【職人図鑑】彩画職人部類(14)鞠(まり)

鞠 まり
鞠は黄帝作らしめたまふと。本朝へは皇極天皇の時、けらしめていたる。世常なれば是を競ひたまはす。
※ 「皇極天皇」は、後に重祚して斉明天皇。皇極天皇三年(644年)に、中大兄皇子が法興寺で蹴鞠をしたそうです。この蹴鞠の会で、中大兄皇子が落とした靴を中臣鎌足が拾ったことがきっかけでふたりは親しくなったと言われています。
※ 「けらしめて」は、蹴らしめて。
※ 「世常」は、誤読しているかもしれません。

文武帝 大宝元年、はじめて蹴鞠あり。相続て、後鳥羽院、是を賞し給ふ。
飛鳥井中将雅經卿、此道に達したまひ、世々蹴鞠の師祖とす。庻流わかれて難波家あり。両家をもつて世に傳る所なり。
※ 「飛鳥井中将雅經卿」は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿、飛鳥井雅経。飛鳥井家の祖。蹴鞠に通じ、飛鳥井流蹴鞠を興しました。
※ 「庻流」は、庶流。本家から分かれた家柄のこと。
※ 「難波家」は、飛鳥井家とならぶ蹴鞠の祖。
※ 「傳る」は、伝る。誤読しているかもしれません。

『夫木集』に
花のもとに かけてかすそふ まりの音の
なつまぬほとに 雨そゝぐなり
慈圓
※ 「かすそふ」は、数添ふ。数が増すこと。

蹴鞠について



出典:国立国会図書館デジタルコレクション『名画百選 』
※ 参考:『国史趣味染織作品集・解説(蹴鞠)』『本政記:明治新刻 第2冊(中臣鎌足奉靴)』『新日本外史 増補改訂版(中大兄皇子と藤原鎌足)』『旧儀装飾十六式図譜 2冊(蹴鞠の儀)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
飛鳥井雅経について

雅経卿、哥道に秀給ふのみならず、蹴鞠のほまれ高く、舎兄の宗長卿とともに普く美名を●ふ。宗長卿を難波家と称し、雅経卿を飛鳥井家と称す。時に飛鳥井家子は世々歌鞠の誉たかく、既に東山殿の御時、屏風の色紙の押やうも、飛鳥井大納言雅親卿の傳達によられしとぞ。
筆者注 ●は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない漢字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
