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アフリカの援助慣れ🇳🇦 支援が不平等を再生産する構図が見えてきた

こんにちは、ナミビアJOCVのMollyです🌱

ナミビアで私が見聞きした現状をもとに、
本稿では具体的な例も用いながら、すこーしディープな
ナミビアの実態を書いてみたいと思います!🇳🇦



本稿の後半で、大学院時代のCritical Debates in Development Theoryという授業で学んだポスト・コロニアル理論などについて纏めてみたのですが、
自分で書いていてすごく楽しかったので、

開発学専攻の方、ご関心があられる方、もしかしたら読んでみると 開発へのパッションから 血がさわぐ感覚を覚えるかも…?👀(黙ります)

アカデミアで得た知識を 現場で実践する人間になりたいなと思う日々です。



各所で見受けられる「援助慣れ」「援助依存」

「ありがとう」を言わない人たち

これは、私の任地の中で(完全に私の主観で)最もまともで、
考え方も素晴らしく、時間も約束も必ず守る現地人と話していたことです。


私の任地では、「ありがとう」を言わない人が多い印象です。
ナミビア全土なのか、私の任地にいる民族の方々特有なのか分かりませんが…


私は、JICAの規定で ロケーションエリアという貧困地帯を一人で歩くことが許されていません。
しかし自分の勤務するオフィスはロケーションの中にあるので、通勤・退勤時はいつも、配属先の関係者に車で送迎してもらっています。

そこで私を迎えにきてくれた人の車に、
私の同僚がしれっと乗り込むことが よくあります。

そして まるでタクシーにでも乗ったかのように、
「○○(場所名/建物名)!」
とだけ伝え、当たり前のように目的地まで送ってもらい、
「ありがとう」とは言うことなく 降車していきます。

何か言ったとしても、Sharp!(じゃ!)くらいです。


日本人脳の私からすると、まず乗せてもらう時には
「僕も乗っていい?」「私も○○まで送ってもらえる?」
と聞きそうなものですが、

「○○!」と場所だけ ぶっきらぼうに伝えているように 私には見えます。



ある日ふと、「Thank youって言ってるの、私だけじゃない…?」
と気がつきました。笑

そして私が Thank you と言うと、(これはナミビア全土の話かもですが)
Welcome や Pleasure と言う人は、正直多くありません。
皆、Okay、Alright、もしくは何も言わないかです。
ここで、「皆、あまり Thank you って言われ慣れてないんじゃないか」
と思い始めました。
もしくは、普段わざわざ Thank you と言わない/言われない から、
返し方が分からない/「どういたしまして」のマインドが無い
のかなとも思います。



思い返してみると、宿のスタッフをさっと手伝った時も、
「ありがとう」って言われたこと あんまり無いな…
むしろ当たり前のように、「Molly、これ!」と何か物を渡されて、
手伝うよう促されたり。

個人的には別にそれでもいいのですが(自分が蔑ろにさえされなければ)、
よくよく考えると、「何かしてもらうのが当たり前」な風潮があるのではないか、と思い始めました。


先述の(私の勝手な主観で)この街イチまともな現地人に、この状況に関し
「皆、何かしてもらうのが当然(deserved)と考えているからなの?」
と聞いてみると、答えは "Yes" でした。。


逆に捉えれば、give & take の考えが及ぶ前に、理由もなく助け合う文化
なのかも知れません。わざわざ「ありがとう」と言う必要がないのかも。
自分が助けが必要な時も、当たり前のように助けてもらうから。



ただ、この「何かしてもらうのが当然(deserved)」の考え方って、
裏を返せば「援助慣れ」、ひいては「援助依存」に繋がるのではないかと
考えざるを得ませんでした。





援助されて当たり前?

やはり歴史や国家間の関係維持・構築の観点から、

Global NorthがGlobal Southに対して開発援助を行うという構図は

簡単に言ってしまうと よくあるものなのでしょう。


外交的にも、開発援助は非常に重要な役割を果たします。

日本のASEANでも立場などを見れば、一目瞭然です。


日本がASEAN諸国への開発援助を辞めてしまったら?

