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『CHANEL』――ガブリエル・シャネルから2026年まで、世界最高峰のラグジュアリーメゾンをつくった経営・創造・クラフト・顧客・資本(第10回・完結)(終章 2026年のCHANEL)

第1節 リーナ・ナイル

2026年のCHANELを理解するためには、服から始めるだけでは足りない。

バッグでもない。

香水でもない。

マチュー・ブレイジーだけでもない。

企業全体を見なければならない。

その中心にいる人物が、リーナ・ナイル(Leena Nair)である。

2026年現在、ナイルはCHANELのGlobal Chief Executive Officerを務めている。CHANELの2025年度決算でもCEOとして長期経営、サヴォアフェールへの投資、創造性への投資を語り、2026年5月に承認された同社文書でもGlobal CEOとして確認できる。

ガブリエル・シャネルが創造したメゾン。

ヴェルテメール家が所有する独立企業。

世界各地のブティック。

ファッション。

フレグランスとビューティ。

時計。

ファインジュエリー。

職人。

サプライチェーン。

そして数万人規模の組織。

ナイルが担っているのは、その全体を一つの企業として次の時代へ動かす仕事である。



デザイナーではないCEO

CHANELという企業では、二つのリーダーシップを区別する必要がある。

一つはCreative Leadership。

もう一つはCorporate Leadershipである。

ファッションのアーティスティック・ディレクターは、コレクションを通じてCHANELの表現を更新する。

CEOは、それが持続的に可能になる企業そのものを経営する。

両者は異なる。

しかし切り離すこともできない。

創造するためには、

職人が必要である。

素材が必要である。

アトリエが必要である。

資本が必要である。

人材が必要である。

店舗が必要である。

そして、それらを何十年という時間軸で維持する経営が必要になる。

つまりCEOの役割は、クリエイションを管理することではない。

クリエイションが継続して生まれ得る企業条件をつくることである。



2022年

ナイルがCHANELのGlobal CEOに就任したのは2022年である。

この人事は象徴的だった。

ラグジュアリー業界内部で長いキャリアを積んだ人物ではなく、長年にわたり人材・組織領域を中心に巨大グローバル企業を経験してきた経営者をCHANELはトップに置いた。

ここに、2020年代のCHANELが何を企業課題として見ていたのかを読むことができる。

商品だけではない。

People。

組織。

文化。

リーダーシップ。

人材育成。

多様性。

長期的な企業能力。

ナイルの登用は、CHANELを単なるLuxury Brandではなく、巨大なHuman Organizationとして見る転換でもあった。



People

この視点は2026年のCHANELにも明確に現れている。

CHANELは現在のサステナビリティ方針で、人をメゾンの中心に置き、花の栽培家、職人、サプライチェーンで働く人々、ブティックで顧客体験を形成するスタッフまでを一つの価値形成系として位置づけている。

これは本書で見てきた構造と一致する。

CHANELの商品は、デザイナー一人ではつくれない。

ツイード。

刺繍。

羽根。

プリーツ。

金細工。

時計。

香水原料。

物流。

店舗。

無数の人間が接続されて初めて、一つの商品が顧客へ届く。

したがって、

PeopleはCostではない。
PeopleはValue Creation Infrastructureである。

ここにナイル時代のCHANELを読む重要な鍵がある。



Human Capital

通常の企業会計では、人材は給与という費用として現れやすい。

しかしラグジュアリー企業では、それだけでは不十分である。

熟練職人が30年間蓄積した技能。

Client Advisorが10年間築いた顧客関係。

香水原料について蓄積された知識。

経営者の判断。

アトリエの文化。

これらは企業価値を形成している。

しかし貸借対照表には完全には表れない。

だからCHANELの企業価値を理解するには、Financial Capitalだけでなく、

Human Capital

を見なければならない。



女性とCHANEL

ナイルの存在には、もう一つ象徴的な意味がある。

CHANELはもともと、一人の女性が自ら事業をつくったメゾンである。

ガブリエル・シャネル。

そして100年以上後、そのグローバル企業を一人の女性CEOが率いている。

もちろん、二人を単純に同一視することはできない。

創業者と経営者。

時代も役割も違う。

しかしCHANELが現在、女性の自立を自らのヘリテージと未来の双方に位置づけていることは重要である。公式情報では、女性が世界の従業員の過半を占め、CEOを含むリーダーシップ・管理職の60%以上を担うとしている。



