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【小説】「騙される快楽」第五話

第五話【全六話】

 蓮さんに会える。昨夜から、どの服を着て行こうか迷っていた。今朝も鏡の前であれこれ試してしまう。最終的には、ベアワンピースとオフホワイトのコットンワンピで迷った。結局、グレーと黒を配色したベアワンピースを選んだ。肩で切り替えのあるところが、女性らしさと若見えを演出してくれるだろうと期待したのだ。

 待ち合わせの駅に到着すると、彫の深い端正な顔立ちの男性がこちらに向かって手を振っている。黒系に赤褐色の混じった格子調のテーラードジャケットにボタンダウンシャツを着こなしていた。二年前に日本にやって来たと言っていたのは、両親のどちらかが外国籍なのかもしれない。エキゾチックな雰囲気を纏い、若々しい。こちらに手を振っている。
「蓮さん、初めまして。私だって分かったんですか?」
「もちろんです。知的でエレガントな方だって思っていましたから」
 私の頬は紅潮し、火照りを感じる。
「この駅ビルの会議室でセミナーがあるんですよ」
 蓮さんは、スマートに私を会場まで案内してくれた。ドア前には「FX投資で安全に増やす!」という看板があった。

 会議室に入ると、蓮さんはセミナー講師と思われる人に私を紹介した。
「こちらが、僕の大切な方です。今日はよろしくお願いします」
 彼が深々と頭を下げたので、私も一緒に頭を下げた。その人は、品の良いスーツに紺色のネクタイをして、優しい瞳の人だった。年齢は私よりも十くらい上に見えた。
「はじめまして。木村莉子さん。私はこのセミナーの講師で、鈴木良一と言います」
 著書を名刺代わりに差し出された。
「ありがとうございます。じっくり読ませていただきます」
 著書を恭しく頂戴し、自分の名刺を渡した。
「蓮さんからあなたの話を伺いました。とても聡明な女性だからFX投資の才能があると言っておられましたよ」

 蓮さんは、頭を掻きながら恥ずかしそうに私を見つめた。
「初めてなので、色々教えてください」
「勿論ですよ」
 会場には、私の他にも二組の受講生らしき人がいた。蓮さんが、会場の最前列の長机を案内してくれた。何かと気遣ってくれて、私の荷物用にもう一つ椅子を用意してくれた。自分の荷物をそこへ置くと、蓮さんはにっこり微笑んで隣に座った。

「莉子さん、あなたがFX投資に関心を寄せたのは何かきっかけがありますか?」
 講師の鈴木さんの質問に、特集記事を書きながら、もやもやしていた心の内を話すことにした。
「実は私、雑誌記者をしていまして、先日、老後に必要な資金がいくら必要かという特集をしたんです。その時に、資金運用をしておけば良かったとちょうど思っていたところだったんです」
「そうだったの? 莉子さん、シンクロです!」
 蓮さんが驚いて私の顔を見た。

「FXというのはForeign Exchange(外国為替)の略語なんですよ。たとえば海外旅行をする際に、日本円を米ドルに両替するのと同じです。また、FX取引は『外国為替証拠金取引』とも呼ばれていて、取引額の一部に相当する証拠金を預けるだけで『外国為替』の取引を行えるのが親しみやすさになっています。『レバレッジ効果』と呼ばれる少額で大きな金額の取引ができるんです」
 鈴木さんが、スライドを交えて説明してくれた。海外旅行をする時に米ドルと両替するのと同じなら安心なのかもしれない。

「じゃあ、僕がデモをして見せるからね」
 蓮さんが、金融庁による厳しい審査を通過し登録を受けた業者には、デモ取引と呼ばれる練習用口座があるんだと言って実際の操作の流れを見せてくれた。
「一ドルが百円だった時に十万円を千ドルに交換しておくでしょ、それを一ドルが百十円になったところで、日本円に戻すんだよ。そうするとどうなると思う?」
「えっと、十万円だったのが十一万円になってる」
「そう、その通りだよ。莉子さん」
 蓮さんと、鈴木さんが声を揃えて言った。ポイントを押さえた、とても分かりやすい説明だった。
「仕組みが分かると安心ですよね。私たちは、できるだけリスクを回避した投資をお勧めしているんです」
 鈴木さんの言葉は、優良なものを勧めているのだという安心を添えた。

