かいだうと云。畑に諸矦だいめうの名、いまにそん(のこる)せり。

宇治見うぢみだい、小高き所なり。古の城内、庭の跡と云。其小山よりのぞむに、湖中につゝみあり。小倉堤をぐらつゝみと云。秀吉公、此堤をきづく。奈良へ行に、宇治を廻てとをし。故に、堤三十町あり。岸に楊柳ようりう多し(柳ごり、皆、此地の細工なり)。

たいより望に、左の方は宇治の里、宇治川流て、むかへは奈良山見えて、はるか金剛山こんこうせん、吉野山見ゆる。右に闇峠くらかりたうげ、モロノ木山、八幡山、見えて、湖中、漁舟かぢうごかし、つゝみなかば漁村ぎよそんあり。其比、桃の花さかりにして、谷々山々皆錦の如し。

墨染の里、遊亭ゆうていあり。その近きに寺に墨染桜あり。撞町しゆもくまち、今はわづかに遊色のこれり。

※ 「扨」は、さて。
※ 「諸矦」は、諸侯。
※ 「だい」は、台。
※ 「湖中につゝみあり」の湖は、巨椋池おぐらいけのこと。巨椋池は昭和初期に埋め立てられています。
※ 「小倉堤をぐらつゝみ」は、京と奈良との距離を短くするために造られた巨椋池おぐらいけの中を縦断する堤のこと。
※ 「柳ごり」は、柳行李やなぎごうり
※ 「モロノ木山」は、諸木山もろきやま(京都府南丹市 標高497m)のことでしょうか。参考:『近畿の登山(諸木山)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「八幡山」は、京都の八幡山(京都府南丹市 標高171m)、または、滋賀の八幡山(滋賀県近江八幡市 標高284m)でしょうか。
※ 「かぢ」は、かじのこと。
※ 「うごかし」は、動かし。
※ 「撞町しゆもくまち」は、撞木町しゅもくちょう(京都市伏見区)。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [5]

宇治見臺より眺望したる図
八幡山 くらかり峠 金剛山 吉野山の方 春日山 宇治山 黄檗山
魚肉なし 酒でんがくあり 花の比は茶店を出す


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)


● は解読できなかった文字、□は欠字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