アジアの力関係は大きく変わり、日本の立ち位置は考えたくもないくらい

脆いものになるでしょう。それはもう大変なことです。




しかし、長年 Global North(主にドナー側)の間で問題視されているのは、

Global South(主に援助の受益国)が「援助慣れ」していること。

受益国の国民には、「援助されて当然」と考える人が多くいます。

そして、無意識にも援助に依存している人々が、かなり多いです。




私がナミビアに来てまだ日の薄い頃、

”How do you contribute to this country?” と聞かれて、

一瞬固まりました。

何を言っているんだろう、と思いました。


なぜなら、これを言ってきたのは、ナミビアの首都にある私立校で、

超安定職についた ジンバブエ出身の教師だったからです。


持っているもの、着ているもの、食べているもの、

全てが先進国水準のこの方。

「この方は、逆に何がこれ以上必要なの?」と思ってしまいました。


正直、ボランティアで来ている私が日本で持っているよりも、

良さそうなものを身につけ、好きなものを好きなだけ食べている、

そんなふうに見受けられる先生でした。



”How do you contribute to this country?”

この質問が、例えば私が スラム街で調査をしているときに

住民に聞かれた、とかなら よく理解できます。


でも個人的な視点では、その教師の方よりも、

苦しい生活をしている人が、日本にも一定数いる、と感じました。





でも支援を必要としている人は確実にいる

アパルトヘイトなどの歴史の延長で、驚くほどナミビアは格差が大きい

あまりにも大きすぎる差を、任地でまざまざと見せつけられる日々です。


  支援を必要としている人は、本当に多くいます


実際に住居や ハンドメイド品の販売所を見せて貰ったりしている中で、

絶句するような状況での生活を余儀なくされている人も、います。



小さな子どもを2人と、病気で寝たきりの小学生を抱えながら、

必死の思いで ハンドメイドのクラフト製品を作り、

観光客もあまり来ないような私の任地で、移動することもままならず、

観光客向けにその製品を売ろうと、毎日店頭に立つ。

(店といっても、瓦礫のような板、木の枝、捨てられていたのであろう網を

なんとか組み合わせて作った、ぼろぼろのテントのようなもの)



その店のお父さんが、「僕たちの生活のために何か買ってよ」

と私に言いました。


ナミビアに来て、散々「これ買いなよ!」「いくらにしてあげる!」と

押し売りされそうになってきましたが、

彼の客引きの言葉が、最も自分に刺さりました。



援助による利益の分配のされ方が、公平というよりも、

本当に支援を必要としている人”people in need”に適切に回ってほしい

そう強く思わざるを得ませんでした。


右手:幹線道路沿いの、手造り製品の販売所。ご覧の通り、降雨時や砂嵐の際は大惨事。
左手:最近ロケーションエリアに引っ越していった 別の家族が住んでいた家。
4畳半程度。右手の販売所のような枝の骨組みに、布を貼っただけの壁。





支援が不平等を助長する?

不平等の再生産


長期的な視点で開発援助を見た時、

支援は構造次第で、既存の不平等を強化することがあります。


これが俗に言う「支援が差別・不平等を再生産する」状態でしょう。

善意の支援であっても、既存の権力関係や格差を強化してしまうことがある、ということです。これは 正しく、「慢性的脆弱性」と呼べるでしょう。




ちょっとアカデミックに偏った物言いにいなってしまいますが、

理論的背景としては、以下 大きく4つが挙げられるかと思います。


1. ポスト開発論 - Arturo Escobar

「開発」という概念自体が西洋中心の価値観の押し付け


2. 権力と知識 - Michel Foucault

誰が「問題」を定義するか = 権力そのもの

→ 援助も同じ


3. アクター志向アプローチ - Norman Long

現場では、人々が主体的に 支援を“利用・交渉”する


4. Humanitarian critique - Didier Fassin

人道支援は「誰を助けるか」という政治的判断





現場で何が起こっているか


① 誰に支援が届くかの偏り

  • 情報にアクセスできる人

  • 地元リーダーとつながりがある人

  • 自治体・政府・援助機関への申請書類を用意できる人

元々強い人がさらに得をする
個人的には、こういう人たちが「援助慣れ」していく印象にあります。


② 「代表者」に権力が集中

  • コミュニティ代表

  • NGOカウンターパート

→ これらの人々が、資源配分をコントロールしたりする
 = 縁故主義(nepotism)
→ このシステムによって、地域全体が「援助依存」の沼に…


③ 外部アクターが構造を固定

  • NGO / 国連が既存リーダーに依存

  • 「扱いやすい人」を選ぶ

既存の不平等が強化される


④ 援助依存

  • 支援がある前提で行動

  • 自立インセンティブ低下

→ 長期的には 格差の固定化


⑤ カテゴリー化による排除

  • “vulnerable group”の定義

  • 対象外の人が排除される






例:Cash Transfer制度

例えばナミビアでは、”cash transfer”という、現金給付制度があります。

ナミビアは実は、アフリカでもトップクラスに整ったcash transfer国家です。


社会保護に係る支出は、なんとGDPの約4.5%

非拠出型支出の約7割が現金給付(cash transfer)と、

現金給付が中核となっています。



このcash transferは主に、

① 高齢者年金(←大半がこれ)