「僕も、このセミナーで学んだおかげで、何もしなくても日々利益が出るような生活を送れるようになったんだよ」
 笑顔で話す蓮さんを前に、自宅に戻って一人で投資をするよりもここで見守ってもらいながら操作をしたいという気持ちが芽生えた。
「初めて投資をするのが不安なので、この会場でチャレンジしてみてもいいですか?」
「もちろんです」
 鈴木さんはにこやかな笑顔で頷いた。
「本来なら実際の投資の手ほどきをする際には、相談料というものを五万円頂いているのですが、蓮さんのお知り合いということですから無料にしておきます」
 私はなんだか誇らし気な気持ちを味わった。
「うちの自慢の自動売買ソフトがあると、世界中の取引市場から一番安心な市場を選んで取引ができますから、ほとんどの場合、少しずつ利益を生みます。外貨預金とFXの大きな違いでもありメリットでもある『レバレッジ効果』を今日の講習の目玉としてお伝えしますね」

 鈴木さんの説明によるとFXというのは、てこの原理のように証拠金として預けた資金の何倍もの金額の外国為替取引が可能なのだとか。それを「レバレッジ効果」と呼ぶという。説明を聞いたら、お得感のある仕組みのような気がしてきた。
 結局、その場で海外に口座を開いて、最初の取引に着手をした。私は、三十万円投資しようと決めていたのだが、蓮さんが「初めてだから十万円で充分ですよ」というので慎重に始めることにした。

 自分の苦手分野に挑戦したという達成感と、自分の隣に「会いたくてたまらなかった人がいる」という幸福感で満たされた。食事は、駅前の和食屋さんに案内された。個室になっている落ち着いたお店だった。向かい会わせに座ると、蓮さんと目が合った。
「莉子さん、今日は、投資セミナーからつきあってくれてありがとうございます」
 改まってお礼を言う彼の目は、誠実そのものだった。
「とても勉強になりました。私、やってみたかったんですよ。自分の資産を増やすことに疎かったので」
「それはいいですよね。この時代、少しでも活用しておいた方が役に立ちますから」

 そのうちにお通しが運ばれて来た。旬の野菜のマリネを和風の出汁で柔らかい味にしたものだった。一品ずつ運ばれてくるお料理はどれも品があった。その昔、三つ星ホテルでシェフをしていた料理長だと蓮さんが教えてくれた。
「僕が初めて莉子さんを知ったのは、フラワーアレンジメントの投稿でした」
「初めての方からコメントを頂いたので驚きました」
「そうだったんですね。失礼しました」
「でも、今は、蓮さんと知り合えたことに感謝しています」
「僕もですよ」
 蓮さんは、私の仕事上の話や、たわいのない日常の話を優しく受け止めてくれた。
「僕は、莉子さんの話にとても興味あります」
「ありがとうございます」
 こんなに満たされた気持ちになったことはこれまでになかった。私の中のインナーチャイルドが喜んでいた。彼は全てを肯定的に受け止めてくれる。私の崩れかけていた「自己肯定感」が回復しつつあった。もう一度だけ、人を信じてみよう。

 蓮さんのことを、もっと知りたいと思う自分がいた。帰り際、ほろ酔い気分になっていた私はおぼつかない足取りになっていた。
 駅まで送りますと言って、蓮さんは手をつないでくれた。温かくて大きな手のひらだった。駅の改札口で別れを惜しんで「さよなら」をした。「抱きしめて」欲しい気持ちを抑えた。蓮さんは、私が見えなくなるまで手を振ってくれた。

