【水害記録】安政風聞集(5)築地・西本願寺・鉄砲洲・佃島・浜町など
安政三年(1856年)八月に起きた江戸の台風災害の記録。著者は『安愚楽鍋』などで知られる仮名垣魯文(金屯道人)です。この前年には安政江戸地震が起きています。
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安政風聞集 巻之中
〇 次回
〇 築地は、御濱御殿の辺より寒サ橋まで、武家地、町家、風雨に吹倒され、汐に漂ひ、家を失ふ少なからず。其中にも西本願寺は本堂潰れ崩たり。然れど怪我人一人もなく、殊に、本尊阿弥陀仏は厨子を残して、出し参らす。
御門跡本堂は、修造殊に手を尽し、美麗壮観の灵地にして、柱礎に至るまで、堅固なること衆人の普く知れる所なり。去ル卯十月二日夜の大地震にも瓦少しく落たるのみにて、格別破損もなかりしが、當八月大風には地震に懲たる老若の宗者傾きかゝる家を捨、流れ漂ふ住居を遁れて、此御堂に逃籠り、弥陀の誓願地獄にて仏に會し心地なりしが、風雨追々に烈しければ、寺中の方々斯ては堅固の本堂と雖、存亡斗り難ければ、一ト先
※ 「御濱御殿」は、甲府藩主徳川綱重が別邸として建てた甲府藩の下屋敷。現在の浜離宮庭園。
※ 「寒サ橋」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『江戸名所図会 7巻 [2]』
※ 「去ル卯十月二日夜の大地震」は、安政二年乙卯冬十月二日(1855年11月11日)に起きた安政江戸地震のこと。


本尊を出し参らせんとて、御厨子より取出し奉り、籠れる人々供奉なして、對面所の方へ立退せ奉りたる。其程もなく、御本堂潰れたること、いと不思議なる事といふべし。
予が友、何某なる人、風後三日を過て、序あれば御門跡の本堂潰れし噂を聞て、立寄見るに数十万の老若男女潰れたる御本堂の瓦を下す形勢、或は、肩衣、角隠しを身にまとひ、頭にいたゞき、本堂より一町斗り隔たる置場まで銘々手に手を次て、順送りに運べるさま、その列れる人々十有余筋に立並び、殊更、瓦は一枚ツゝ故、老少是を運に労せず。
又、家根板打散たる竹木類の積上たるを、夫々に差別して縄にからぐる者もありて、其群衆、幾千人といふを知らず。さながら、蟻のつどへるに似たり。然のみならず、信者より御冥加金と号て、張札に姓名をしるし、さゝぐる者、十金以上、数多見へたり。又、施主の名をしるさずして、捧る金高は張出しよりは十倍せりとぞ。実に、此宗の繁昌思ひ知るべし。


〇 鉄砲洲は、湊町家損る事、夥数、舩松町は壹丁半程、高汐に引ゆかれ、其行方しれざるも多し。
又、佃島は西町一丁、悉く破損して、住吉明神の違木吹散て見えず。永代橋中程より東の方に七、八間、風波に押流され大舩の為に打落され、又、西の方へよりたる橋杭一こま打抜れて、往来止り、舩渡しとなる。又、大川端、菅沼、秋元、佐野、破損多く、安藤屋敷前より大橋までの往来へ大茶舩十二、三艘打上、三、四百石積の舩砕て、艫の方ばかり吹上、帆柱は箱崎へ上る。其外、橋杭三本破損の舩、大道所々に散乱さんらんしたり。
※ 「鉄砲洲」

『名所江戸百景 鉄炮洲稲荷橋湊神社』
※ 「佃島」「住吉明神」

※ 「違木」は、千木。参考:『早引明治節用集』『いろは辞典 : 漢英対照』(国立国会図書館デジタルコレクション)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『大日本国語辞典 巻3』
※ 「安藤屋敷」は、安藤長門守の屋敷のことと思われます。
〇 濱町は、酒井、水野、間部公、其外、小屋敷多く損ず。此辺も高汐来り、床上二尺四、五寸上る。竃河岸、火の見家根、飛失て、行方を知らず。松島町、悉損じ強く、人形町辺りは格別のことなし。
※ 「酒井、水野」

※ 「竃河岸」は、上の地図の「水野壹岐守」邸の堀の向かい側に「ヘツゝイカシ」の文字が見えます。
※ 「松島町」は、上の地図の「水野壹岐守」邸の隣に「松島丁」の文字が見えます。
筆者注 ●は解読できなかった文字、□はパソコンで表示できない文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖
