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このストレス社会が快便にさせないじゃん#あれがそうだったのか

今年、娘が小学生になる。
ピカピカのランドセルを背負って、小学校という社会に初めて挑む。
子どもは風の子元気の子。なんて大人の都合の良い解釈で、子どもだって、いや子どもだからこそ、入学なんてイベントはストレスに違いない。そうでしょう?

忘れもしない、私が小学校に入学してすぐのころ。友達百人できるかなとかいう富士山級におめでたい曲を鵜呑みにした教師が、ピラ一枚だか二枚だかを生徒に配りこう言った。
「学校のなかの誰でも良いので、百人分、名前を書いてもらってきてね。百人分埋まった人から、ここに提出するんだよ」
人一倍シャイだった私は校内で一人取り残され、後日、何日も何日も休み時間を費やして廊下をさまよい歩き、びくびくしながら署名を頼んで回った。他の子たちはさっさと終わらせていた。あるいは、引き出しの奥にねじ込んでなかったことにしている子もいたと思う。私はそれが出来なかった。
誰もいない、がらんどうの玄関ホール。何もしてないのに心臓がバクバクして、だけど困ったアピールもできなくて。左右からの階段が合流する踊り場で立ち尽くす私を、ご立派なステンドグラスだけが見下ろしていた。

こんなの、ストレス以外のなんなんですか。なんのための署名なんですか。署名をしたからには、一緒に富士山の上でおにぎりを食べてくれるんですか?え、でも百人もいたら嫌いな人だっているんですけど。
私の中に募ったのは社交性ではなく、不安感だった。

後日わたしは給食後の掃除時間、雑巾がけをしながら泣いた。腹が痛すぎた。
周りの子どもが先生に報告してくれ、早退して母と近所の病院へと赴いた。結果、便秘だった。
今では見かけることの少なくなった和式便所で、母に見守られながら誰か大人に座薬をぶち込まれたことを覚えている。ダウンライトに照らされた灰色の壁。

思えば、そこから私のストレス性便秘人生は始まっていたのだ。
家で排便をしようにも、過干渉な親にうんこの気配を悟られたくないような気がして、愚かにも排便を我慢していた時期もある。
高校時代は便秘キャラとして、ピンクの錠剤を飲んで冷や汗の伴う腹痛を起こし、部活仲間を大いに心配させた。
これまでこなしてきた浣腸の数は百を超えるんじゃないかと思う。
センナ茶、オリーブオイル、梅流し。良さそうなものは全て試した。
たくさんいきんできた甲斐あって、出産のときには無痛分娩にも関わらずとても上手にいきめましたどうもありがとう。

ここ最近はIBS(過敏性腸症候群)の薬を飲んで少し落ち着いているが、ではこの便秘体質の終わりがいつなのかというと、きっとそれは私が死ぬときだと思う。だって死ぬんだから、どうせ代謝が落ちて、とんでもない便秘になって、そんでどうしようもなくなって、看護師さんに摘便してもらったりするんじゃないかな。ねえどうしよう、今から申し訳ないよ。

でもね、便秘って本当に苦しいの。
毒素が全身に回ってんのかなって思うくらい、慢性的に辛い。誰に訴求してんだかわかんないこんなことをツラツラと書いてしまうくらいには、私にとって便秘は日常であり、今なお続く難題。

今春、娘は便秘になるのだろうか。
我が子のランドセル姿を見てそんな心配をするのは、やはりあのときの自分が忘れられないから。
病院に行ったら、問診票にあるでしょう。【その症状はいつからですか】という項目が。それを見るたびに思い出す、あのときの私。一人で不安と緊張を抱え込んで、雑巾をかけようとしても痛さは抱え込めなくて、恥ずかしいはずなのにもう我慢の限界で、その場で泣き伏せた小学一年生の私。

小1の座薬に始まり、終わりはきっと死の間際の摘便。
そんな私の便秘人生の始まりと終わりはだいたい見当がついてきたが、さて、娘の便秘人生はこの春に始まってしまうのだろうか。




#あれがそうだったのか

こちらの企画に参加します。
本当はね、娘をひょいと肩車できた時代は終わって、あれが最後の肩車だったんだなって話を書こうと思っていたんだけど。

でも涼雨さんのこんな面白いの読んだら、クソ繋がりだかなんだか、気づいたら肩車消してこっちを打ってました。昨日の深夜。

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坂 るいす いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!