ガブリエル・シャネルからの距離

ただし、ここで注意しなければならない。

「女性が創業した企業だから女性CEOになった。」

という単純な物語にしてはいけない。

企業経営で重要なのは象徴だけではない。

結果である。

ナイルが問われるのは、

組織を強くできるか。

ブランドを守れるか。

創造性を支えられるか。

収益性を維持できるか。

次世代人材を育てられるか。

世界市場の変化へ対応できるか。

という経営能力である。

CHANELにとって多様性は目的の一つであっても、経営能力の代替にはならない。

むしろ、

異なる背景を持つ人材を企業能力へ変換できるか

が本質になる。



2024年という試練

ナイルのCEO在任中、CHANELは大きな転換を経験した。

2024年、ヴィルジニー・ヴィアールがファッション部門のアーティスティック・ディレクターを退任した。

これはCHANELにとって重大な出来事だった。

ファッションメゾンでは、Creative Directorの交代がブランド全体のイメージへ直結する。

誰を選ぶのか。

いつ発表するのか。

どの程度の時間をかけるのか。

企業として何を次の時代へ求めるのか。

CEOにとって極めて重要な判断になる。



マチュー・ブレイジー

そしてCHANELはマチュー・ブレイジーを次のファッションのアーティスティック・ディレクターとして選んだ。

ここでナイル時代の企業経営と、新しいCreative Leadershipが接続した。

CEOが服をデザインするわけではない。

しかし、

誰に創造を委ねるのか

という判断は、企業経営そのものである。

優れたクリエイティブ企業では、経営者自身が創造者になる必要はない。

創造者が最大限に能力を発揮できる環境をつくる必要がある。



ControlではなくEnable

ここに、ナイル型リーダーシップを考えるうえで重要な概念がある。

Controlではなく、

Enable。

企業規模が大きくなるほど、経営者がすべてを判断することは不可能になる。

ファッション。

香水。

Beauty。

時計。

ジュエリー。

サステナビリティ。

IT。

人材。

地域市場。

それぞれに専門家がいる。

CEOの仕事は、すべての専門家より詳しくなることではない。

適切な人材を配置する。

目的を共有する。

必要な資源を渡す。

判断できる組織をつくる。

そして全体をCHANELとして接続する。



CEOは「答えを持つ人」ではない

20世紀型の企業像では、強いCEOはすべてを決める人物として描かれることがあった。

しかし巨大な知識企業では、そのモデルには限界がある。

組織全体が持つ知識は、一人の人間が保持できる量をはるかに超える。

必要なのは、

Collective Intelligenceを機能させること

である。

職人が知っていること。

顧客担当者が知っていること。

地域責任者が知っていること。

若い社員が感じていること。

経営陣が見ていること。

それらを意思決定へ接続する。



Listening

そこで重要になるのがListeningである。

聞く。

しかし、ただ意見を集めるという意味ではない。

異なる立場の人間が見ているRealityを理解する。

本社から見えるCHANEL。

ブティックから見えるCHANEL。

アトリエから見えるCHANEL。

顧客から見えるCHANEL。

それぞれは違う。

CEOは、その複数のRealityを統合しながら企業として判断しなければならない。



Human Leadershipと巨大企業

しかし人間中心を掲げることには難しさもある。

CHANELは小さなアトリエではない。

世界企業である。

規模が大きくなるほど、

制度。

評価。

予算。

承認。

コンプライアンス。

データ。

組織階層。

が増える。

Human Leadershipを語りながら、実際には官僚化する危険がある。

だから「人を中心に置く」という言葉は、企業規模が大きくなるほど実装が難しくなる。



人を中心に置くとは何か

それは単に従業員へ優しくすることではない。

成長できる。

学べる。

意見を言える。

適切に評価される。

責任を持てる。

必要な資源へアクセスできる。

異なる背景でも機会を得られる。

そして高い水準を求められる。

つまりHuman-Centered Managementとは、

尊重とPerformanceを両立させること

である。



Excellenceを失わない

ラグジュアリー企業では特に重要である。

CHANELの商品には非常に高い品質が要求される。

接客にも高い水準が求められる。

クリエイションにも妥協できない。

だからInclusive Cultureが、

「何でも認める文化」

になってはいけない。

人間を尊重する。

同時に卓越性を要求する。

この二つを両立できるかが、ナイル型経営の本当の試験になる。



People × Performance

したがって、

People First

だけでは足りない。

必要なのは、

People × Performance。

人間が成長する。

能力を発揮する。

企業が強くなる。

その企業がさらに人材へ投資する。

この循環が成立すればHuman Capitalは長期企業価値になる。



2025年の数字

2026年5月にCHANELが公表した2025年度決算は、この長期経営を考える重要な材料になる。

2025年の売上高は193億ドルで前年比2%増、営業利益は47億1200万ドルで5%増。ブランド活動などへの投資は23億9500万ドル、設備投資は14億4900万ドル、フリーキャッシュフローは26億4600万ドルとなり、年末時点でネットキャッシュはプラスだった。

