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【小説】「君と見た海は」第五話「キドクガツカナイ日」

五木田洋平さんの音楽「Like a beautiful tide」を使わせて頂きます。

第五話「キドクガツカナイ日」


キドクがツカナイ日
あなたの思いより私の思いの方が
より大きい重みがある状態であることに気付く
ただの友達ではないはずなのに、心細くなる
ため息まじりの春
気がつくとあなたからの返信を待っている

 翔太が寮に行ってしまってから、週に一度LINEを送っていた。特別な気持ちを伝えているのではなく、その週にあった出来事を短く日記のように翔太に伝えるものだった。土曜日に送信すると、翌週の水曜日くらいになってようやく既読が付く。この一か月の間、返信が来たことはなかった。翔太は私のメッセージを読んでいるのだろうか? 明日、会ったら聞いてみたかった。

 翌朝、早めに起きて出掛ける準備をしていた。翔太と出掛ける時には、はっきりとした時間を約束したことはない。でもなんとなくこの時間に迎えに来そうだという読みは当たる。
 母は私の様子を見て、いつもと違うことに気付いたらしい。
「あら、ひとちゃん、今日は何かいいことありそうね?」
 母親の勘は鋭い。ちょうどその時、玄関の呼び鈴が鳴った。ドアの開く音と同時に母の声が響いた。
「あら、翔太くんじゃない。元気にしてた?」
「おばさん、仁海ひとみちゃん、久しぶり」
 翔太の声が、玄関の向こうから聞こえてきた。私は懐かしさと、嬉しさとで蓋をしていた感情が溢れそうになった。それに気付かれたくなくて、母の顔を見ずに玄関を後にした。

 私たちは無言で歩いていた。行先も相談していないのに電車の駅に向かっている。浜の香りはいつもと同じように漂っているのに、私の気持ちは沈んでいた。
「仁海ちゃん、久しぶりだね」
 最初に口を開いたのは翔太だった。
「うん」
「元気だった?」
「元気じゃない」
「どうして?」

 私は翔太のデリカシーのなさに苛立っていた。下を向いたまま無言で歩いた。気まずい雰囲気が漂っていた。約束しなければ良かったのかもしれない。後悔が少しずつ募った。不意に翔太が立ち止まった。
「ごめん! 仁海ちゃん。何も連絡できなくて」
 翔太が顔の前で両手を合わせて申し訳なさそうにしていた。
「私のこと、忘れてたでしょ?」
「忘れたわけじゃなくて毎日慣れないことだらけでさ、寮に帰るとへとへとになっちゃって九時頃寝てたんだ」
「えー! ほんとかな?」
「でも、ちゃんと読んでたよ。仁海ちゃんは一年三組で担任の先生の名前は牛田先生でしょ? それに最近、美術部に入った」
「へぇ? 読んでくれてたんだね。じゃ、許す!」
「だって仁海ちゃん、機嫌悪いと一言も喋ってくれないんだもん」
「じゃあさ、今日はどこに向かってるの?」
「それはね、仁海ちゃんの好きな場所。近づいたら分かるから楽しみにして」
「うん。だいたい分かる」
「そう?」
 私は笑った。久しぶりに心から楽しいと感じた。電車に乗る頃にはよそよそしさは消えていた。

 車窓に映る景色を見ながら翔太は水産学校の話をしてくれた。
「僕たち一年生は、本当に見習いなんだ。だからあらゆる雑務が回ってきてね・・・・・・」
 翔太は寮生活の過酷な毎日について語り出した。起床時刻よりも早く起きて一年生だけで掃除をすることや、朝食前に「自主練」という体力作りの時間があることに加えて、校歌を毎朝、寮生全員で熱唱することなどを聞かせてくれた。体力作りをしておかないと海上の生活が成り立たないのらしい。一年生の主な実習は基礎的なもので、小型船に同乗して近くの漁場まで出掛けたり、カッター訓練やカヌー実習をしたりするのだそうだ。
 そう言うと翔太は自分の右腕を出して、中学生の時よりもたくましくなった筋肉を見せてくれた。
「そういう話を時々、LINEしてくれたらいいのにね」
 私が意地悪そうな目で言うと
「それがね、僕は文字を打つのにすごく時間がかかるから、途中で眠くなる」
「じゃあさ、スタンプっていうのあるの知ってる?」
「あ、時々仁海ちゃんが送ってくるイラストみたいな四角いのかな?」
「そう、それそれ! 四角くないのもあるけどね。今、教えてあげるから是非、次回から使ってみて」
 私は返信欲しさに一生懸命、翔太にスタンプ機能の使い方を伝授した。そんなことをしている間に目的地の駅に到着した。
 目的地は「アクアリウム」だった。翔太は私がLINEで水族館に行きたいと言ったことを知って、覚えていたのだろうか?
 イルカショーの時間がもうすぐだからと、翔太は最初に外のエリアに私を連れて行った。ファンファーレの音楽と共に、間もなくショーが始まった。イルカは本当に賢い。スタッフの人と息を合わせてジャンプをしたり、輪をくぐったり、ボールをつついたりして楽しませてくれた。その後、メインホールの巨大な水槽で色鮮やかな魚の群れを見た後、二階奥のブースに向かった。

