JIA東海住宅建築賞に寄せて(2013-2015)
建築賞がもちうる役割
以前、幾つかの作品を案内してもらいながら、名古屋の若手建築家から賞の制度や評価について満足していないというはなしを聞いていたので、こうして審査のプロセスが公開され、それが記録され、刊行されるというのは喜ばしいことだと思う。愛知県のエリアだと、筆者は愛知まちなみ建築賞の審査を数年担当したことはあるが、審査は非公開だし、現地審査もなく、どうしても一定の限界を感じていた。予算の問題が主な理由だと思うが、審査員が多過ぎて、現地審査のスケジュール調整はまず不可能だろう。そして審査員の数が多いと、立場も様々であり、良くも悪くも作品の選び方に特徴がなくなる。むろん、それでも20年以上にわたり、愛知まちなみ建築賞が続いていることによって、特定のエリアにおける新しい物件の定点観測的な意義を担っていたことは評価できる。
実際、あいちトリエンナーレ2013にあわせて刊行した『あいち建築ガイド』(美術出版社)の作品選定では、とても参考になる資料性を発揮していた。つまり、ある程度の年数、建築賞が継続されると、アーカイブ的な記録性をもちうる。これも賞のひとつの役割だろう。審査員の数が多い日本建築学会賞(作品)も、半世紀以上続いていることで、それ自体が時代の証言者となり、歴史的な意味を獲得している(現在から振り返ると、あの傑作が選ばれていなかったり、その逆に意外なものが受賞しているケースも含めて)。

今回、新しく創設されたJIA東海住宅建築賞は、むしろ筆者が東北で関わっている、JIA東北住宅大賞のシステムと近い。これは2006年に第一回がスタートし、震災の影響により一年の休みを挟んで、現在までに2012年の第六回が開催された(2013年の第七回も行われる)。一次審査では、応募者がパネルを前に審査員と直接やりとりをできる場が設けられ、その後、公開の議論と質疑応答によって、二次審査に残る作品が選ばれる。そして東北の冬の厳しさが試される、雪が降っているシーズンに現地審査を行う。選ばれた作品が散らばっていると、福島、宮城、岩手、青森、秋田、山形の六県をまわるケースがあり、三泊四日くらいの長さになる。東北らしさを考えるのも、毎回のテーマだ。なお、現地審査では、事務局や地元の建築家も一緒に見学に参加することが多い。そして熱い建築談義もなされ、東北エリアの建築家が互いに学び、切磋琢磨するきっかけをもたらす。全体のデザイン力の向上は、東北住宅大賞の大きな役割だろう。
東北住宅大賞で特徴的なのは、建築家の古谷誠章のほか、批評家である筆者、編集者の三木奎吾(とくに熱環境にこだわる住宅雑誌『リプラン』)や中村光恵が、これまでに審査員となっていることだ。したがって、建築家としてのプロフェッショナルな目、テキストで伝えていく批評家の言葉、そして編集的な視点などが組み込まれる。メディアが入ることは、その賞の存在を広く知らしめるのには有効だろう。すぐれた作品を選ぶことは当然だが、建築賞はメディア的な機能も発揮しうるからだ。文学の分野では、各種のメディアが一斉に報道する芥川賞がそうした効果をもっていることは、よく知られていよう。
JIAの関係では、日本建築大賞の審査員を三年間つとめたことがある。これは建築家以外の人が審査員になるというユニークな形式だった。個人的に印象深いのは、毎回最終の審査で三名の意見が割れていたことである。そうなると、価値観の違いは議論を巻き起こす。タイムを計り、速度という単一の物差しで順位を決められる陸上競技と違い、様々な要素の複合体である建築の最優秀を(無理にでも?)決めるという行為は、議論をつくりだす契機になるだろう。
学生イベントだが、卒業設計日本一決定戦も、審査員同士の激しいバトル、すなわち異なる意見のぶつかり合いが最大の見物になっている。むろん、これにはエンターテイメント的な要素がないわけではない(芥川賞の各審査員による評価の食い違う講評文もそうした側面をもつが)。しかし、かつて建築論を仕かけていた紙の媒体が激減し、議論が少なくなった言われている現代において、建築賞は重要な議論を起こす場としての可能性も期待できる。以上、建築賞がもちうる幾つかの役割について記したが、賞にはそれぞれの個性というかキャラクターがあると、存在感を増していく。
JIA東海住宅建築賞も、長く継続していくことで、それが育まれていくことを期待している。
(JIA東海住宅建築賞2013記録集に寄稿したコラム)
地域と住宅と建築家
(冒頭略)