重要なのは売上だけではない。

投資を続けられる財務体力があることである。



利益を何に変えるのか

利益を上げる。

それ自体が企業経営の終点ではない。

CHANELのような独立企業では、その利益を次の企業能力へ再投資できる。

アトリエ。

ブティック。

クラフト。

テクノロジー。

サプライチェーン。

人材。

サステナビリティ。

ブランド。

ここで第5章で見た長期資本の意味が再び現れる。

Profit → Reinvestment → Capability → Future Value

という循環である。



ナイルとヴェルテメール家

CHANELには上場企業とは異なる所有構造がある。

ヴェルテメール家による独立所有。

そしてプロフェッショナル経営者としてのCEO。

この組み合わせは興味深い。

Ownerが長期時間を持つ。

CEOが企業を運営する。

Creative Directorが創造する。

それぞれの役割を分けることができる。



Owner / CEO / Creator

CHANELの2026年を最小構造へ圧縮すると、

Owner
× CEO
× Creator

という三者が見えてくる。

Ownerは独立性と資本時間を保持する。

CEOは組織・資本・人材・戦略を統合する。

Creatorはブランド表現を更新する。

この三者が互いの領域を破壊せず、しかし分断もされずに機能することが重要になる。



サステナビリティ

ナイル時代のもう一つの重要な軸がサステナビリティである。

CHANELは現在、自然再生と気候回復、循環性、尊厳と機会、女性の自立を主要領域として掲げ、2040年までにバリューチェーン全体で温室効果ガス排出量ネットゼロを目指している。

これは広告上の付加テーマとして扱うべき問題ではない。

素材調達。

製造。

物流。

店舗。

エネルギー。

商品寿命。

修理。

すべてへ関係するからである。



Sustainabilityを経営へ入れる

2026年公表のCHANELのClimate Transition Planでは、サステナビリティは財務健全性、ブランドパフォーマンス、顧客体験、リーダーシップと人材力と並ぶ五つのPerformance Driverの一つとされ、ボーナス基準にも関係すると説明されている。

ここは重要である。

理念を掲げるだけではない。

評価制度へ入れる。

意思決定へ入れる。

資本配分へ入れる。

そこで初めて経営になる。



ESGからBusiness Architectureへ

次の段階では、サステナビリティをESG部門だけの仕事にしないことが重要になる。

デザイナーが素材を選ぶ。

調達部門がサプライヤーを選ぶ。

店舗を建設する。

物流を設計する。

人材を評価する。

そのすべてに環境・社会条件が入る。

つまり、

Sustainability Department

から、

Sustainable Business Architecture

へ移行する必要がある。

CHANELの2026年の取り組みは、その方向を目指していると読める。



人権とサプライチェーン

2026年には、CHANELはESGデューデリジェンスの基準・ガイドライン・ツールをさらに発展させ、社会的マテリアリティ評価やサプライヤー評価を使いながら、バリューチェーン全体での能力構築を進める方針を示している。

ラグジュアリーの価値を最終商品だけで判断できない理由がここにある。

美しいバッグの裏側で、

誰が働いたか。

どの素材が使われたか。

どの条件で調達されたか。

そこまで企業責任が広がる。



AI

そして2026年のCEOが避けて通れないテーマがAIである。

需要予測。

顧客理解。

在庫。

サプライチェーン。

翻訳。

知識検索。

商品情報。

人材。

不正検知。

業務効率。

AIを利用できる領域は広い。

しかしCHANELにとって、AI導入の目的を単なる人件費削減に置くことには大きな危険がある。

なぜならCHANELの競争力そのものが、人間の知識と判断に依存しているからである。



AI × Human Craft

職人をAIへ置き換える。

販売員をAIへ置き換える。

デザイナーをAIへ置き換える。

それだけなら、CHANELの価値形成構造を壊す可能性がある。

むしろ、

AIが情報を探す。

AIが反復作業を減らす。

AIが知識継承を支える。

その分、人間が創造・判断・関係形成へ集中する。

という方向が自然である。

AI should amplify human savoir-faire, not erase it.



