脳は信用ならない―「生理的思考」から自由になる|ちび創作大賞|あなたにとっての自由
※今日は久しぶりに文章書きます(笑)
「生理的思考」と「意図的思考」
ボーッとしてる時、あるいは手慣れた家事や単純反復作業系の仕事中に考え事をすることが大変よくあります。皆さんにも覚えがあるでしょう。
あるいは読書中、あるワードに反応して考え事を始めてしまい、ページをめくる手が止まってしまう。
でもこれって自分で考えようとテーマを決めて考えたわけではなく、
勝手に頭の中に浮かんでくるものですよね。
で、僕の場合、その多くがマイナス思考で、将来への不安(健康、災害、老後資金、子供の将来など)だったり、過去の黒歴史への後悔だったりします。
一言で言うと「俺はダメだ」っていうのが多い。
でもこれは先述どおり、脳が勝手に動いている現象。
僕はこれを暑いと汗をかいたり、運動すると息切れしたり、満腹になると眠くなったりするのと一緒だと思っています。
あるいは心臓が全身に血を巡らせ、肺が酸素を取り込んで二酸化炭素を吐き出す。食べたものを胃が溶かし腸が栄養を吸収する。肝臓がアルコールを分解する。そういうのと同じだろうという捉え方をしています。
つまり、脳がヒマになると「俺はダメだ」を自動生成する。
ゆえに「生理的思考」と名付けました。
数学の問題を解いたり、企画を考えたり、社会を分析したり、
プロンプトを組み立てたりするのとは違います。
それらは「意図的思考」です。
「生理的思考」の問題点
生理的思考も思考ではあるので、それがきっかけとなって自分で理由付けや人格判定を付け足してしまう。
ここが大問題。
マイナス思考を延々と続けてしまいドツボにハマる。
ひいてはそれを繰り返すことで自己肯定感を下げてしまう。
ネガティビティ・バイアス
とはいえ「生理的思考」が生み出すものは「俺はダメだ」以外にも存在します。
過去の記憶の断片
危険を先回りする予測
未処理の感情
言葉から言葉への連想
たまたま結びついたイメージ
などです。
それらの中で「俺はダメだ」が多くなるのは、人類が持つ「ネガティビティ・バイアス」のせいではないかと考えています。
「ネガティビティ・バイアス」の存在は確認されていますが、その起源や仕組みの全てが明らかになっているわけではありません。
有力な仮説としては、原始時代、過酷な自然の中で生き延びるには、
「獲物を一回見逃しても腹が減るだけだけど、危険を一回見逃せば死ぬかもしれない」
というような思考を持った個体が生き残りやすかった可能性がある。
だから、利益より損失、安心材料より危険信号に強く反応する傾向が残ったのではないか?ということです。
昔なら、
あの茂みに獣がいるかもしれない
食料がなくなるかもしれない
仲間から追放されるかもしれない
だったものが、現代では、
あのとき変なことを言った
老後どうしよう
自分はダメなのではないか
という言語になって流れてくる。
脳としては危機管理をしているつもりでも、現代では解決不能な抽象問題を何度も生成してしまう。原始時代の警報装置に、老後資金や自己評価を入力しているようなものです。
暇になった僕の脳は、未解決の危険や失敗候補を自動巡回することが多いと言えるでしょう。
生理的思考が生み出す生理的生成物
先ほど、生理的思考が生み出すものとしていくつか種類を挙げましたが、
それらと同様、中には良いアイデアが浮かぶこともあります。
それを人は「天から降りてきた」「神様がくれた」などと解釈します。
出どころは同じ脳の自動生成なのに、内容が悪いと「私の本性」、良いと「天啓」。テキトーなものです(笑)
実際に脳が生成しているのは、先ほど挙げたものに加えて、
後悔や不安のようなノイズ
本当に対処すべき警告
良い着想や創作の種
どうでもいい連想
など多岐にわたるでしょう。
要するに、生理的思考は真実でもゴミでもない未審査の提出物なわけです。
大事なのは仕分け
ですから大事なのは、脳が自動生成したものを「意図的思考」の対象とする価値があるか、仕分け作業をすることです。
「私はダメだ」という思考が、脳内に自動生成されたからといって、
それを自分の意見として採用するかどうかは、まだ決まっていません。
「将来どうしよう」が出た
=将来が危険である
=自分は将来を悲観している「マイナス思考人間」である
とは限らない。ただ不安を素材にした生理的思考が発生しただけかもしれない。
プラス思考は内容を変えようとするけれど、「生理的思考」という見方を覚えることでまず思考の所有権を保留する。
「頭に浮かんだ」と「私がそう考えている」の間に空間を作る。
「生理的思考が流れている」という考えを持てれば、
発生したこと
内容が暗いこと
それを信じること
それに基づいて考え続けること
を分けることができる。
「私はダメだ」も「このキャラ、画面左に寄せたら良くなる」も、発生した瞬間の身分は同じです。そこから意図的思考で検討して、採用・保留・廃棄を決めましょう。
脳は信用できない
例えば人間はダイエットの計画を立てただけで、
痩せた気になってお菓子を食べてしまいます。
スマホに家計簿アプリを入れた日は散財します。
全員が全員というわけではありませんが、
心理学ではそういう傾向があるという実験結果が出ているそうです。
先ほど挙げた生理的思考の生成物の中に「本当に対処すべき警告」
がありましたが、対処を後回しにする人は多いです。
人間には明日の自分を過大評価する癖があります。
今日できない、あるいはやりたくないことが、どういうわけか明日ならできる、やる気が出ると思い込むわけです。
僕は山ほど身に覚えがあります。
夏休みの宿題なんか典型的ですね。
まあ、とにかく人間の脳は信用できません。
特に勝手に発生する生理的思考は、そのまま事実や自分の本心として採用せず、まず疑ってかかる必要があります。
生理的思考からの解放と自由の獲得
僕は「生理的思考」の概念を思い付いてから、勝手に浮かんでくるマイナス思考に対して「うるさい、黙れ」と言って、思考の中身を切り替えることができるようになりました。
今日はAIに何を描かせようか?
晩ごはん、どれにしようか?
鼻歌を歌ったりもします。
あるいは何も考えずに作業に集中することもできるようになりました。
敵はやはり疲労と体調不良です。
この時ばかりは生理的思考が大暴れし、意識も流されるがままです。
考えるのにも体力が必要です。
体というものはとにかくこちらの思い通りにはなりません。
最初に述べた通り内臓は勝手に動いています。
脳も体の一部です。
そうすると考えたくないことを考えさせられるのも頷ける気がします。
今はうつ病のせいで、雨が降っただけで体調不良になる身です。
そうでなくても倦怠感は常にあります。
でもうつ病にならなければ、
こういう考え方も知識も得られなかっただろうな。
それまでは「ねばならない思考」の権化みたいでした。
気が弱くて神経質なため、クソ真面目でないと生きられない人間は、
会社経営なんてやるもんじゃありません(笑)
思考の自由さという意味では
健康だった頃より今のほうがはるかに自由です。
それは行動にも反映されますし、例えば専業主夫という、
社会規範から外れていることへの罪悪感からも解放されました。
罪悪感も自由の敵ですね。よく生理的思考に浮かんできます。
とにかく自分を許すことも大事です。
おかげでかなりいい加減な人間になりました(笑)
思ったよりも長くなりました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