名古屋や仙台で教鞭をとることで、地方と呼ばれるエリアが視界に入るようになった。ネットの時代を迎えて、メディアは東京一極集中であるが、自分が毎週のように移動すると、その不自然さを感じる。
2014年に筆者は「戦後日本住宅伝説」展を監修したが、これは1950年代の丹下健三自邸から1970年代の伊東豊雄による中野本町までに期間を限定し、珠玉の住宅を16作品紹介するものである。埼玉を皮切りに、2015年の春まで巡回する予定だ。ただ、改めてとりあげた住宅の場所に注目すると、釧路の反住器、愛知の幻庵、大阪の住吉の長屋以外、すべて東京である。菊竹清訓のスカイハウス、東孝光による塔の家、篠原一男による白の家など、改めて、東京中心に住宅建築史が形成されていたことに驚かされた。もちろん、所在地で作品を選んでいるわけではなく、後から数えるとそうなっていたのである。

一方、筆者がゲストキュレーターをつとめた「3.11以後の建築」展(金沢21世紀美術館、2014年11月~2015年5月)は、建築と社会の関係を考えることをメインテーマに掲げているが、もうひとつのテーマは地方だった。実際、同展は約25組の建築家が参加しているが、東京のプロジェクトを紹介しているのは、わずか3組である。そもそも東京の建築でとりあげているのも、日建設計の旧ソニーシティ大崎、ブルースタジオのリノベーション的活動、そして岡啓輔のセルフビルドによる蟻鱒鳶ルなど、いわゆるアトリエ系の建築ではない。
むろん、「3.11以後の建築」展は、住宅に焦点をあてたものではないが、同じくゲストキュレーターをつとめた山崎亮と選定をしていたら、事後的にこうしたセレクションとなった。筆者も関西を拠点とする山崎も、東京中心で動いていないからなのかもしれないが、おそらく偶然ではないと思う。高度経済成長期やバブル期を終え、少子高齢化を迎えた現在、日本各地の地方で起きていることが、どこでも共有すべき重要なテーマになっているのではないか。
初回から筆者が審査員として関わっているJIA東北住宅大賞は第8回を迎えたが、2014年、秋田において歴代の大賞受賞者が集まり、トークイベントが開催された。寒い地域であり、エリアによっては豪雪が起きるだけでなく、審査もわざわざこれを体験すべく3月に行われることから、毎回、東北らしさとは何かをめぐっての討議を欠かせない。トークイベントでも、バーベキューをできるかなど、東京を含む大都市との住宅の条件の違いが話題になり、福島在住の建築家からは原発事故以降に考えていることといった重いテーマも語られた。もっとも、東北らしさというのは、建築を特定の様式に押し込めるものではない。むしろ、JIA東北住宅大賞を通じて、さまざまな東北らしさを発見していく、開かれた運動体であるべきだろう。

2014年5月、名古屋では、30代の若手建築家9組が参加し、「住まいが風景をつくる」展が開催された。愛知県において、これだけバラエティがある同世代の建築家が存在し、しかも積極的にメディアに発信していく状況は頼もしい。今後、多くの建築家が活躍する広島のようになるのではないかと感じた。ただ、隈研吾の論文「パドックからカラオケへ」をあげて、住宅以降のステップをどう考えているのかという問いを投げかけたところ、展覧会のタイトル通り、住まいであっても、すでに風景を意識しているといった回答が戻ってきた。なるほど、個人住宅だとしても、公共の街並みを形成する重要な要素である。都市に対して閉じていた1970年代の住宅とは、かなり違う意識だろう。


10月は「戦後日本住宅伝説」展が広島現代美術館に巡回した際、小川文象、土井一秀ほか、若手建築家のプロジェクトを見学した。彼らは住宅以外にも、コンペを通じてトイレや団地の建て替えの仕事を得たり、プライベート美術館も手がけている。広島派の建築家を支えるのは、こうした土壌なのかもしれない。また沖縄は台風とシロアリの被害、あるいは戦後アメリカの影響から、コンクリートの住宅がめずらしくなく、ハウスメーカーが進出しにくく、建築家の数も多い。そして小規模の施設はしばしばコンペが行われている。地域に拠点を置く建築家が、それぞれに個性豊かな建築文化を育むことを期待したい。各エリアを顕彰する住宅賞は、そうした潮流を後押しするものになるだろう。
(JIA東海住宅建築賞2014記録集に寄稿したコラム)
メディアとしての賞
昨年、2つの賞の審査を初めて担当した。BCS賞とグッドデザイン賞である。なんとなくこれらがどういう賞なのかを知ってはいても、実際に審査を担当すると、やはり具体的にどのようなものなのかを深く理解することができる。すなわち、様々な人が賞の審査に関わることで、一種の広報的な効果もあるということだ。