Tacit Knowledgeをどう継承するか

AIが特に価値を持つ可能性があるのは、知識継承である。

熟練職人が引退する。

その人の判断をすべて文章にはできない。

しかし映像、作業記録、素材情報、対話、失敗事例などを蓄積し、次世代の学習を支援することはできる。

AIはTacit Knowledgeそのものにはなれなくても、

Tacit Knowledgeの継承環境

を強化できる。

これは100年企業にとって極めて大きなテーマである。



DigitalとLuxury

もう一つの難問がデジタル化である。

便利にする。

速くする。

データをつなぐ。

それ自体は正しい。

しかしLuxuryはEfficiencyだけではない。

待つ時間。

人と話す時間。

試す時間。

職人がつくる時間。

こうした時間にも価値がある。

したがってナイル時代のCHANELには、

何を高速化し、何を高速化しないのか

を判断する能力が必要になる。



すべてを最適化しない

AI時代には、あらゆるものを効率化できるように見える。

しかし、すべてを最適化すればよい企業と、そうではない企業がある。

CHANELは後者である。

刺繍を速くすることが常に価値ではない。

顧客との会話を短くすることが常に価値ではない。

デザインを大量生成することが常に創造性ではない。

Luxury Managementでは、

Efficiencyの限界を知ること

自体が経営能力になる。



GlobalとLocal

CHANELは世界企業である。

一方、顧客は地域ごとに違う。

文化。

身体。

気候。

購買行動。

接客期待。

デジタル利用。

経済環境。

Global Brand Consistencyを維持しながら、Local Realityへ対応する必要がある。

CEOはこの二つを接続しなければならない。



中国の次をどう見るか

2020年代のラグジュアリー産業は、中国需要の変化によって大きく揺れた。

これはCHANELにも無関係ではない。

しかし長期企業が短期需要だけを追えば、ブランドの軸を失う。

一つの市場が減速したから別市場で大量販売する。

それだけでは長期戦略にならない。

地域ポートフォリオを分散しながら、ブランド価値を守る必要がある。



Growthの定義

ここでナイル時代の重要な問いが現れる。

CHANELにとって成長とは何か。

売上を毎年最大化することなのか。

店舗数を最大化することなのか。

商品数を増やすことなのか。

必ずしもそうではない。

顧客関係。

クラフト能力。

人材。

ブランド強度。

商品寿命。

企業の耐久性。

これらを含めて考える必要がある。



Quantitative GrowthからQualitative Growthへ

成熟したラグジュアリー企業では、

More Products。

More Stores。

More Customers。

だけではなく、

Better Products。

Deeper Relationships。

Stronger Craft。

Longer Lifetime。

という成長が重要になる。

つまり、

QuantityだけではなくQuality of Growth

を見る。

独立企業CHANELだからこそ、この時間軸を選択できる余地がある。



2026年のリーナ・ナイル

2026年8月現在、ナイルの仕事は完成していない。

むしろ重要な局面に入っている。

ブレイジーによる新しい創造。

ラグジュアリー市場の再編。

AI。

気候変動。

サプライチェーン。

人材。

価格。

顧客世代の変化。

そして100年以上のCHANELを、次の100年へどう接続するか。

これらが同時に存在する。



CEOは時間を経営する

ここまで見ると、CEOの仕事をもう一段抽象化できる。

資金を管理する。

人を管理する。

組織を管理する。

それだけではない。

時間を管理する。

今日の売上。

5年後の人材。

20年後のクラフト。

2040年の気候目標。

次世代の顧客。

100年後にも残るブランド。

異なる時間軸を同時に扱う。

これが長寿企業のCEOに求められる能力である。



ガブリエル・シャネルとの対照

ガブリエル・シャネルは、自分自身が創造者であり、経営者であり、ブランドそのものでもあった。

しかし現在のCHANELは巨大である。

一人の人間がすべてになることはできない。

だから2026年のCHANELでは、

創造。

所有。

経営。

職人。

顧客。

が分散している。

ナイルの仕事は、その分散を再び一つのメゾンとして機能させることである。



HeroからSystemへ

創業者企業では、一人のHeroが企業を動かす。

しかし100年企業はHeroだけでは存続できない。

人が変わっても続く。

デザイナーが変わっても続く。

CEOが変わっても続く。

そのためにはSystemが必要になる。

しかし、Systemが強すぎれば創造性を殺す。

だからCHANELが必要とするのは、

人間を置き換えるSystemではなく、人間の創造を継続可能にするSystem

である。



リーナ・ナイルの意味

ナイルをCHANEL史の中に置いたとき、その意味は「初の女性CEO」という一点には還元できない。

より重要なのは、

クラフト中心のメゾンを、

Human Capital。

Long-Term Capital。

Sustainability。

Technology。

Global Organization。

Creative Leadership。

へ接続しようとしていることである。

つまり彼女が扱っているのは、商品ではなく企業の生成条件である。



第1節の結論

ガブリエル・シャネルは、CHANELというメゾンを創造した。

カール・ラガーフェルドは、そのコードを現代へ翻訳し続けた。

ヴェルテメール家は、独立企業として長い資本時間を支えてきた。

