映画の公式コメント2012-18(ペドロ・コスタ、タルベーラ、ロイ・アンダーソンなど)
⚫︎ペドロ・コスタ『ホース・マネー』2014年
根無し草となった移民の男が、過去に囚われた病院をさまよう。
そして廃墟となった場所の記憶と会話する。
地獄への旅は、光と影の劇的な効果によって、
恐ろしく美しい迷宮の空間として描かれている。

⚫︎タル・ベーラ『神々のたそがれ』2013年
むせ返るような臭気。視界をさえぎる障害物。
中世のような建築の実在感。
確かに、この世界を触ることができる。
だが、反知性主義への退化は、画面の向こうの出来事ではない。

⚫︎小田香『鉱 ARAGANE』2015年
近代を支えた深奥へ。
そこで震えやむきだしの音を体感し、闇を切り裂く光を目撃する。
ヘッドランプをつけた坑夫だ。
しかし、逆光ゆえに、彼らの顔を正面からとらえることはできない。
その姿は異界の聖人のようだ。

⚫︎ワン・ビン『収容病棟』2013年
機能主義を徹底する閉ざされた空間。
だが、それを裏切る人々の営みの豊かさが愛おしい。
⚫︎ジアード・クルスーム『セメントの記憶』2018年
労働者は光の届かない地下壕のようなエリアで夜を過ごし、朝になると、鉄の檻=エエレベーター昇って、空と出会う高層ビルの現場に向かう。
だが、外出は禁止され、きらびやかな街の風景は、コンクリートのフレームから眺めるだけの壁紙でしかない。
これは垂直に移動するだけの牢獄である。
日本でも外国人の劣悪な労働環境が注目されているが、
この映画は建設の現場と戦争の廃墟を混在させながら、
鮮烈なかたちで視覚の詩を描いている。
⚫︎ラーフル・ジャイン『人間機械 Machines』2016年
格安の工賃ゆえに、完全な自動化をめざす必要がない工場。
そこでは無数の人間がうごめき、
全体像が見えない巨大な機械をお世話する。
もうひとつの近代化が生みだす色彩の豊かさに言葉を失う。
⚫︎ダニス・タノヴィッチ『サラエヴォの銃声』2016年
ホテルのポストモダンな外観は一切示されない。
街を俯瞰する屋上、フロント、厨房を含む諸室、地下のクラブなど、
カメラは人々の背中を追いかけながら、
建物の内側から欧州の裂け目をのぞきこむ。

⚫︎サミュエル・マオズ『運命は踊る』2017年
絵のような画面に加え、削ぎ落とされた要素によって時間軸も、
巧みに構成されている。
終了後、もう一度、頭の中で再生すべき作品。

⚫︎『創造と神秘のサグラダ・ファミリア』2012年
ガウディの精神性を讃えるだけの映画かと思いきや、そうではない。
彼の死後、著名人による建設中止の署名運動、彫刻表現をめぐる論争、
トンネル工事との確執が起きていたことを初めて知った。
が、それも抱きとめながら、様々な人々の想いでつくられ、
愛されている。
未完ながら、この建築はもはや社会的な存在なのだ。

⚫︎ロイ・アンダーソン『さよなら、人類』2014年
ワンカットの短編が数珠つなぎになったような映画である。
斜めに配された空間、奥の見える開口が緻密に構築され、
そこにトボケた間合いが生じ、笑いを誘う。

⚫︎ホン・サンス『自由が丘で』2014年
限定された空間で繰り返される、シンプルな出来事。
だが、時系列のシャッフルによって意味を事後的に増幅し、
異文化の街角で出会う日常の豊かさを反芻する作品だ。
⚫︎ジャンフランコ・ロージ『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』2013年
世界中が知っているローマの、ほとんど知られていない周縁。
都市を囲む環状線に沿って、無名の人たちの生活の断片が、
織物のように組合わされるとき、
誰もが共有しうる普遍的な同時代の物語がつむがれる。
