金融所得課税の引き上げは富裕層の流出を招くか
今、日本では「金融所得課税の引き上げ」が注目を集めています。これについて、私のもとにも「富裕層の海外流出につながるのではないか」という質問を多くいただいています。一方で、「いやいや、今の円安の状況ではわざわざ海外に出ていく人は多くないだろう」という意見もあり、見方が分かれています。

金融所得課税の議論には、「これまで進めてきた【貯蓄から投資へ】という流れにどんな影響を与えるのか」や「格差の拡大をどう是正するか」など、さまざまな論点があります。今回はその中でも、課税逃れを目的とした海外移住が今後どの程度増えるのかという視点に絞って解説します。
貯蓄から投資へ
政府や金融庁は、「貯蓄から投資へ」という流れを進めたいと考えていますが、それはつまり、金融機関にリスクを取らせるのではなく、個人投資家にリスクを取らせ、経済成長につなげたいということです。
海外移住の動きは本当に増えるのか
まず、「金融所得課税が引き上げられたら富裕層が海外に移住するのではないか」という見方についてです。
確かに、ドバイなどへの移住が話題になったのはもう10年以上前のことです。質問してくださった方の中にも、「もうそのブームはピークアウトしたのではないか」と考える人が多くいました。加えて、円安が進行している今の状況では、むしろ日本にいた方が豊かに暮らせるのではないか、という声もあります。
ドバイ移住のブームはこれまでも何度か波がありました。
・2000年代:石油依存から脱却を図るUAEが金融・観光都市として急成長し、世界中から富裕層が集まる。しかしリーマンショックの影響で不動産バブルが崩壊し、一時的に沈静化。
・2010年代:経済が持ち直し、再び移住ブームが拡大。金融機関や国際企業が進出し、ドバイ国際金融センター(DIFC)も注目を集めた。
・コロナ禍:国際移動が難しくなり、移住の動きはいったん停滞。
・コロナ後:再び注目が集まり、特に暗号資産で利益を得た人々やインフルエンサーがこぞって移住する流れが強まった。
確かにその通りで、ドバイなどへの移住は2010年代から目立つようになった動きでした。特に株式よりも仮想通貨で資産を増やした人たちが、課税を逃れるために海外に移るというケースが多かったように思います。そうした意味では、今後も仮想通貨や株式などの金融資産の価格が上昇し続けるようであれば、新たな富裕層が増え、それに伴って海外移住の動きが高水準で続く可能性もあるでしょう。
富裕層が増える理由と相続
しかし、この「富裕層が増えるかどうか」という観点から見ると、資産価格の上昇だけが要因ではありません。実は、資産価格が上がらなくても富裕層が増え続ける可能性が高いと見られています。その最大の理由は、「高齢世代からの相続」です。
以前、スイスのUBS銀行が発表したレポートでも、「これから世界的に富裕層が増えていく」という見通しが示されていました。UBSに限らず、多くの国際的金融機関が同様の見方を示しています。これを背景に、世界中の金融業界では富裕層ビジネスへの注力が進んでいるのです。
最近の銀行は、一般大衆向けのサービスにはなるべく人手をかけず、その分のリソースを富裕層向けのサービスに投下するという戦略をとるようになってきています。
今の70代・60代、いわゆる戦後のベビーブーマー世代は、多くの資産を保有しています。その資産が、今後子ども世代に引き継がれていく。人口動態的にもこれはほぼ確実に起こると考えられています。例えば、ある家庭で6億円の資産があったとして、それを2人の子どもに3億円ずつ分ける、あるいは3人の子どもに2億円ずつ分ける。こうして資産が分散されることで、複数の富裕層が新たに誕生することになります。
相続による富裕層の特徴
このようにして生まれる新たな富裕層は、自分自身でビジネスを築いて資産を形成したわけではなく、相続によって富を得た人たちです。多くはすでに職業を持っており、生活基盤も日本にあります。そのため、彼らが「課税逃れのために海外に移住するか」というと、ビットコインなどで資産を築いた層ほど積極的ではない可能性が高いと考えられます。
ただし、これは国ごとに事情が異なります。たとえば欧米では「働くことよりも資産で生きる」ことを重視する文化も根強く、相続によって仕事を辞め、金融所得で暮らす人が増えているのも事実です。世界的にこうした動きが進む中で、日本でも一定割合の人々が同じ選択をする可能性はあるでしょう。
イギリスで起こった「富裕層流出」
さて、富裕層の流出という点で、今まさに実例があるのがイギリスです。イギリスではかつて「ノンドム制度」という仕組みがありました。これは、イギリスに永住する予定のない外国人に対して所得税や相続税を優遇する制度で、長年にわたり多くの富裕層を呼び込んできました。
ところが、スターマー政権がこのノンドム制度を廃止しました。これにより、これまで優遇を受けていた約7万5,000人の外国人富裕層が一斉に国外移住を始めたといわれています。実際に「課税強化による海外流出」が現実のものとなっています。
イギリスの移住アドバイザー会社の推計によると、2017年から2023年にかけて1万6,000人の富裕層が国外へ流出し、2024年だけで9,500人がイギリスを離れました。
ただし、このケースはイギリス特有の事情によるものであり、日本とは異なります。イギリスの場合はもともと外国人を対象とした優遇制度があり、それが廃止されたことによって海外流出が起こったという構図です。したがって、日本で富裕層への課税を強化したとしても、イギリスと同じような規模の流出が起こるとは考えにくいと言えるでしょう。
日本の今後と私の考え
総合的に見て、金融所得課税の引き上げによって日本から急速に富裕層が流出する可能性は高くないと思われます。円安の影響で海外生活のコストは上昇しており、さらに家族や仕事、生活基盤を日本に持つ人が多いことから、移住のハードルは決して低くありません。むしろ、相続を通じて国内で新たな富裕層が増えていくことの方が現実的でしょう。
もちろん、一部では海外移住を選択する人も出てくるでしょう。しかし、それは「急激な流出」ではなく、「一部の合理的な選択」にとどまるはずです。
ご参考
ロンドンの一等地の多くは、代々上流階級が所有してきました。貴族はその土地を貸し出すことで、今も莫大な利益を得ています。こうして一部の特権階級は、生まれながらにして豊かな暮らしを享受しているのです。
サイトマップ(目的別)はこちら