 その夜、自宅に帰った私はほろ酔いのまま、ベッドに潜り込んで眠ってしまった。翌日、起きると正午過ぎになっていた。寝ぼけ眼で携帯を手繰り寄せ、SNSをチェックした。すると、蓮さんから二つメッセージが入っていた。
《莉子さん、昨日はありがとうございます。またお会いできたら嬉しいです》
 一つ目から少し時間を置いて、もう一つメッセージが入っていた。
《莉子さん、今、為替が動いています。もし追加が可能なら投資額を増やしてみませんか? 僕も二十か三十増やしてみようと思います》
 蓮さんが追加で融資をするということは、投資が成長する兆しがあるのだと理解した。そのまま私は、昨日、開設したばかりの口座から三十万円を投資した。睡魔に誘われて、もう一度深い眠りについた。

 月曜日の朝をすっきりとした気持ちで迎えた。朝からトーストを焼き、ミキサーを取り出して、スムージーまで作って飲んだ。満員電車も気にならなかったし、霧島編集長の嫌味も気にならなかった。私は満たされていたのだ。

 ところが月曜日の夜になっても、火曜日の夜になっても蓮さんからのDMは届かなかった。朝と夜、毎日定期便のように、写真とメッセージを送ってくれていたのに・・・・・・。「なぜ?」という気持ちしか湧かなかった。
 蓮さんと連絡が取れなくなって一週間が経ち、二週間が経った。「病気をしているのではないか?」と心配もした。

 三週目の或る日、SNSをチェックすると、蓮さんのアカウントは消えていた。FXセミナー講師の名刺に記された電話番号に掛けてもつながらなかった。そして、開設したFX投資用の口座は、数字上は利益を上げているものの、全くお金を出金できなかった。そんなことあるはずがないと、会社で工藤君にも操作をしてもらったが、出金するためのシステムがこのソフトには、そもそもないというのだ。
「工藤君、そんなことあるわけないじゃない。だって、私が最も信頼している人から教えてもらったFX投資用口座なんだから」
 気付いたら私は声を荒げ、なりふり構わず怒鳴っていた。恥ずかしさと哀しみから、その場を足早に立ち去ろうとした時、工藤君の声が私を背後から追い掛けた。
「それ、きっとネット詐欺です」
 その言葉は私の心には届かなかった。投資した四十万円よりも蓮さんと連絡が取れないことの方が重大問題なのだから。

 私は青黒い海底に放り込まれたようだった。「ネット詐欺なわけないじゃない」蓮さんはあんなにも優しくて、親切で、誠実だったのに。私のことを深く理解してくれて、仕事上の相談にも乗ってくれていた。
 ならば、なぜ連絡が途絶えてしまったのだろう? 突然の感染症で入院を余儀なくされているのかもしれない。以前、私がそうだったように。

 かろうじて出勤をし、仕事もこなしはするものの、大きな喪失感から全てにやる気を失ってしまった。既にアポを取り付けていた「静岡」と「東京」に移住した人への取材はどうにか行くことができた。

 心ではいつも蓮さんのことを考えていた。もう一度会って、話がしたい。会えばきっと事情が分かるはずだから、ひと目会いたいと願った。自分でも気が付かないうちに涙が溢れ、頬を濡らしていることがあった。
 最初で最後に出会ったあの日に戻りたかった。別れ際「抱きしめて」と言えなかったことが悔やまれた。気付いたら、また涙を流していた。ベッドから起き上がることができない。明日、会社に行けるだろうか? 私の中で何かがゆっくり崩れていくのを感じた。
「蓮さんは私の一番の理解者。何かの間違いよ」
 自分の心をどうにか支えるために言い聞かせた。 

 私の投稿に初めて蓮さんのコメントが届いてから、約二か月の出来事だった。何も信じたくない。蓮さんからの連絡がただ欲しいだけだった。私は騙されたのだろうか? そんなことあるはずがない。だって蓮さんはとても誠実な人なのだから。出社できない日は、少しずつ増えていった。

 それでも毎日、夕食作りに励んでいた。蓮さんの好きな料理を作り、彩り豊かなサラダと共に写真に収め、「夕食アイズ」に投稿した。
 霧島編集長への想いは完全にふっきることができた。その代わりに蓮さんが私の心の中に住み始めた。




尚、この物語は「詐欺行為」を肯定するものではありません。