出産について思い出す日
もう随分と前のことなのに昨日のことのように記憶が残っている。十九年前のこの日、午前零時十五分に長女が誕生した。不育症の治療を開始してから約五年が経過していた。
母子健康手帳によると分娩所要時間は4時間19分と記されている。短い方ではないだろうか?(本人からするともっと長い時間病院にいたのであるが、どこからカウントをしているのだろうか?)
前の晩から陣痛のようなものが始まり、その日の朝、仕事に行く夫の車にスーツケースを持って乗り込んで、病院駐車場で降ろしてもらい一人で産科受付へ行くと看護師さんに
「御主人は? 駐車場ですか?」
と尋ねられ、
「えっ?」
と言ったことを覚えている。
最初から付き添いが必要だったんですね。すぐには出て来ないだろうからと思って「仕事に行って大丈夫」と伝えていた。
まずは医師の診察があった。この期に及んでまだ覚悟を決めかねていた私はダメ元で先生に聞いてみた。
「あの、今から帝王切開にできませんか?」
帝王切開だったら麻酔が効いているうちに生まれて来るのだろうから痛みを感じなくて済むだろうと思ったのだ。
「それは計画的に行うものですから、今からはできません」
そりゃあそうだろうなと思いながら、あきらめがついた。
分娩までの時間は、得も言われぬ痛みを断続的に繰り返した。痛みが少ない時には、体を動かすように言われた。この日までは安静に過ごしていたにも関わらず、病院の階段を上り下りしたり、スクワットまでして、分娩が促されるように体を動かした。
最初の陣痛が来てから、なかなか分娩まで辿り着けないのは事前に読んでいた妊娠・出産の雑誌で知識としては知っていた。そしてそれは本当だった。夜になって夫が職場から病院に来た頃には、既に痛みがひどくベッドの上に横たわっていた。(痛みというのは生理痛を何十倍にもした痛みです)
その時、痛みを軽くするために持ち込んだレモンバームの香りと、エンヤの曲は、今となっては「痛みを思い出すきっかけ」となってしまい、それからその香りからも音楽からも遠ざかってしまった。
病院入りしてから十六時間ほど経った頃にようやく分娩室に連れて行かれた。痛みでよくわからないうちに長女が誕生した。
(どうやったら3キロほどのサイズの赤ちゃんがあんなに小さなところから出てくるのか産んでみてもよくわかりませんでした)
誕生直後に産着を着せてもらった生まれたての長女をベッドの上で仰向けのまま抱かせてもらった時のあたたかさとやわらかさが記憶の中に刻まれている。長女は予定日きっかりに生まれて来た。
ちなみに次女の時は、出産予定日の一週間ほど前から義母が泊まりに来ていた。出産したら、私の産後もケアしようとはりきってやって来たのだ。
だが、生活様式の細かいところにまで小言を入れて来るのでなかなか気が休まらなかった。おまけに、毎晩深夜になると「どう?陣痛まだ?」と尋ねてくる。お義母さんもせっかく来たのだから出産に立ち会いたいと必死なのだ。
予定日を過ぎても一向に産まれる気配はなく、いよいよあきらめた義母御一行は、最後に「観光地の大きなエビ天で有名な店」で食事をしてから帰って行った。
するとその夜、予定日より一週間ほど遅れて陣痛がやって来たため、病院に行って、無事に出産となった。
夫からは「お腹にいた赤ちゃんとの共謀だ」といまだに時々話題に上がる。
お母さんが緊張していると、赤ちゃんだって出て来れないのらしい・・・。

子育て中の思い出
長女は小学生の頃に、友達と交換日記のように物語を書いていました。その当時、「ルパン三世」の不二子の話を書いていると言っていました。
「いいなあ、この子には書きたいことがあって」と思ったこともよく覚えています。その時は、自分が再び小説を書くとは思っていませんでした。
きっと生活と仕事と子育てで消耗していたのだと思います。
当時の研修の一環で自分の悩みをペアになった人に伝えてその解決方法を一緒に考えるというものがありました。その時に自分が相談した内容は、その相手に相談しても仕方のないことでした。
「子供を寝かしつけていると、一緒に自分も眠ってしまって、その後に仕事ができないんですけど、どうしたらいいでしょう?」
解決方法は年月が経つことしかありませんでした。
その時々の自分に合ったライフスタイルというものがあるのだと思います。
今、子育て真っ最中で大変な方にも、きっと数年後には自分の時間がもてる時期がやって来ると思います。あせらずに、今の「子育ての時間」を大切になさってくださいね😊✨
昨日読ませて頂いた方の記事から、数年前の自分を思い出しました。
よろしかったら、こちらもぜひに・・・🍓
つかさまきさんの素敵な写真を使わせて頂きありがとうございます。