そして2026年、リーナ・ナイルが担っているのは、それらを一つの企業システムとして次の時代へ接続することである。

人を育てる。

創造者へ自由を与える。

職人技へ投資する。

財務体力を維持する。

環境・社会課題を経営へ組み込む。

AIを人間の代替ではなく能力拡張へ使う。

そして、短期的な市場変動の中でも長期時間を失わない。

だから2026年のCHANELにおけるCEOの核心的な仕事は、単純な企業管理ではない。

100年以上蓄積されたCHANELのPotentialを、次のRealityへ変換できる企業をつくること。

リーナ・ナイルは、その転換点に立っている。

そして企業側にナイルがいるなら、創造側にはもう一人、2026年のCHANELを決定づける人物がいる。

第2節 人間を中心にした経営

CHANELの商品を分解していけば、最後に残るものは何だろうか。

革。

糸。

金属。

香料。

宝石。

機械。

それだけではCHANELにはならない。

素材を選ぶ人がいる。

デザインする人がいる。

縫う人がいる。

刺繍する人がいる。

香りを構成する人がいる。

時計を組み立てる人がいる。

ブティックで顧客へ手渡す人がいる。

修理する人がいる。

企業を経営する人がいる。

そして、それを使う顧客がいる。

CHANELの価値形成を最後まで遡ると、そこには常に人間がいる。

だから2026年のCHANELを考えるとき、人間を中心にした経営は付加的な人事政策ではない。

それはメゾンの価値生成そのものに関わる経営原理である。



LuxuryはHuman Intensiveである

現代企業の多くは、自動化によって生産性を高める。

工場を自動化する。

業務をソフトウェアへ移す。

AIを導入する。

一人当たり生産量を増やす。

これは合理的である。

しかしラグジュアリーには、効率化すればするほど価値が高まるとは限らない領域がある。

手仕事。

創造。

接客。

判断。

素材への感覚。

人間関係。

これらは単純な処理量では測れない。

CHANELは巨大企業でありながら、その価値の中心に極めてHuman Intensiveな領域を残している。



人間はコストなのか

企業会計では、人件費は費用として記録される。

給与。

福利厚生。

教育。

採用。

これらを減らせば短期的には利益が増える場合がある。

しかし、熟練職人を減らしたらどうなるか。

教育を止めたらどうなるか。

販売スタッフを過度に削減したらどうなるか。

若い人材へ投資しなくなったらどうなるか。

数年後、企業の価値形成能力そのものが弱くなる。

したがってCHANELでは、人間を単なるCostとして扱うことに限界がある。

Human Capitalは、将来の商品とサービスを生み出す生産能力そのものだからである。



Skillは貸借対照表に載らない

一人の職人が20年かけて身につけた技能。

数字には表しにくい。

しかし、その人が退職し、知識が失われた瞬間に企業はその価値を理解することがある。

Client Advisorが10年間築いた顧客との信頼も同じである。

会計上の資産には載らない。

しかし担当者がいなくなれば、関係の一部も失われる可能性がある。

企業には、

Financial Asset

だけではなく、

Invisible Human Asset

が存在する。



人間を所有することはできない

ここには通常の資産とは決定的に違う性質がある。

企業は工場を所有できる。

土地を所有できる。

商標を所有できる。

しかし、人間そのものを所有することはできない。

技能を持つ人は辞めることができる。

創造者は考えることを止めることができる。

販売スタッフは別の会社へ移ることができる。

したがってHuman Capitalを保持する方法は、所有ではない。

関係をつくることである。



EmploymentからRelationshipへ

給与を払う。

雇用契約を結ぶ。

それだけで人間の能力を最大化できるわけではない。

自分の仕事に意味を感じる。

成長できる。

尊重される。

意見を言える。

専門性を高められる。

将来が見える。

こうした条件が、人間と企業の関係を強くする。

だから人間中心の経営とは、福利厚生を増やすことだけではない。

人間が能力を発揮し続けられる関係を設計することである。



Human-Centered ≠ Human-Friendly

ここは区別しなければならない。

人間中心という言葉を、

優しい会社。

負担の少ない会社。

誰も厳しく評価されない会社。

と理解すると、本質を失う。

CHANELは卓越性を要求する企業である。

商品品質。

接客。

クリエイション。

クラフト。

経営。

高い水準が必要になる。

だから人間中心とは、要求水準を下げることではない。

むしろ、

人間が高い水準へ到達できる条件を企業がつくること

である。



Respect × Excellence

必要なのは二つである。

Respect。

人間を尊重する。

Excellence。

卓越性を求める。

どちらか一方だけでは持続しない。

Excellenceだけなら、人間が疲弊する。

Respectだけで成果を問わなければ、企業能力が弱くなる。

したがってCHANELに必要なのは、

Respect × Excellence

である。



教育

この二つを接続する中心が教育である。

高い水準を求めるなら、その水準へ到達する機会を提供しなければならない。

職人の訓練。

販売スタッフの商品知識。

マネジメント教育。

デジタル技能。

語学。

リーダーシップ。

サステナビリティ。

AI。

企業環境が変われば、必要な能力も変わる。

人間中心の企業は、人を現在の能力だけで評価するのではなく、次の能力を獲得できる主体として扱う。



Learning Organization

ここから企業そのものの姿が変わる。

完成された人材を市場から採用するだけではない。

