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母のふしぎ

昨年の夏から母と同居をしている。
時折、ふしぎだなと思うことがある。
週末に、母と食料を買い出しに行くのだが、車から降りた途端に、入り口と逆の方向に歩いてしまう。

手芸用の布を購入するために、食料品店に併設された100円ショップに寄ることを、私はリハビリだと考えているので、母に先を歩いてもらっている。
100円ショップの店内は、細い路地のようで、わりと難しい構造になっている。「布コーナー」に自力で辿り着けるようになるのに、一年ほど要した。

そんな危うい方向感覚を持ちながらも、仕事をしていた頃からおきまりのコースで行っていた「かかりつけ医院」には、一人で行けてしまうのだ。
そこへは、私が仕事へ行くときに、今は大学二年生になった長女をバス停に送って行った頃から、母にも一緒に車に乗ってもらい同じ場所で降ろしていた。そこから歩いて10分ほどで「かかりつけ医院」に到着する。今は次女と一緒に降ろしているのだが、前からやっていることは、案外、今もできてしまったりするのだ。

そして、ショッピングモールの洋品店で雇われ店長をしていたこともあって、今もどこにも行かなくても、身なりを整え、お化粧をしている。
先日、三つ編みをしていたので「高校生みたいだね」と私が言うと、うれしかったらしくて涙ぐんでいた。

そんな母なのだが、気に入ったものじゃないと身に付けないところがあり、帽子はかれこれ50年使っているというので、同居をし始めた頃にも一度、母に自分で選んでもらって帽子をあげたことがあった。でも、どこか自分に似合わないと思ったらしく?、依然として50年ものの帽子をかぶっていた。
そう言われてみると、私が子供の頃の写真に写っている母の帽子は、これだったのかもしれない。(そこまでよく覚えていないけれど🙄)

同じく、ショルダーのかばんも、だいぶ年季が入っていたため、この三連休に、帽子とかばんを買いに行った。
ショルダーのかばんは、ポケットがたくさんあるものを使っていたので、同じタイプのものを勧めると、わりとすんなりと「これにする」と決めていた。

それでうれしくなったのか、近くに展示されていた帽子をかぶり出したため、帽子売り場へ直行した。そこで、いくつかの帽子を試しているうちに、「これだ!」と表情が輝いたものがあった。

そして、帽子も購入する運びとなり、今度は「靴が……」というので靴コーナーも回ることにした。店員さんにじっくりと話を聞いてもらい、自分の足にぴったりの靴を買うことができた。
それまで履いていた靴も、いったい何年履いていたのだろうと思うようなぺったんこの靴だったのだ。

そして、今日は、娘の体育用の白いソックスを買いに近くの洋品店に寄った。昨日は、母のものしか買っていなかったので、涼しそうな黒とグレーと白のチェック柄の「ぷちプラ」チュニックを自分用に購入した。


自宅に戻り、夕食を作り、母がテーブルに着いた時、私は自分の目を疑った。

(え、さっき私が買ったチュニックを母が着てる?わけじゃないよね?)

なんと、母は待っている間に、私が選んだのと全く同じチュニックを買っていたのだ。

こんなことってあります?

この年でお揃いなんて、ちょっとむりなんですけど……と思いながら、家族にからかわれたひと時となった。



とはいえ、もともと苦手だった母との同居。
どう過ごしているのかというと、家の中で、ほどよく距離を取りながら住み分けをしているのです。
同居は、もう一度「家族」になることではない と思っていますので。

母の毎日の手芸で作ったもの
これは私にくれた袋で
もっとたくさんあるんです🫢
職場に今度、海外のお客様が来るので
プレゼントに使ってもらう予定😅