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【西遊旅譚/司馬江漢】(5)大坂に着し、大坂より赤穂に至る

『西遊旅譚』は、江戸時代後期、蘭学者で絵師の司馬江漢が記した長崎旅行記。行く先々の史跡名所、風土、なかでも長崎で見聞する支那船とうせん、オランダ船、出島、まぐろ漁、くじら漁などは挿絵も多くとても楽しい読み物です。天明八年(1788年)四月二十三日に芝門を出発。全五巻。

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [2]

十七日、大阪に着す。数日とゞまる高津こうづの祠より西北を望。大阪八九分見る。此地の話、事しげければ爰に略す。

※ 「事繁ければ」は、ことしげければ。する事が多いという意。

高津の祠より見る圖 高閣は西東の本願寺也
芝居川筋 木津川

※ 「圖」は、図。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [2]

天王寺石の鳥居、唐銅の額あり。小野道風の筆跡ひつせきと云。五重の塔有。其外諸堂多し。

※ 「其外」は、そのほか。

清水観音は高き所也。のぞめば、境筋見。皆畑也。浮瀬うかむせなど云 遊亭ゆうてい有。

住吉 堺へ行往来なり 西の方は海也

大坂より舩にてわたり、兵庫迄十里。摩耶まや山下さんかはしりて、すなはち  兵庫へうごに着す。市街しがい(いちまち)冨商ふせう(とめるあきびと)多し。清盛の築島、楠正成が塚あり。和田のみさき、行平の松あり。

晦日、須磨寺すまてらを過て、敦盛の石塔せきたうみる也。

※ 「清盛」は、平清盛たいらのきよもり
※ 「行平」は、在原行平ありわらのゆきひら
※ 「晦日」は、毎月の月末のこと。みそか。
※ 「敦盛」は、平清盛の甥、平敦盛たいらのあつもり

大坂天神橋より天満橋を見たる図
みえ
向所は東の方にて此川筋 淀河につゝく
敦盛墳墓 高さ九尺余
往還路に有 下は地に入と云 文字なし
須磨寺往来より二三町入


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [2]

仲哀ちうあひ天皇のみさゝぎ路傍みちのかたはら  に有。それ より垂水たるみ山の上、千壷せんつぼと云所有。みさゝぎあと也。

舞子まいこはま、松 のべふし て道中第一の佳景かけい也。夫より明石あかしに至。人丸のほこら有。門にいり石碑せきひたつる。「寛文四年甲辰明石城主日向守源信之」としるす

※ 「千壷せんつぼ」は、千壺せんつぼ古墳(五色塚ごしきづか古墳)のこと。
※ 「人丸」は、柿本人麻呂かきのもとのひとまろのこと。「人丸のほこら」は、柿本かきのもと神社。

播州 舞子濱

九月朔、加子川かこかはと云ヱキより左方ひだりのほうに入、尾上おのへかね高砂たかさごの松有。昔の松は枯て若松をうへたり。尾上の鐘、支那物からものと見たり。模様もやうは天人楽器がくきたり。

※ 「朔」は、ついたち。毎月の最初の日のこと。

尾上の鐘の圖

住吉の祠、又、山畑を越て、石の寶殿ほうでん有。此邊、大石皆山をなす。しなはち御影みかげ石也。切出す。

曽根の松は、天満てんまの祠の境内けいだいに有。祠、大社にして、老松まこと千歳せんさいる大樹也。夫より豆先の驛に出る也。

※ 「寶殿ほうでん」は、宝殿。
※ 「此邊」は、このあたり。
※ 「まことに」は、実に。

石の寶殿 山皆石


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『西遊旅譚 5巻 [2]

市の川の前より姫路の天守てんしゆみゆこゝを過て、しもと云所有。これよりいかる川へ二里、片島の驛より赤穂あかほへ三里、山に入(赤穂は往来にあらず、南海邊也)。数日、城下にとゞまる。城内大石内蔵の屋鋪門に二巴の瓦有。

五日、新塩濱と云所を見物して、三岬みさきの御神へ参詣す。社ふるび、大松海㟁かいがん(うみのきし)をめぐる波涛はたう(なみ)みなぎる。島は つらなり て、風景ふうけいよし。其ほとりより舟出し渡事、三里。坂越さこしと云に至る。舩つき市中人家じんか多し。

※ 「二巴」は、大石内蔵助が用いていた家紋。右二つどもえ
※ 「海㟁かいがん」は、海岸。

市の川有 姫路の天守見ゆる
曽根の松
甚の大松にして龍蛇のわだかまる如し
一方は枯たり

※ 「わだかまる」は、わだかまる。蛇などがとぐろを巻くこと。

坂越さこし 生島いくしま 大慈閣


参考:『西遊日記』(国立国会図書館デジタルコレクション)



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