【語源】日本釈名 (17) 人品(水手・そみかくだ・瘖・朝臣・妹兄・海士など)

水手
舩の櫓をおす者を「水手」と云。應神天皇十三年、日向國諸縣の君 牛と云人、其 女 髪長媛を帝に奉らんとて、都に上る。帝、折ふし淡路嶋にかりし給ふ。西の方をのぞみ給へば、数十の麇𢈘うみにうかひ来る。人をつかはして問せ給ふに、𢈘にはあらで皆人也しが、𢈘の皮を衣としける。時の人、其舟の岸につける處を「𢈘子の水門」と云。およそ「水手」を「𢈘子」と云事、此時よりはじまる。此事『日本紀』に見えたり。𢈘子ノ水門は、播磨国高砂の河也。
※ 「諸縣の君牛」は、諸県牛諸井。
※ 「𢈘」は、鹿。
※ 参考:『広文庫 第4冊(かこ)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
そみかくだ
桑門の行脚するを云。又、「山伏」をも云。「そみ」は「世をそむく」也。「む」と「み」と通じ「く」を略す。「かく」は「かくるゝ」也。隠遁也。「だ」は「旅人」也。世をそむき、かくれて旅行する人也。
瘖
おし鳥はなくといへども、文なし。人の物いはぬは、おし鳥のなくがごとし。
※ 参考:『広文庫 第4冊(おふし)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

朝臣
「あ」は「吾」也。「吾嬬」の「あ」と同じ。「そ」は「添」也。「む」は「おん」也。「臣」を「おみ」と云。「おみ」「おん」同事也。「おん」の「お」を略せり。「わが身にそへる臣」を略して「あそん」といふ也。『日本紀』『私記』に云「朝臣者、帝王相親之詞也、言我身随添之臣也」。又、尸にも朝臣あり。其すぢならば、貴賤によらず称すべし。尸にあらざれども、朝臣と称ずる事あり。『日本紀』第九巻、神功皇后の御歌に竹内宿祢を「うちのあそが」とよみ給ふ。萬葉の歌にも、人をさして「阿曽」とよめり。後世には、四位の殿上人をも「朝臣」と称す。
一説、「朝廷」の「朝」の字は「朝暮」の「朝」と意かはれり。されど、訓をかりて「あさおん」とよむ。「おん」は「おみ」也。臣の事也。此説は、朝廷の臣と云事也。
※ 参考:『広文庫 第1冊(あそん)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
妹兄
「夫婦」を「いもせ」と云。「いも」は「婦」なり。「せ」は「夫」也。夫は婦より年たけ、婦は夫より年わかし。たとへば、兄と妹とのごとし。故に「いもせ」と云。是、長幼のつゐであり。実に兄弟にはあらず。『日本紀』神代巻に伊弉諾尊、いざなみの尊、夫婦となり給ひ、いざなみを、いさなきの尊称して「吾妹」とのたまひ、いざなぎを、いざなみの尊称して「吾夫君」との給へりしも、此意なり。いざなぎ、いざなみ、実に兄弟にはあらず。
※ 「長幼のつゐで」は、長幼の序(「序」の訓読みはついで)。子どもは大人を敬い、大人は子どもを慈しむという年長者と年少者のあいだのあり方のこと。

賓客
まれ人通ず。まれに来る人也。
族
「やから」とは一族の事也。「や」は「家」也。「から」は「ともから」也。一家のともがら也。
蜒
「海士」ともかく。「あ」は「あをうみ」也。「ま」は「すまゐ」の略なり。あをうみにすまゐする者也。又、「ま」は「む」と通ず。あおうみにすむ也。魚とるあまあり。海辺の山の木をきりてうるあまあり。かづきの海士あり。以上、三のあま也。からの書にも出たり。
かづきのあまは、水に入て、あはび、さゞゑ、ゐがい、わかめ、みる、などとる也。三のあまともに、つねに舩を家として、くがにすまぬもあり。俗に、家ふねと云。年おひては、舩の中を子にゆづりて隠居して、へさきのかたにすむ。此外、塩やく者をも本邦にては「海士」と云。あまの塩やくなども哥にもよめり。
※ 「から」は、唐。
※ 「くが」は、陸。
※ 「哥」は、歌。
※ 参考:『広文庫 第1冊(あま)』(国立国会図書館デジタルコレクション)

伯父御 兄御
「御」は、かしづきたることば。『大和物語』『源氏物語』などに「伊勢の御」とかけるがごとし。「女御」といへるを潜じ用たることばにや。又、とをきいなかのいやしき者のことばに「伯父」を「おぢき」と云。「叔母」を「おばき」と云。「兄」を「あにき」と云。「き」は「君」なり。是もあがめたることば也。『源氏物語』にも「なれき」「あてき」などいへり。昔の和語なり。今、遠国の山里などに昔の和語の残れる事あり。
※ 参考:『近松傑作全集 : 新釈插画 第1巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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