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#はじめて切なさを覚えた日

山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。

ショートエッセイ

「せつなさ」は相手への期待から生まれる感情のようなもので、期待していない相手から同じことをされても何も思わないのだ。
それは、恋人や片想いの相手に対してだけ抱く感情なのではない。親や兄弟、姉妹、友人など、身近な存在に対しても生じる感情なのだと思う。親が期待した通りの言葉を返してくれない時に抱く感情も、胸がしめつけられるような「悲しさ」や「つらさ」がある。

確かにあの時、私は、「せつなさ」の中にいた。大学三年生のクリスマスイブの夜、駅前の道をどこに向かっていたのだろう? バイトの帰り道だったのだろうか? それすらも覚えていないのに「せつなさ」だけが今も残っている。はじめて切なさを覚えた。


クリスマスイルミネーションが照らす道を、向こうから見覚えある歩き方の男性が近づいて来た。その横ではなく、その後ろに地味な服装の、髪の毛もただ伸ばしただけに見える女性がはにかんだ様子で下を向きながら歩いている。全身の力が抜けた。それなのに心臓の刻みだけ倍になった。


彼の「言語」に合う女性を見付けたのだろう。


彼と私は使う「言語」が違ったのだ。だから、最初から噛み合わなかった。ただ、彼の才能に惹かれていた。ジャズオケの先輩で、ジャズバーや結婚式場でも演奏するような人だった。誕生日には、自分の作った曲の音源をくれたが、それは私宛てに特別に作られたものでないことは知っていた。たまたま、その時、作っていた曲をカセットテープに録音しただけのことなのだ。彼に誰かを喜ばせようなんていう「感情」はない。


一度、会話が弾んだ時があった。
「こういう話をするの好きでしょ?」
彼は微笑した。


要点しか話せないつまらない人だった。
「モールス信号」のような人だったのだ。でも、あの頃の私は、人間性よりもその人の「思考」や「賢さ」「才能」に惹かれていた。


人としての価値は、それだけでは表せない複雑なものだと気付いたのは、もう少し後のことだった。


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