【水害記録】安政風聞集(4)川崎・品川・高輪・芝・京橋など
安政三年(1856年)八月に起きた江戸の台風災害の記録。著者は『安愚楽鍋』などで知られる仮名垣魯文(金屯道人)です。この前年には安政江戸地震が起きています。
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〇 余が友、宮崎一琢ぬし相州三浦郡みさきといへる地に、旅寝せしは、當八月廿四五日の頃になん、そが折、夜に入、人静まりて後、何所ともなく、海上のいと/\凄しく鳴動しかば、いと怪みて睡眠もつかで、夜を明しつ。
旅舎の主人に此事を問へば、主人答へていふ様は、「是、古老の言ひ傳ふる『水の闘ひ』」なるべしと。
後に、思ふに、こは厥風洪波の気ざし有て、海底の水混交して、闘ひしものなるべし。土人は水闘を知て、洪波の気ざし有を知らず。心得べき事になん。
按ずるに、春秋の書に穀洛の水闘ふて、王宮を破ることを載す。
又、行書紀事といへる書に載るは、「洛伯用といふ水神、河伯溤夫の水神と闘す」としるしたれど、行書は大に妄談の偽書にして、一向取に足らず。さはあれ、春秋は聖人の書なり。更に偽り有べきとも覚えず。
又、宋史の五行志に載せたる、宋の高宗の紹興十四年、楽平縣といへる所の河水、自然登りて田に入事、数百ヶ所となり。又、田の水自ら物有て、汲が如し。地より高き事、数丈堤堰なけれども、自然押登る。其里の南の方なる家の井の水、又、立登る事、数尺。唯、■蝶蝀(■は虫+帯)の如し。聲は雷に等し。垣を破りて、退る十餘刻程過て、二ツの水、元の所に帰る。
又、説海と云書に、貴州の普定衛といふ所に二ツの池あり。夜に入て、水声冷じ。爰に或人戸を開きて見れば、水面上にかゝりて近付難し。戸を閉て、夜の明るを待、既に夜明る頃、水甚だ減じたり。人々『水の闘』たるならんと云と見へたり。
※ 「相州《さうしう》」は、相模国。
※ 「水の闘ひ」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『和漢三才図会 中之巻』
※ 「穀洛」 参考:『標註国語定本 第1−5』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「洛伯用といふ水神、河伯溤夫の水神と闘す」 参考:『中国絵画史論攷』『支那文学研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「■蝶蝀(■は虫+帯)」は、虹のこと。参考:『新篇支那年鑑 昭和2年版』『酔古堂剣掃 : 訳註』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「貴州の普定衛」



〇 神奈川より海手、芒新田に一奇話あり。
其名を太郎兵衛と云へる富る百姓有しが、先年の江戸の地震の後、恐ろしき事に思ひ、自己金銭に不足なければ早速家を建直し、太き梁を取退け、細きふに替へ、瓦を下して茅葺となし、其心配りの急なるには、何も舌を振ひしなり。然るに、此度の大風に、家根を其侭吹取られ、他家は然までに難渋せねど、太郎兵衛は一倍に難義せしとの噂なり。
其また近所に、善助とて、祖父の代より困窮なりしが、家の普請も出来ざれば、網屋、物置は堀立柱、家根は自身に網もて結ひ、雨露霜雪を凌ぎたりしが、扨、此度の大風には村中、物置を吹倒され、或は家根を吹めくられ、其上高汐押上来り。潰れたる物置を引もて往ば、貯へたる味噌、沢庵、其外の軽き諸道具失ひて、難渋するもの多き中に、善助が物置は埋立の柱なれば、一所も流れ行ず。家根は元来、手繕網からげに為たれば、是又、少しの破損のみにて安泰に過しとなり。
是を思ふに、高野山の長者の萬燈、動もすれば暗に及べど、貧の一燈絶ず明らかなりと聞。貧にも徳あり。富る故、却つて難義を引出す。後人の心得草に、其侭を書記しぬ。
※ 「先年の江戸の地震」は、安政二年(1855年)に起きた安政江戸地震のこと。
※ 「舌を振ひ」は、盛んにしゃべること。
※ 「堀立柱」は、土台を用いずに、土を掘って柱を立てること。参考:『大日本国語辞典 第5巻 修訂(掘立柱)(掘建柱)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「網からげ」は、縄紮げ。縄を巻きつけて縛ること。
※ 「貧の一燈」は、長者の萬燈より貧者の一燈。心のこもった貧者による供養の一燈は、富者の万燈にも勝ることのたとえ。参考:『大日本国語辞典 巻4(貧者一燈)』『大日本国語辞典 巻3(長者の萬燈よりも貧の一燈)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
〇 神奈川臺は、地高き故、風の當り烈しくて、破損の家も多しといへども、彼の高汐の憂はなし。夫より生麦、白はた村、市場村、砂子町、かはたむら、いれ川、八丁なりて、何れも嵐の當り強く、一軒の放れ家などは、見るも哀れに潰れしあり。
又、往来へ舟を吹上しは、汀に吹寄る落葉の如し。又、海端は、本牧より羽田あたり、繋ぎ置たる舟は失せ、知らざる舩の流れ来り。夫が為に、漁父の小家は押倒されしも多分有り。
其中に、江戸に有し御乗舩場の歩行舟の羽田に流れ付しよし。是、高汐の引時に持て行し物なるべし。
※ 「神奈川臺」は、神奈川台。
※ 「夫より」は、それより。
※ 「歩行舟」は、誤読しているかもしれません。

