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【小説】「騙される快楽」第三話

第三話【全六話】


《今朝のお天気は雲ひとつないアオゾラ! こういうの秋晴れっていうらしいです。会社の人、教えてくれた。莉子さん、今日もいい日になりますように》
 蓮さんからの朝の定期便は、いつも写真が添えられている。写真から澄み切った空気感まで伝わってくる。私はすぐに返信をせずに急いで駅に向かった。

 ネイビーのパンツに黒のジャケット姿、長い髪を緩くウエーブしている仕事のできそうな女性が、雑誌を手に取った。近づいてみると女性が見ている表紙が「ウーマンズアイ」9月号だと分かった。私は小さくガッツポーズをした。毎月発刊日には、出社前に駅構内のコンビニに立ち寄ることにしている。こうして実際に手にしている姿を見掛けると、断然、仕事への熱量が高まる。

 雑誌コーナーに並ぶ「ウーマンズアイ」9月号を写真に納め、蓮さんに送信した。
《今日が発刊日です。たくさん売れるといいのですが》
《莉子さん、きっと大丈夫! 僕が買い占めます(笑)》
 いつもながら、海外育ちの蓮さんのユーモアに顔が緩む。彼の写真やメッセージのおかげで、朝の満員電車が以前ほど苦痛ではなくなった。電車に揺られると、仕事スイッチが入る。

 今朝は「ウーマンズアイ」を手にしてレジへ向かう女性を見掛けることができていい一日になりそうだ。初稿から何度も修正を入れた我が子同然の雑誌が、読者の手に渡っていくことは、嫁に行く娘を見送る気持ちに似ているのではないだろうか?

 それがもしも廃刊になってしまったら、私は仕事上の活路を絶たれてしまう。今月号の売れ行きが、先月よりも良くなることを祈った。読者アンケートは、工藤君がオンライン制作部署に来てから、以前よりも簡単に弊社HPから誰でも送信ができるようになった。送信した人の中から抽選で人気ドーナツ店のギフトカードが届くとあってアンケートの応募者数は毎月少しずつ増えていた。

 「ウーマンズアイ」のウェブ版も、今では紙の雑誌と並ぶ看板になっている。内容は同じなのに、リンクで予約や購入ができる点が受けているらしい。便利なのはわかっている。でも、紙の雑誌を手に取ってもらう嬉しさには敵わない。そう思うと、今日はいつもより少しだけ気持ちが軽かった。最寄り駅に到着すると、そのまま足早に会社に向かった。

「木村さん、アンケートが、もう届いてます」
 同僚の溝口さんの声は弾んでいた。対面のデスクから微笑み掛けてくる笑顔が眩しかった。きっと彼女のコーナーの読者から嬉しいコメントが届いたのであろう。
 溝口さんは、「ウーマンズアイ」で毎回人気のファッショントレンドコーナー担当だ。今日の彼女のコーディネイトは、ハイウエストでスラッとした秋色のオレンジパンツで美脚ラインが強調されている。トップスは、落ち着いたブラウンの短め丈アンサンブルニットで秋を先取りしている感が漂う。それに比べて私は、毎日、似たようなジャケットにパンツの組み合わせを制服のように繰り返しているだけだ。中身のブラウスやパンツの色味を少し変えるのみで代わり映えがしなかった。

「ほら、おひとり様特集に対する共感の声が届いてますよ」
「あらっ?」
 意表を突かれて甲高い声を発してしまった。溝口さんのデスクPCを覗き込むと、「課金をしなければ長生きできないなんて本当にひどい世の中になりました。記事を参考に老後に備えたいと思います」「昔、調べた時よりも必要額が高くなっていて驚きました。もっと貯蓄をしなくてはと反省しました」など、嬉しい反響が届いていた。後は、売れ行きがなんとかなるとよいのだが。来週になるとそれは分かる。
 だから私は月曜日が苦手だ。先週の売り上げ部数が発表されるからだ。雑誌ごとに売り上げ部数が電子掲示板に表示される。好調な時には、それがモチベーションアップにつながった。今は、会社に来る足取りを重くするものになってしまった。とりあえず、一週間待たなくては最初の結果も出ないわけだから、次号の特集作りに集中することとした。

