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映画評「恋する惑星」(1994年/香港)


映画評「恋する惑星」(1994年/香港)

1994年/香港/100分 監督・脚本:ウォン・カーウァイ 撮影:クリストファー・ドイル/アンドリュー・ラウ 出演:トニー・レオン/フェイ・ウォン/ブリジット・リン/金城武

手持ちカメラとブレ、ステップ・プリンティング、広角レンズでとらえた極彩色の色彩とネオン。雑踏の中を荒々しく躍動するカメラと人々。カメラと役者の共同作業。些細な動きも計算されて構図の美学に収まっている。視線や動きの先に次のシーンがある。「あっ、あっちに誰か動いた」カメラが追いかける。「あっ。あそこに動いたぞ」カメラが追いかける。人間の感性に従うようにカメラが動く。カメラ自体が主役のように。感性が文字通り流れている。追いつけないスピードで。流れが止まらない。そのため、全く退屈せずに一気に見ることができる。こだわりぬいた表現だ。せわしなく人々が動く。映像の臨場感と緊迫感がすごい。冒頭の雑踏のシーン。男たちに追われて地下鉄に乗る一連の動き。雑踏の描写も素晴らしい。警官663号がビールを飲みながら1人だけ止まったようでいて、周囲の人々が猛スピードで過ぎ去っていく。1年後、フェイが同じ店で同じように待っている。この雑踏のステップ・プリンティング描写はとても効果的だ。せわしなく動く人々の中で、ただ一人取り残される感覚。映像の臨場感と緊迫感が、そのまま登場人物の内面を表現している。静かな描写も味わい深い。ドキュメンタリーや私小説のような身近な感覚になる。賞味期限切れの缶詰を持ちコンビニの入り口に座るシーン。パイン缶を食べるシーン。犬やぬいぐるみに話しかけるシーン。静と動。どちらも、丁寧に丁寧に構築された、職人芸のような美意識を感じる。この映画は、実は2か月で作られている。私が丁寧だと思ったのは、時間があったからではなく、時間がないゆえに、監督の感性と役者とカメラの技術が爆発し、細部まで研ぎ澄まされた瞬間的な美学をつかみ取れた結果なのかもしれない。その短期間の撮影で、何を表現したのか。話はシンプル。中編が2つ連なる流れ。どちらも失恋したばかりの警察と、それぞれの女性とのすれ違い。現実と向き合えず、恋人はまだ、夢の中に消えている。目の前に広がるのは、ストーリーなのか、独白なのか。見たことのない内省的な人々の心の軌跡が、丁寧に描かれている部分が、この映画の最大の魅力だ。個人的な行為。他者と交わることもなく、静かな自分の理想と希望と自分のこだわり。最初の出会いは、警官と犯罪者。その時点で難しそうな出会いだ。金城武が演じるモウは、自分の誕生日までの30日間で彼女が戻ってくることを信じ、毎日、誕生日と同じ消費期限日のパイン缶を買い集めていく。静かなこだわりと共に、それが希望であり、そもそも関連性はないのだから、同時に絶望であり。得るものもなく、何かを蒸発させて。金城武の自然体の演技とブリジット・リンの犯罪の緊迫感の演技の対比がすごい。バーで彼らの対比は束の間の触れ合いを見せたが、完全なるすれ違いに終わる。愛する対象ではなく、傷ついた同じ境遇の仲間をいたわるように。とはいえ、心の通う瞬間がポケベルにより、一瞬だけもたらされた。次のトニー・レオン演じる警官とフェイ・ウォン演じるフェイも、すれ違いを続ける。いつ見てもボーイッシュなフェイ・ウォンの動きがいい。勝手に部屋に入り、夢中で自分の好みに模様替え。高揚しながら。夢と現実を混ぜ合わせながら。彼女は何を模様替えしていたのか。彼のためでもある。でも自分に対しても、何が自分の理想や好みやこだわりなのか、複雑に揺れる自分を再構築していたのではなかろうか。カリフォルニアという場所が逃避願望ではなく目的地に定まったのではなかろうか。さみしさだけが加速する。会話もなく、すれ違うことだけ。かすかな瞬間。全編を通して何かを失っている。スクリーンの先の光景を観客に対して実体験として描き出せる才能。作り手たちは、カメラが好き、フィルムも好き、そして、人間も好き。孤独の中の悲しみも好き。暗闇に浮かぶのは、悲しくもありながら、観客の心の奥の、どこかの琴線に触れる。不思議な体験だ。部屋の模様替え。世界を塗り替える行為。自分を見つめ直し、そのまま先へ。もっと遠くへ。心が通うのは一瞬で。安住を拒むほどの一つの目的地と理想を持ち。着陸は一瞬で。ほとんど離陸したまま、すれ違うこともなく。そのまま遠くへ。それでも最後に希望が現れる。搭乗券は本日。おそらく、どうしても行きたい理想の場所があり、そこに向けて離陸はしたものの、あらかじめ着陸の日は決めてあっだのだろう。1年後、手紙に書いておいた8時の待ち合わせに彼は来ない。手紙は読めなかったが、日付は読むことができた。さまざまなこだわりとお互いへの理解。彼は彼女の手紙を「ちょっと待ってて」という意味にとらえて、待っていたのだろう。独特の美意識と、あの部屋と、この店と共に。ビートルズに慣れるくらいに。すれ違いながらも届いている。彼女はきちんと搭乗券をとっておいてくれたこと、にじんで読めなかったことに気づく。ここで、おそらく失望していた心が再び彼に向き合う。だから、目の前で再び搭乗券を書く。「どこに行きたい」「君の行きたい所へ」そして流れる、フェイ・ウォンの「夢中人」。愛なのか、恋なのか、夢なのか、悲しみなのか、人々の生きる意味を歌ったのか。私にはよくわからない。でも、これは美しい結末だ。そして、優しい映画だ。

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