〇 川崎より六郷の渡し、是又、出水甚敷、何れも難義に及びしなり。東川端、八幡塚、雜しき町、小南、蒲田、大森村、鈴ヶ森、濱川辺は、彼の高汐を津浪と心得、水の中を漸々と山手へ逃し者もあり。遅き者は逃る間なく、家根へ登りし者も有て、其騒ぎ大方ならず。夜明て後に、家根垣の破損に當惑なせしものあり。

〇 品川宿は、直に上に御殿山の有故に、今少し水増ば、彼処へ逃んと支度する内、追々風雨静まりて、汐さへ引けば安心すれども、種々の物を水に流され、漸々尋ね得たるも有。又は、大切の客帳など失なひて困るもあり。
又、● 臺場の前後左 ●に懸並べたる官舩、商舩、大小共に吹寄せ来り。是等を先の深海へ出すに、多く日数懸りしなり。中にも、今度新造の異国形の大舩は、破損は見へねど、浅瀬へ吹寄せ、是が為に打砕かるゝ舟も少なからずとなり。
〇 予が知れる人の方には、大くの職人を遣ふ故に、沢庵を手漬になし、當暮までの遣ひ料十有余樽貯へ置しを、皆高汐に押流され、家居廻りを拾ひ集め、二樽程になしたりと、笑ふての咄しなり。
※ 「當暮」は、当暮。その年の暮れのこと。

〇 高輪牛町は、土地窪なる。そのうへに海近ければ、高汐の床まで揚るに驚きて、飼置る多くの牛を小屋より出して逃さんと、飼主はいふも、更牛飼等も犇きて起せど、牛は諺に「暗より引出す」とやら一向に動かねば、困じ果しとの咄しなり。既に昨年、地震の時、馬を逃して困りしことは、表裏の咄なりと。其心痛を察しやりにき。
※ 「牛は諺に暗より引出す」は、暗がりから牛を引き出すという言葉。物の区別がつかないたとえ。

〇 夫より田町、本芝辺、破損多く、札ノ辻より三田辺は破損少く、七曲りの薩州公御玄関、大書院崩るゝよし。芝金杉、濱通りは、浪に引れ、風に倒れて、人家悉く大破に及ぶ。猶、此辺の破舩の形勢は短かき筆に尽し難くて、画工に譲り顕せば、夫を見て察しねかし。
片門前壱丁目より風雨の中に出火して、近辺残らず焼失し、表通りは宇田川町まで、日蔭町は神明町南がは、ともに焼拂ひ、三島町角にて止る。
然るに、此旅、失火せし家の主人なるものは、咎め有んを覚悟して慎み居れども、其沙汰なし。依て、町内役人より内々に是を伺ふに、此度の風烈は別段の変事なれば、過ちも強ちに咎め難く、其侭見捨に成さるゝよし、実に御仁恵の御沙汰なりと、涙をこぼし歓びけり。
※ 「壱丁目」は、一丁目。
※ 「然るに」は、しかるに。
※ 「仁恵」は、思いやりの心と恵みのこと。じんけい。
〇 西應寺門前、新なみ辺は、破損の家多きが中にも、裏借家、仮普請は悉く潰れしよしなり。都て此処に限らず、地震の後、手入さへ届かぬ家の多ければ、夫等は皆々倒れしなり。既に、先年は土蔵を震ひ、冨家悉く難渋せしが、此度は貧人の難義する。其数枚挙に遑あらず。実に、冨人も貧賤も、共に難義に及ぶといふは、天の時ともいふべきなり。
〇 増上寺山内、宿坊所々破損多く、外廻り大木倒るゝ事夥し。切通し、西の久保辺、町家、武家屋敷、少々損し、愛宕下通り、屋敷表囲損じ、火の見櫓、数ヶ所落る。

〇 しん橋、芝口、尾張町までの間、所々に潰家あり。銀座三丁目、自身番、火の見櫓、梵鐘を釣たるまゝ往来へ落る。
京橋、大根がしへ薪、又、材木流来る事、夥しとなり。是は、八丁堀辺、三十間堀辺、都て、河岸通に積置たる高汐の揚来れるなるべし。
是より、日本橋まで南中通、夫より本町通り、東西十軒店、今川橋より内神田、少々崩家有といへども、通例前に等しき故畧く。
※ 「自身番」は、江戸の町々の四辻に置いた番屋のこと。参考:『大日本国語辞典 巻2(自身番)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
※ 「大根がし」は、大根河岸。
筆者注 ●は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