企業内部で人が学ぶ。

職人から若手へ。

ベテランから新人へ。

地域から本社へ。

本社から地域へ。

顧客から企業へ。

異なる専門領域の間で知識が移動する。

CHANELは巨大なLearning Organizationでもなければならない。



メティエダールの意味

第7章で見たメティエダールの価値も、ここへつながる。

職人企業を傘下へ入れる。

資本を提供する。

仕事を継続させる。

若手を育てる。

技術を残す。

これは単なる垂直統合ではない。

人間の技能が途切れないための時間を企業が購入している

とも考えられる。



技術継承は人間継承である

製造装置なら、同じ機械を買えば一定の能力を再現できる。

しかし熟練技能は違う。

見る。

触る。

判断する。

失敗する。

修正する。

何年も繰り返す。

その過程を通じて身体に知識が入る。

だからクラフトの継承は、データのコピーではない。

人から人へ時間を渡すことで成立する。



Tacit Knowledge

このような知識をTacit Knowledge――暗黙知として考えることができる。

マニュアルへ書ける部分はある。

しかしすべては書けない。

「この革なら、ここで止める。」

「この刺繍なら、この程度の張力。」

「この顧客には今は話しかけない方がよい。」

数値化できない判断がある。

CHANELの企業能力には、こうしたTacit Knowledgeが大量に含まれている。



AI時代だからこそ人間を見る

2026年、この問題はAIによってさらに重要になる。

生成AIは文章を書く。

画像を生成する。

情報を検索する。

分析する。

翻訳する。

企業業務の多くを高速化できる。

すると経営者は問いを迫られる。

人間にしか残らない仕事は何か。

しかし、この問いの立て方だけでは十分ではない。

より重要なのは、

AIによって人間のどの能力を増幅するのか

である。



ReplaceではなくAugment

AI導入には二つの方向がある。

一つはReplace。

人間の仕事をAIへ置き換える。

もう一つはAugment。

AIによって人間の能力を拡張する。

CHANELの価値構造を考えれば、後者が特に重要になる。

在庫検索をAIが行う。

販売スタッフは顧客との対話へ集中する。

過去の技術資料をAIが探す。

職人は判断と制作へ集中する。

大量のデータをAIが整理する。

経営者は意思決定へ集中する。



Human Attentionを取り戻す

AIの最大の価値は、人間を消すことではないかもしれない。

人間が本来使うべき場所へ時間を戻すことである。

事務作業。

検索。

入力。

定型処理。

それらを減らす。

そして、

創造。

判断。

対話。

教育。

関係形成。

へ時間を移す。

つまりAIは、

Human Attention Reallocation

の技術として使うことができる。



Creativity

創造領域でも同じである。

AIは大量の案を生成できる。

しかしCHANELが必要としているのは、案の量ではない。

何をCHANELとして提示するのか。

なぜ今これをつくるのか。

過去のコードをどう読むのか。

どこを壊し、どこを残すのか。

最終的には判断が必要になる。

CreativityとはGenerationだけではなく、

SelectionとMeaning

を含む。



人間は意味を扱う

AIが1000案を生成する。

しかし1000案がブランドになるわけではない。

一つを選ぶ。

修正する。

別のものを捨てる。

現在の社会へ置く。

その判断には、文化、身体、歴史、直感が関係する。

したがってAI時代のラグジュアリー企業では、人間の価値が消えるというより、

人間が担う価値の位置が変わる

と考えた方がよい。



Client Advisor

ブティックでも同じことが起こる。

AIは顧客履歴を表示できる。

購入傾向を分析できる。

商品を推薦できる。

在庫を探せる。

しかし顧客が今日どんな気持ちで店へ来たのかを理解するには、人間的な判断が必要になる。

買いたいのか。

見たいだけなのか。

話したいのか。

静かに選びたいのか。

データだけでは完全にはわからない。



DataとHuman Judgment

未来のCHANELでは、

Data



Human Judgment

かの二択ではない。

必要なのは、

Data → Human Understanding → Judgment

という接続である。

データが人間を支える。

しかしデータが人間を固定しない。

過去に黒を買ったからといって、永遠に黒を勧める必要はない。

顧客も変化するからである。



人間は過去データを越えられる

AIは過去からパターンを見つけることを得意とする。

しかし人間は、

「この人は次に変わるかもしれない」

と考えることができる。

もちろんAIにも予測はできる。

それでも、人間関係の中では、本人がまだ言語化していない変化を対話から感じ取ることがある。

Luxury Serviceには、この余白が重要になる。



Diversity

人間中心の経営では、多様性も重要になる。

世界中の顧客へ商品を届ける企業が、単一の背景を持つ人々だけで意思決定すれば、世界の一部しか見えない。

国籍。

文化。

世代。

経験。

専門。

異なる視点を組織へ入れる。

これは倫理的価値だけではなく、企業の認識能力を広げる。



DiversityはObservation Capacityである

多様性を人数比率だけで考えると本質を見失う。

重要なのは、

企業がRealityを見る視点を増やすこと

である。

同じ商品でも、東京とパリでは見え方が違う。

20歳と60歳では違う。

職人とマーケターでは違う。

顧客と経営者では違う。

異なる視点が企業内部で接続されれば、意思決定の盲点を減らせる。



Inclusion