② 障害者給付

③ 子ども向け給付(※子ども向けはまだ少ない・約18%)

④ 緊急時cash(※干魃やコロナなどにおける人道的現金給付)


の4種類に分けられます。



しかし、この制度には大きな課題があります。

それは、

A. 若者が抜け落ちていること

→ この国の最大の課題の一つ、失業者の多く、若者に対するcashが弱い


B. 子ども・若者への配分が少ない

→ 高齢者に偏っている


C. cashだけでは足りない

→ 教育・保健・雇用などのサービス連携が必要




つまり、制度としてのcashはあるが、接続が弱いということです。


ナミビアでは、確かにcash transfer制度自体は存在するものの、

それが”単独で存在している”がために、

お金は配るけど そのあとは放置、という状態になっているのです。



本来あるべき姿はきっと、”お金とサービスのセット”です。

例えば、

  • cash + education

  • cash + health

  • cash + employment


しかし現実は、

  • 給付を受けても仕事に繋がらない

  • 若者がスキルを得る導線がない


つまり、

cashが人の人生を変える設計になっていないのです。




要するに、これは持続可能な支援になっていないと言えるのではないでしょうか。




政府が「支援対象者」を決め、そこから漏れ落ちる人が大多数。

この制度をうまく利用できる人も、書類やインターネットにアクセスのある人たちのみ。


これでは、いつ来るか分からない観光客向けに 炎天下でハンドメイド品を販売しながら、子ども3人の世話をしている、例の店の両親たちはどうなるのでしょう。

水も電気も無い生活で、両親のどちらかが、壊れかけの小さなオイルタンクのようなものに水を汲みに行き、もう一方が店と子どもを守る。

この両親たちは、きちんとcash transferの恩恵を受けているでしょうか。

「支援対象者」に入っているはずであり、”vulnerable groups”にも確実に入っているはずの彼らが、”most in need”な人たちが、

国の立派な支援制度から漏れているのは何故でしょうか






まとめ🌱

結果的に、取り止めもない文章になってしまいましたが(毎回ですね😇)、

ナミビアの実例と、アカデミアの理論を掛け合わせて考えてみました。


長年、Global Northの「援助疲れ」が叫ばれていますが、

それに比例するように 受益国側での「援助慣れ」「援助依存」は深まっている側面もあるのではないでしょうか。

勿論、支援を受けて自立していき、ドナー側に回る国もあります。
戦後の日本もそうでした。

他方、LDCでなくとも、”受益国”側に取り残されていく国もやはりあるのです。

当然、紛争や環境、歴史的過去など、さまざまな要因が複合的に絡み合うため、一概には言えませんが。



ナミビアのように中所得国と呼べるような国であっても、国内の格差が大きく、

真に支援を必要としている人は多くいます

中所得国であっても、課題はたくさんあります。

緊急性の高いものから手当たり次第、政府も国際機関も、他国も頑張って取り組んでみるも、やはり取り残されてしまう、left behindされてしまう層がいるのは事実です。



“根本解決”など、言うは易しで なかなか具現化させられるものではありません。

しかし、“根本解決”を目指さないと、いつまでも自転車操業で、
永遠に解決の糸口が見えないイタチごっこになってしまう。



開発援助の在り方は、世界中で超優秀な研究者の皆様が考えておいでなので、私は一旦ここで落ち着こうと思いますが、

現場で実際に援助依存の構図を目にし、取り残されている層を確認し、

とにかく何か、少しでも持続可能性のあることをしなければ。

取り残されている人たちにも届くことをしなければ。と考えています。



また何か思いついたら、色々書いてみようかな〜と思います。

今度は、ナミビアの良いところ、壮大な自然についても
載せていけたらと思っています○



本稿も ご精読ありがとうございました🇳🇦

それではまた。Sharp, sharp!👋


私の任地のダンピングサイトの一角。
ゴミの山が かなりの距離続いている。
ナミビア北部派遣のJOCV環境教育隊員たちに ゴミの処理について聞いてみると、
人々が分別せずにゴミを捨てるのは、分別を仕事としている人がいるからだそうだが、
私の任地には 分別の仕事をしている人は、一人しかいない(or 一人いた)らしい。
ゴミ問題については、また別の投稿で ご紹介したいと思う。
課題は山積み。


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