ん?何の話?な話。
以前こんな記事を書いた。
これはまだ子どもたちが保育園に通っていて、私は日中フリーだった時期に書いたものだ。
脳梗塞で仕事を退職した。
定期受診や飲み続けなければならない薬はあるものの、幸い軽い後遺症で済んだので、主に家事育児を担当する、いわゆる普通の専業主婦になることができた。
子どもたちを保育園に送った後は家事をすればあとは自分の時間だった。
何をしてもいい、どこに行ってもいい。
こんな時間が訪れるのは定年退職した後だと思っていたから、不意打ちのフリータイムに没頭できる趣味もなく、初め右往左往して、最終家でSNSで時間を溶かすというなんとも(はたから見たら)無駄な時間の使い方をした。(まぁ後悔はしていない。自分がしたかったからそうしたのだ)
そこで自分は自堕落なのだなぁと思ったのだった。
時間が限られているから有意義に過ごそうと思うのだと思った。
毎日時間があると怠けてしまう。
病気になり、生きていられることや健康でいられることを幸せだと身をもって知った私なのに。
人は簡単に忘れる。
喉元過ぎれば熱さ忘れるとはよく言ったものだ。
でもそうじゃないと生きていられないよな、とも思う。
数々の恥をずっとその時の恥ずかしさのまま覚えていたら?
人から言われたりされたりした嫌だったことをずっと同じ温度で覚えていたら?
私は生きていられないだろう。
恥や怒りや悲しみで死んでしまうかもしれない。
忘れるから生きていられる。
忘れるから人のことも許せる。
今は5時間もSNSに浸ることはない。
浸れない。
浸らせてくれない。
なぜなら2歳の娘が一緒にいるから。
今娘は絶賛ママママ期で、スマホを見ようものなら取り上げられて自分のYouTubeに変えてしまう。
私は強制デジタルデトックス中なのである。
でもそれぐらいがちょうど良い。
SNSは確かに楽しいが、下手すると現実との境がわからなくなる。
特に私は影響されやすい。
Xは見たいものを見ているうちにそのトピックがどんどん深まっていってしまい、見なくても良い深さのものまで見てしまうことがある。
例が子どもが性犯罪に遭わないように情報を収集していたら、どんどん性犯罪のポストが流れてくるようになり、だんだん子どもが性犯罪に遭わない方がおかしいんじゃないかと思うようになってしまって心配で仕方なくなってしまったのだ。
今はアカウントを作り直して推しの情報を追う程度にしている。
だから私には娘の意識が私から離れた隙に見るぐらいでちょうど良い。
最近は子どもが寝た後がSNSタイムだ。
だいたい22時から22時半くらいから見始める。
でもnoteもこの時間に書くので、すぐ0時になってしまう。
日中書きたいなぁと思いついたことをメモ帳に書いておいて夜書くということをしている。
ちなみにメモをポッケに入れておくの、続いている。
私が物事を続けられる方法は、「自分に得があるかどうか」がひとつある。
当たり前かもしれないけど。
「これはいいぞ!」と自分に思ってもらえるとたいてい続く。
メモ帳は私に合っているようだ。
寝る前にnoteを書き、みなさんのnoteも読んで、それから少しXを覗いて寝るという生活を今しているが、この配分がとても心地よい。
note多めが良いんだと思う。
私にとってnoteは本当に優良SNSだ。
Xのように不安を煽られザワザワしたまま寝ることなく心安らかに眠れる。(死ぬ時の言い方みたいだけどほんとそう)
noteはバランスの整った定食みたい。
Xのように高カロリーで刺激的なものもたまには欲しいけど、やっぱり毎日食べるなら栄養のあるご飯がいい。
私もみんなの栄養になるご飯のような記事が書けたらいいな。
