ベクトルと逆ベクトル
仕事終わりにnoteを開く。
南の島に住んでいるフォロワーさん、今日の津波警報で怖い思いをされた。
自分が無事でも、台湾の人を案じる気持ちで心がざわつくと書いていらっしゃった。
わかる。
阪神大震災で身内が無事だったことを誰かに言うのが申し訳ない気持ちに似ていると思った。
被災当時も、阪神大震災以降の災害で同じようなことを言っているテレビを観ても気づかなかったのだが、シマななこさんの呟きを読んで思ったことがある。
無事でよかった、安心したという言葉は、心の底から言っていい。
その言葉には、もちろん自分たちが無事でよかったというのもあるが、別種の「よかった」が含まれている。
知り合いの誰も悲しませないで「よかった」
自分たちの身を案じている誰かを安心させることができて「よかった」
自分の無事は、自分以外の誰かにとっても「よかった」ことなのだ。
だから誰に遠慮することなく「よかった」と言っていい。
台湾の無事を祈る気持ちとは分けて考えていい感情なのだと気がついた。
ダブスタでもなんでもない。
点Pから出るベクトルに、向きが逆で大きさが等しい逆ベクトルがあるだけだ。(数学言語的にあってるかは無視)
だって本当に怖かったと思う。
過去の恐ろしい映像が頭に浮かぶなか、お子さん二人をはげましつつ、災害が起きたあとのことも覚悟しながら、生きた心地のしない時間をやり過ごしたのだ。
安心して何が悪い。
共感は美徳でもあるが、自分の心を押さえ込んで他者の痛みを慮ると、警報解除までに怯えていた自分の心が嘘になる。
家族の無事を喜ぶ当たり前の気持ちに殺虫剤を撒くようなことは絶対しなくていい。
でもきっと、現地で言うのは難しい。
今回、日本側は実際の災害につながらなかったからいいものの、実際に事が起きれば、みんなが自分の感情に遠慮する。
嬉しさも、悲しみさえも。
もちろんまだ油断はできないし、憂いを薄くするための準備など、大変なこともあると思う。けれど、シマななこさんとご家族が無事で本当によかった。
私はシマななこさんにとって、最近知り合った馬の骨である。
けれど私の「よかった」に対して、「馬の骨を安心させられて『よかった』」と、心の底から思ってもらいたい。
ひと安心できたことを、何の後ろめたさもなく喜んでもらいたい。
私は今、台湾の人々の無事を心の底から祈るのと同時に、日本の人々の無事を心から喜んでいる。