しかし多様な人を採用するだけでは意味がない。

意見を言えない。

昇進できない。

重要な意思決定へ入れない。

それではDiversityは表面的な数字になる。

必要なのはInclusionである。

異なる人間が実際に企業の判断へ参加できること。

つまり、

Diversityは存在の問題であり、Inclusionは参加の問題である。



女性の自立

CHANELにとって女性の自立は特別な歴史的意味を持つ。

ガブリエル・シャネル自身が20世紀初頭の社会で事業を築いた。

服装を変えた。

身体の自由を広げた。

働く女性の生活とも接続した。

2026年の企業が女性の自立を掲げるなら、それは創業史との連続性を持つ。

しかし歴史を語るだけでは足りない。

現在の企業制度として実装されなければならない。



SymbolからSystemへ

女性CEOがいる。

女性管理職が多い。

それは重要である。

しかしさらに重要なのは、

採用。

評価。

報酬。

育成。

昇進。

育児。

キャリア復帰。

安全。

サプライチェーン。

まで制度として接続されているかである。

Symbolic RepresentationをInstitutional Capabilityへ変える。

これが長期的な人間中心経営になる。



Well-being

人間中心の企業ではWell-beingも無視できない。

ラグジュアリー産業は華やかに見える。

しかし裏側には、

納期。

コレクション。

店舗業務。

イベント。

移動。

顧客対応。

高い品質要求。

がある。

高いPerformanceを長期間維持するには、疲弊を前提にした経営では続かない。



Burnoutは企業資産の毀損である

熟練人材が燃え尽きる。

退職する。

知識が失われる。

採用し直す。

育成する。

企業にとって大きな損失である。

だからWell-beingを単なる福利厚生ではなく、

Human Capital Preservation

として見ることができる。

人を大切にすることと経済合理性は、必ずしも対立しない。



しかし快適さだけを最大化しない

一方、企業は仕事をする場所である。

創造には緊張もある。

挑戦もある。

失敗もある。

難しい目標もある。

Well-beingを不快なことが一切ない状態と理解すれば、成長は止まる。

必要なのは、

安全でありながら挑戦できる。

尊重されながら批評される。

失敗しても学べる。

という環境である。



Psychological SafetyとHigh Standards

ここでも二つを同時に成立させる必要がある。

Psychological Safety。

High Standards。

意見を言える。

しかし品質には妥協しない。

失敗を報告できる。

しかし同じ失敗を放置しない。

人間中心経営とは、この緊張を消すことではなく、健全に維持することなのである。



Leadership

そのために重要なのが管理職である。

CEOがどれほど優れた理念を語っても、従業員が毎日接するのは直属の上司であることが多い。

そこで、

聞かれない。

評価が不透明。

成長できない。

意見を否定される。

なら、人間中心経営は成立しない。

つまりCultureはCEOの言葉ではなく、

Management Layerの日常行動

によって実装される。



Managerを育てる

優れたデザイナーが優れた管理職とは限らない。

優れた販売員が優れた店舗責任者とも限らない。

専門能力とPeople Managementは別の能力である。

だから昇進させるだけではなく、管理職として教育する必要がある。

巨大企業で人間中心経営を実装するなら、ここが極めて重要になる。



ListeningをSystemにする

リーナ・ナイル個人が世界中の従業員の声を聞くことはできない。

だからListeningを個人能力だけに依存させてはいけない。

従業員調査。

対話。

現場訪問。

内部コミュニケーション。

フィードバック。

内部異動。

学習プログラム。

複数の経路をつくる。

つまりListeningもまた、

Organizational Architecture

として実装する必要がある。



現場から経営へ

ブティックで顧客の変化を最初に感じる。

アトリエで素材の問題を最初に感じる。

地域組織で市場変化を感じる。

その情報が上へ届かない企業は、巨大になるほど現実から離れる。

人間中心経営には、

人を尊重する

だけでなく、

人間が持っている現場情報を経営へ戻す

という機能がある。



Bottom-up Intelligence

これを組織知として見れば、

Top-down Strategy



Bottom-up Intelligence

を接続する必要がある。

経営陣が方向を示す。

現場がRealityを返す。

戦略を修正する。

また実行する。

この循環がある企業は、変化へ適応しやすい。



人間中心と独立経営

第5章で見た独立性は、ここでも意味を持つ。

短期利益への圧力が極端に強ければ、

教育を削る。

人員を削る。

長期育成を削る。

という判断が起こりやすい。

しかしHuman Capitalへの投資は成果が出るまで時間がかかる。

CHANELの独立所有構造は、理論上、この長い投資時間を持ちやすい。



人材にもLong-Term Capitalを使う

職人を育てるのに10年かかる。

次世代リーダーを育てる。

女性のキャリアを長期的に支える。

新しい技能を獲得させる。

これらは短期ROIだけでは評価しにくい。

だから長期資本とは、建物や企業買収に使う資本だけではない。

人間へ時間を投資できる資本でもある。



Human ROI

もちろん人材投資にも成果を問う必要がある。

しかしROIを翌四半期だけで測らない。

技能が残る。

離職が減る。

顧客関係が深くなる。

内部昇進が増える。

創造性が高まる。