さて、BCS賞は、建築家によるデザインだけではなく、施工とその技術、発注者の企画や管理もあわせて総合的に評価するものだ。ゆえに、大型物件の現地審査では、十数人が立会うこともあり、ゼネコンが会社のメンツをかけて応募しているという緊張感が伝わってくる。むろん、住宅の審査でも、しばしば施主が同席し、小さいサイズの建築だけに、結果的に発注者の存在はかなり大きい。しかも建築家の自邸の場合は、設計者と施主が一致している。もっとも、BCS賞は、あえて三者を評価することを明記することで、建築家以外の役割を顕在化させる。
印象的だったのは、ちょうどBCS賞の審査の途中で、新国立競技場をめぐる問題が炎上し、ザハ・ハディドの最優秀賞案の白紙撤回が起きたことである。一般のメディアは、建築家の勝手なデザインが悪いというわかりやすい言説が無責任に流布し、魔女裁判の様相を呈していたが、その後、徐々に明らかになったのは、むしろJSCという発注者がトンデモな組織であるということだった。良い施主がいなければ、良い建築はできない。
そういえば、JIA東北住宅大賞では、建築家以外にも施主と工務店を同時に表彰している。ちなみに、いかに優れた技術者がいても、発注者がちゃんとしていないと、おかしなことが起きるのは、昨年放映された『下町ロケット』のテーマだった。多くの日本人はこの大人気ドラマを見て怒ったのだから、建築でもそうであるともっと知って欲しいと思うが、残念ながらそうはなっていない。BCS賞は業界内部で有名だが、もっと広く知られるべきだ。
実際、賞というのは、そこで顕彰する視点の意義を社会に伝えていくという役割をもっている。すなわち、メディアの一種なのだ。例えば、世界でもっとも有名なノーベル賞。毎年、これが大々的に報道されることで、科学や平和、あるいは文学などの重要性が再認識される。それだけではない。おそらく、それを実施し、表彰式を行うスウェーデンという国家のイメージにもプラスに働いているだろう。
以前、このシステムに習った京都賞の審査を担当したことがあるが、やはり優れた業績の顕彰を通じて、選ばれた人の活躍を知らしめると同時に、これを創設した稲盛和夫の理念や京都を知る機会になる。では、日本の建築界のデザインにおいてもっとも重要とされる日本建築学会賞(作品)はどうだろうか。残念ながら、毎年受賞者が発表されても、その結果が全国紙に掲載されることはない。むろん、アカデミックな学術団体だから広報は不要という考え方もあるだろう。
賞の報道で話題になるのは、文学の芥川賞や直木賞である。結果が発表されると、新聞やテレビが一斉に報道し、ときにはベストセラーが生まれる。正直、以前に比べて文学の力は弱くなっているし、毎年二回も複数名が受賞するのだから、賞のインフレ気味であり、個人的にそこまでメディアで騒ぐほど重要なのかと思うのだが、それだけ企画としては成功している。審議の後、結果がすぐ発表され、候補者が電話の横で待っているというライブ感のあるイベント性が絵になること、新聞などは文学担当の記者が昔からずっといて既得権益化していること、出版社も販促を意識していることなどが、その一因だろう。建築学会賞は公式な結果発表まで時間がかかるし、新聞社に建築専門の記者は基本的にいない。さすがに建築でも、プリツカー賞、ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展の金獅子賞など、海外で高く評価されると報道されるが、芥川賞に比べて、その量は決して多くない。
建築の学生も学会賞、BCS賞、JIAの賞などにあまり興味をもたないが、せんだいデザインリーグの卒業設計日本一決定戦は注目されることに成功した。彼らが当事者であることは大きいが、筆者も公開の場で審査するドラマチックな場面に何度か遭遇したように、そのプロセスにイベント性があるからだろう。
さて、グッドデザイン賞はもっとも有名なデザインの賞である。応募などにお金がかかるという批判もあるが、商品の広告にもGマークが使われるように、ブランドとして確立し、現在、日本を超えて、アジアにもその影響力を戦略的に広めている。実際、東京ミッドタウンにおいて開催される最後の展示と、審査員、受賞者、一般からの投票を集計して、グッドデザイン大賞をライブで決めるプロセスは、きわめてよくできたイベントになっていた。なるほど、実際に体験し、参加したが、これはおもしろい。賞はただ顕彰するだけではなく、伝える役割をもつのだ。
(JIA東海住宅建築賞2015記録集に寄稿したコラム)