 「老後に住みたい場所ランキング」この特集に取り組み始めて、まず最初に暗礁に乗り上げたのは、リサーチ会社によってランキングがまちまちであるということだ。ある会社は「老後に住みたい場所第一位」を「東京」としているのに対して、別の会社は「北海道」、また別の会社は「静岡」だとしている。どのリサーチも実際に調べた結果なのだろうが、母集団の違いによって結果が全く異なってしまう。
 リサーチ結果の差として捉えることもできるが、母集団内の個人の趣味や嗜好性による差が大きいことに起因するのではないだろうか? 例えば、夏季休暇があったら、都会に行きたい人が多くいる母集団と、田舎に行きたい人が多い母集団など、それぞれの個人差を含んでいるのだろう。

 私は、どのような母集団でリサーチをしたのかアンケートの詳細についてそれぞれのリサーチ会社に取材を申し込もうと連絡先を調べた。記事に上げる都市は、実際に訪ねようと心に決めた。その地に退職後に移住している人の話を聞いてみたいのだ。「なぜ、その地を選んだのか?」「実際に移住をしてどのように暮らしているのか?」「移住した感想はイメージと比べてどうなのか?」具体的な感想は生きた情報となる。現地での取材や体験が大切だろう。  

 その日のうちに早速、霧島編集長に直談判を試みた。編集長室をノックする指に力が入った。木製の重厚なドアを体の重みで開けると、編集長は飲みかけたコーヒーカップをデスクに置いたところだった。珈琲の香りが漂っている。
「次回の特集『老後に住みたい場所ランキング』ですが、リサーチごとにランキング結果が違うこともあり、『老後に住みたいお勧めの場所』というテーマでそれぞれのリサーチ会社を取材して、それぞれの一位の都市を載せてみたいと思うんです」
「莉子さん、それはなんの問題もありませんよ」
「もう一つ霧島編集長にお願いがあります。それぞれの都市に移住した人を実際に訪ねて取材をしてみたいんです。東京と静岡と、北海道です」
「東京、静岡なら問題ない。北海道に関しては経理部と相談だね」
「はい、編集長」
 私は安堵した。きっと嫌味を言われるに違いないと思っていたのだ。夕日に照らされた霧島編集長の表情は、心なしか穏やかに見えた。今日は気持ち良く退社できそうだ。

 この日は、フラワーアレンジメント教室がある日だった。この日も松井さんと一緒になった。今日はお月見用の花材だ。講師の説明に合わせて、それぞれに花をアレンジしていく。
 いつもより小さな器に入れたスポンジの面取りをして、ススキを一本は後ろに、もう一本は少し短めに前方に倒れるように挿した。紺色のリンドウは一本を三つに切り分けた。一番長い物は後ろ、短い物は手前に挿した。そして黄色いピンポン玉のような球体の菊を月に見立て真ん中に挿す。次に黄緑色をした球状のふさふさしたテマリソウを菊よりやや下に挿した。そして先ほど余ったリンドウを空いている場所に挿す。最後に葉物を三つに切り分けてバランス良く刺していく。
 花をアレンジしている時は、二人共、無口になって集中した。夜の暗闇を表している紺色のリンドウの中から、黄色いまあるい菊が顔を出して、とても良い雰囲気に仕上がった。
 珈琲タイムになると、いつも同じ時間帯に通う松井さんについ気を許し、仕事上の愚痴をこぼしてしまう。普段、接点がない人だというところが絶妙に心地良い。
「『ウーマンズアイ』っていう雑誌を編集する仕事をしているんだけど、最近売れ行きが良くなくって」
「木村さん、それ、毎月楽しみに読んでる雑誌です」
 彼女は、バッグの中からキーホルダーを出して見せてくれた。その皮のキーホルダーには「woman's eye」と英語で刻印されていた。これは数年前に読者プレゼントで配付したものだ。心からうれしくなった私は、松井さんの手を取ってお礼を言った。彼女は、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
 この日は、仕上がった花をそのままビニールで包んで帰ることになった。いつもよりも器が小さいため持ち運びがそのまま出来るのだ。
 私は帰りの電車に揺られながら、りんどうから顔を覗かせる黄色い球体のピンポン菊を見る度に、楽しかった珈琲タイムを思い出した。「ウーマンズアイ」という雑誌が誰かの役に立っていることを知り心が弾んだ。


尚、この物語は「詐欺行為」を肯定するものではありません。