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#私の岩波文庫「音楽と音楽家」シューマン著

山根あきらさんの企画に参加させて頂きます。

岩波文庫「音楽と音楽家」の話をする前に
シューマンについての略歴をどうぞ


出版業を営む家に生まれたシューマンは13歳の頃から文筆にも関わっている
文学少年だった。ゲーテやシェークスピアなどの名作を愛読したシューマンは自分のことを「音の詩人」と呼んでいる。

シューマンの父は、文学者を志し大学で学び、書店を開業した後、出版社を設立し、スコットやバイロンの翻訳全集などを出版した。父親自身も中世の騎士や修道士を題材にした物語を書き、商業的な論文や雑誌の編集もこなしたていた。事業に成功したアウグストは土地の名士となっていた。シューマンが音楽の道を志すことも心から賛成していた。
シューマンが音楽に目覚めたのは、7歳のときに父と一緒にベート-ヴェン交響曲を聴いて感動し、このころからピアノで小さな舞曲を作曲し、周囲の注目を集めるようになった。

父の編集を手伝いながら古今の文学書に親しみ、詩や戯曲を書くようになった。13歳のときには父が刊行する雑誌に短文を寄稿し、1828年にはシューマンの詩が夕刊紙に掲載された。
15歳でドイツ文学サークルに入り、リーダー的存在となる。特にシラーとゲーテは彼にとって偶像的存在となった。

音楽や文学を好んでいた彼は、母親の勧めでライプチヒ大学法科に進学し、法律の勉強に取り組もうとするも、大学の講義への出席率は次第に低下していった。シューマンは母親への手紙に、冷徹な法学を好きになれないと書き送っている。

シューマンはピアノを入手し、学生仲間の中から弦楽器奏者を見つけて室内楽の演奏に熱中するようになり、音楽への道を切り開いて行った。

ここまではWikipedia調べ
伝えたいところを要約しています

シューマン著/吉田秀和訳
「音楽と音楽家」岩波文庫

この時代にシューマンが書いた文章をきちんとした形で読めることに、まずは「岩波文庫」に感謝をしたい。

シューマンが音楽評論家として書いた論文であるにも関わらず、彼は自分以外の人物を登場させてドラマチックに音楽について述べている。

情熱的なフロレスタン
論理的に分析するオイゼビウス
冷静な判断の意見を述べるラロー先生
そして本人ロベルト・シューマン

ショパンについて述べた《作品二》では
まるで小説のように、または演劇のようにその素晴らしさを語っていた。

引用
オイゼビウスはまるで霊感がのりうつったようにひいた。(中略)この変奏曲はきっとベートーヴェンかシューベルトが書いたのだろう、何しろこの二人は大変なピアノの名人だったのだから、といった。ところが表紙をめくってみると意外にも、
「その手をこちらに。
 管弦楽の伴奏をもった ピアノ変奏曲
 フレデリック・ショパン 作品二」
と書いてあるので、さすがの僕らもびっくりして、思わず「作品二だって!」と大声を上げると同時に、腹の底から関心したので顔が真っ赤にほてった。こうして何か大声でわめくほかは、「ふん、こいつは何とか話せるぞ―ショパン―そんな名前は聞いたことがないよ
どんな奴だろう―とにかく天才だよ

シューマン著/吉田秀和訳
「音楽と音楽家」

シューマンが無名の新人だったショパンをこのように紹介したことからショパンが世に知られるところとなったのだという。後に、ブラームスについても彼が紹介することで波紋を引き起こした。シューマンの寵児としてブラームスの新作の一つ、一つが激しい非難と支持の的になった。
その翌年からシューマンは精神病院に入院することになる。

シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」
訳者あとがきより


シューマンの妻クララが、後に熱心にブラームスの相談に乗ったのは、当初には、こうした夫が引き起こした災いについての謝罪的な意味合いもあったのかもしれない。と私は推察する。ちなみにブラームスはクララに対して恋愛感情を抱いていたらしく、生涯独身を通したのだそう。


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