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射的ロマンを狙い澄まして

 妻との非常に穏やかな日々に突然乾いた銃声がスポン、と鳴り響いた。射的である。
 2年前の夏、近くの夏祭りに浴衣なんかを着て出かけた。互いに日照り状態の20代を経た相手と30代での結婚で、少々浮かれていたのである。浮かれついでに、在りし日の青春を取り戻そうと射的をしてみたところ、思いのほか楽しかった。獲得した押すと音が鳴るカエルのおもちゃを近くの子どもにあげ、爽快感だけを腕に残して帰路についた。
 以来、事ある毎に射的を探した。どうでもいい景品しかなくても、ポッキーの箱が異常な強靭さを誇っていても関係ない。的を射るという行為のみにその価値があった。
 かといって、銃とコルクを買って家でやるかと言われると、それは違う。あの夜の出店で、「本当は何か仕掛けがあるんじゃないか」などと邪推しながら帰る射的が良いのだ。5発500円でなんだか物足りないようなやりきれないような思いが愛おしいのだ。家で無限に撃てるのとはまた話が違う。
 その余白というか奥ゆかしさが、どこか射的に日本的な情緒を生んでいる。妻とはその共通認識があるから共に楽しめているのだと思う。

 しかし先日、点けっぱなしにしていたテレビから、日本のプロレスの試合が流れてきた。なんとなく眺めながら、
「これは台本通りなんでしょう」
「本当は痛くないんでしょう」
と言う妻に、
「痛いんじゃない? お笑い芸人がトーク盛るみたいに、相手の技を受けきった上で、観客に分かりやすく痛さを表現してるってのはあるかもしんないけど」 
と、プロレス門外漢なりに擁護をしてみたのだが、全くの平行線を辿った。奥ゆかしさにも許せるものとそうでないものがあるらしい。

 さて、射的といえば祭り以外にも出会える場所がある。ひとつはゲームセンター。しかしデジタル射的ゲームは論外である。撃ったときの爽快感がまるで無い。

 こんなことを言うと、立川談志の
『飲酒運転はいけないのはなぜか。轢いたときの充実感がないから』
なんていうジョークが思い出される。
 しかし引用しておいてなんだが、その理屈なら、射的でなく実弾が良いのでは、なんて思いそうなものである。しかしそうはならない。知らない幸せもあるのだ。

 話を戻す。ほかに射的に出会える場所として、温泉街がある。いくつかの温泉街にはスマートボールなどと並んで射的が遊べる「遊戯場」がある。
 前回に引き続き、城崎温泉。
 城崎を選んだ理由のひとつが遊戯場であった。軽度の射的中毒である。
 履き慣れない下駄でカランコロンと乾いた4連符を城崎に鳴らす。城崎は容易に歩いて回れるほどこぢんまりとしている。
 そのちょうど真ん中あたりに遊戯場はあった。ちょうど店員しかいないタイミングで中に入る。
 左には昔の手打ちパチンコが観賞用として3台飾られ、右側に射的ゾーンがある。台の上には確か8本ほど並べられて、いや散らばっている。壁には棚が5段ほど備え付けられており、上2段には景品と思われる品がズラリ。下3段には手のひらサイズの陶器でできた女性の人形がびっしりと並べられている。数にして3、400体くらいだろうか。さらにその5段の棚の上にはショーケースのようなかたちでさらに2段、景品が並べられている。最も目立つところには木彫りの熊が鎮座、いや鮭を貪り食っている。
「お願いします」
「おふたりそれぞれ?」
 40代中盤と思われる茶髪の女性が、串カツ屋で供されるような銀色の小さな皿に10発ずつコルクの銃弾が乗ったものを渡してくれた。さらに「練習」として1つ追加で渡された弾を銃に詰め、陶器の人形を狙う。
「落とした数によって景品が決まります」
 上の棚に並ぶ景品には、サインペンで数字の書かれた小さな紙が貼られていた。
 狙いすまして撃ったはずの私たちの練習弾は、2発とも人形の頭と頭の間に導かれるようにして外れた。しかし、なんだかやれそうな気がする。
「じゃあ頑張ってください」
 長年使われてきたテープレコーダーのようなセリフを再生した中年女性は、私たちが店内に入ってきたときと同じように、店の端に据えられた小さな椅子に腰を下ろした。
 2人で「胸あたりがいいのかな」などと軽い作戦会議。そして十分に狙い澄まして放つ。1発目の銃弾は中心付近を居抜き、人形は若干の破片を飛ばしながら落下した。
「落ちた!」
 妻も同様に1体落下させた。
 2発目、3発目も同様に人形が落下する。4発目を外したものの、5発目は間隔が狭い2体の肩を同時に叩き、2体同時抜きを果たした。6発目、7発目も同様に命中。

 ⋯⋯なんか、あんまり楽しくないかも。
 楽しくなくはない。撃って、ターゲットに命中し、棚から落下する。楽しいはずである。確かに楽しい。
 しかし、落ちすぎるのだ。
 苦労は売るほどしたくない私だが、射的に限ってはある程度の難しさがなければ満足できないのだ。人間とはなんと我が儘な生き物だろうか。
 いや、人間などと主語を大きくしてはいけない。古来のパチンコを並べているほどこの遊戯場は歴史がある。どうやら創業は70年ほど前らしい。つまりこの形式の射的は、私なんかの年齢よりももっと長く楽しまれ続けているのである。
 私が間違っている。
 皿の上に3発を残した状態で既に飽きの兆しがはっきりと立ち現れ、消化試合の様相を呈している、私の方が間違っているに決まっている。
 しかし、後になって聞くと、妻もやはり
「なんか違う」
と思っていたらしい。
 しかし70年である。
 私たち夫婦が間違っているのだ。
 結局私が11体、妻が9体を落とし、計20ポイントで氷上のペンギンが落ちないように氷のブロックを崩していくクラッシュアイスゲームの偽物を獲得した。その日の夜旅館で遊んで以降、今日に至るまで1ヶ月間開けていない。捨てていないだけ大したもんである。

 求めていた爽快感のほかに、射的に対する僅かな違和感を抱えたまま遊戯場を出る直前、木彫りの熊が目に入った。よく見るとその右前足に「5000」と書かれた紙が貼ってある。
 ⋯⋯5000?
 私たちは2人、20発のコルク弾で20体の人形を落とした。

 ⋯⋯5000?
 下の棚に並んでいる人形が400体だとする。全てを落としきって、そして並べ直してまた撃つ、というのを少なくとも12回は繰り返さなければならない。

 ⋯⋯5000?
 500円で10発だから、単純計算で25万円である。どんなに2体抜きが上手くいったとしても20万円はくだらないだろう。調べてみると木彫りの熊は骨董品レベルで10~40万円するらしい。(このような計算を、少々暗算が不安だったので電卓アプリを使って計算した。こんな計算をするために電卓は生まれたわけではないと思う)

 つまりこの棚の上に鎮座、いや鮭を貪り食っているこの熊は、相当な品であるに違いない。中島誠之助も仰天すること間違いなし。
 そう考えると、相当迫力ある作品に見えてくる。鮭の鱗も躍動感に満ち溢れている。
 私は乱視かつ裸眼なので詳細は全く見えていないのだが、きっとそうに違いない。 
 心なしか下駄の音はさっきよりも乾いていた。また次の射的を探す旅の1歩目かもしれないと思った。

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