 奥のブースに入った途端、そこは異世界のようだった。真っ暗な空間に浮かび上がるミズクラゲは、LEDの色に染まってゆらゆらと漂っている。見渡す限りどの方向を向いてもミズクラゲの水槽が広がっていた。群青色や薄紅色や、淡い黄色に輝く透明で円形のミズクラゲは、その体を柔らかくふわりと揺らめかせて、自由そのものに見えた。ミズクラゲの世界を、美術部の作品に描いてみたいと思った。

「ねえ、仁海ちゃん。ミズクラゲがね無色透明なのは自由だからなんだ。海辺にいるミズクラゲは良く見ないと見えてこない。でも、こうして光を当ててあげるだけでこんなにも輝いて見える」
 私も同じことを考えていた。無色透明であることは、様々な色に光る自由をもっているのかもしれない。
「無色透明であることは、周囲から必要なものを吸収できる権利なんだ。今、僕と仁海ちゃんが離れ離れでいることにもきっと意味があって、今はそれぞれに何かを吸収するべき時なんじゃないかなぁ?」

 そう言いながら、翔太は私の手を優しく握った。その手は以前とは比べものにならないくらい逞しくて、優しくて、哀しかった。
「僕がずっと一緒にいると、仁海ちゃんは自分で自分の人生を歩けなくなる。そんな気がするんだ」


 翔太は私と別れたいと思っているのだろうか?


*   *  * 

 五月になってようやく僕は、仁海ちゃんにLINE電話をすることができた。久しぶりに聞いた彼女の声が懐かしくて、一気に時が戻ったかのようだった。そして、予定より早く突然帰省できることになったので、唐突にも明日会う約束をした。彼女の家を訪ねると、ドアの向こうで懐かしいおばさんの声が元気に外まで聞こえてきた。
「ひとちゃん、翔太くんよ」
 仁海ちゃんに会うことを心待ちにしていた僕は、どきどきしていた。久しぶりに会った彼女は、以前よりも大人っぽくきれいになっていた。

 サプライズしようと思った僕は、返信できなかったけれどLINEで知った、仁海ちゃんが行きたい場所を目的地に選んでいた。
 久しぶりに再会した僕たちは無言で駅に向かっていた。ぎこちない空気を浜の香りはいつもと同じように包んでくれていた。

「仁海ちゃん、久しぶりだね」
 僕は沈黙に耐えきれなくなって思わず先に話し掛けた。
「うん」
「元気だった?」
「元気じゃない」
「どうして?」
 彼女は怒っているようだった。さっきよりも、さらに気まずい雰囲気が漂っているのを消し去りたかった。
「ごめん!仁海ちゃん。何も連絡できなくて」
 僕は誠意を込めて詫びた。
「私のこと、忘れてたでしょ?」

 到着した電車に揺られながら、僕は一生懸命に自分の一ヶ月間について語った。水産高校がいかに過酷な場所であるかを仁海ちゃんに説明した。
「寮生活ってね、まるで昭和にタイムスリップしているみたいなんだ」
「どんなふうに昭和なの?」
 起床時刻よりも早く起きて一年生だけで掃除をすること、朝食前に「自主練」とは名前ばかりで全員参加の体力作りの時間があることに加え、校歌を毎朝、寮生全員で熱唱することなどを話した。仁海ちゃんは、珍しい話に興味津々のようだった。
 体力作りは一年生の必須科目のようなもので、そこを怠ると海上の生活が成り立たない。基礎的な実習を中心に行っている。日々の体力作りに勤しみながら、カッター訓練やカヌー実習をしたりしているうちに、腕力がめきめきついていった。一年生の最終的な目標は、小型船に同乗して近くの漁場まで出掛けて漁をすることだ。
 
 寮生活の過酷さや、学校の授業では実践が多く体力を使い果たしてしまうことなどを伝え、仁海ちゃんに、どうして連絡が取れないのかを説明した。それでも、仁海ちゃんには全く届かないようだった。どうしてもLINEで連絡を取りたい様子だった。スタンプ機能というものを説明してくれたのだが、どこを押したらそのスタンプが出てくるのか、ちっとも頭に入ってこなかった。
 
 仁海ちゃんのことを、今でも中学生の頃と同じように大切に思っている気持ちはある。でも実際に会って話をしてみると、仁海ちゃんは、まるで時間が止まっているかのように中学生の頃と変わっていないように感じたのだ。
 
 まだ一ヶ月しか経っていないのだから変わっていなくても当然なのかもしれない。でも僕が心配になったのは、気持ちを過去に置いてきてしまっているように見えたことだった。
 僕のことをただ待っているだけで高校生活を終わらせてしまうのではないか? 彼女のことを思えばこそ心配になった。だから僕は決断をした。

 彼女が前から行きたがっていた「アクアリウム」でこんな話をすることになろうとは思ってもみなかたった。水槽の中で浮遊しているミズクラゲが、哀しそうに見えてくる。

 「ミズクラゲが無色透明であることは、周囲から必要なものを吸収できる権利なんだ。今、僕と仁海ちゃんが離れ離れでいることにもきっと意味があって、今はそれぞれに何かを吸収するべき時なんじゃないかなぁ?」
 そう言いながら、僕は仁海ちゃんの手を優しく包んだ。その華奢な手を守ってあげたいと思う気持ちは僕だって変わってはいなかった。

 でも同時に、僕がずっと一緒にいると、仁海ちゃんは自分で自分の人生を歩けなくなってしまう。そんな気持ちが湧いてきたのだった。