企業文化が継承される。

こうした長期成果を見る。

人間中心経営には、時間軸の長い評価が必要になる。



Generation

CHANELでは「世代」という言葉が二重の意味を持つ。

商品の世代。

そして人間の世代。

ベテランから若手へ。

創業者からラガーフェルドへ。

ラガーフェルドから次の時代へ。

経営者も変わる。

顧客も変わる。

企業が100年以上続くとは、

人間を入れ替えながら知識と価値を失わないこと

でもある。



Succession

したがってSuccessionはCEO交代だけの問題ではない。

職人。

管理職。

販売員。

技術者。

経営者。

あらゆる階層に後継者が必要になる。

誰か一人が辞めた瞬間に機能が消える企業は、長寿企業にはなれない。

人間中心の経営は、人を大切にすると同時に、

知識を一人へ閉じ込めない経営

でもある。



IndividualとOrganization

ここには微妙な均衡がある。

個人を尊重する。

しかし企業を個人へ依存させすぎない。

ガブリエル・シャネルほどの創業者。

カール・ラガーフェルドほどの創造者。

それでもCHANELは、その後も続かなければならない。

Heroを尊重しながら、Heroの後も続くSystemをつくる。

これが100年企業の条件である。



Human System

一見するとHumanとSystemは反対に見える。

Systemは人間を標準化するもの。

Humanは個別性を持つもの。

しかし優れたSystemは、人間を消す必要はない。

むしろ、

人間が創造できる。

学べる。

判断できる。

協働できる。

失敗から回復できる。

その条件を安定的に提供できる。

これをHuman Systemと考えることができる。



CHANELというHuman Network

この視点でCHANELを見ると、企業像が変わる。

本社を中心としたピラミッドだけではない。

デザイナー。

職人。

アトリエ。

原料生産者。

サプライヤー。

物流。

ブティック。

Client Advisor。

経営者。

顧客。

それらが接続された巨大なHuman Networkである。

価値は、そのネットワークを流れる。



顧客も人間中心経営の外ではない

Human-Centeredというと従業員だけを想像しやすい。

しかし企業が人間を中心に考えるなら、顧客も含まれる。

顧客を購買データへ還元しない。

一人の人間として見る。

売るだけではなく関係する。

購入後も修理を支える。

プライバシーを守る。

顧客の時間を尊重する。

前章まで見てきた顧客体験も、同じ思想へ接続する。



EmployeeとClient

従業員を数字だけで扱う企業が、顧客だけを本当に人間として扱えるだろうか。

難しい。

組織内部で人間を尊重する文化は、外部の顧客対応へ現れる。

逆に、従業員へ過度な販売圧力をかければ、それは接客にも現れる。

だから、

Employee ExperienceとClient Experienceは接続している。



Supplierも人間である

さらに境界を広げれば、サプライチェーンにも人間がいる。

素材を生産する。

加工する。

輸送する。

CHANELの直接雇用ではない人々も、商品の価値形成へ参加している。

企業責任を本当に人間中心へ広げるなら、自社従業員だけで終わらない。

労働条件。

人権。

安全。

公正な関係。

まで見る必要がある。



Human-Centered Value Chain

するとCHANELの価値連鎖は、

Raw Material
→ Craft
→ Maison
→ Boutique
→ Client

という物の流れだけではなく、

Human → Human → Human → Human

の連鎖としても見える。

一つの商品は、多数の人間の仕事を次の人間へ渡す媒体なのである。



人間と地球

さらに、人間中心だから自然を後回しにしてよいわけではない。

人間は自然から切り離されていない。

革。

綿。

羊毛。

花。

金属。

宝石。

水。

エネルギー。

人間の仕事は自然条件に依存する。

だから長期的なHuman-Centered Managementは、結果的に環境条件まで含まなければ成立しない。



Human-CenteredからLife-Centeredへ

人間を中心に見る。

その人間が自然へ依存していることを見る。

すると経営視野はさらに広がる。

Employee。

Client。

Community。

Supplier。

Nature。

ここまで接続して初めて、100年後にも企業活動を続けられる条件が見えてくる。



2026年という境界

2026年の企業経営では、人間中心という言葉の意味が以前より重くなっている。

AIが急速に能力を高める。

多くの知的作業が自動化される。

データが企業活動の中心へ入る。

そのとき企業は、人間を「自動化できなかった残り」として扱うのか。

それとも、

企業が存在する目的と価値形成の中心主体として再定義するのか。

ここが分岐点になる。



CHANELにとっての答え

CHANELの場合、その答えは比較的明確である。

人間を消せば、CHANELらしさの重要な部分も消える。

クラフトには人間がいる。

創造には人間がいる。

接客には人間がいる。

継承にも人間がいる。

だからTechnologyは、人間を排除するためではなく、

人間がより人間にしかできない仕事へ集中するため

に使う方が、メゾンの価値構造と整合する。



人間を中心にするとは、未来を中心にすることである

人間への投資は時間がかかる。

今日教育した若手が、10年後の熟練者になる。

今日採用した人材が、20年後の経営者になるかもしれない。

今日守った技能が、次世代の商品へ使われる。

したがってHuman-Centered Managementとは、短期的な従業員満足政策ではない。

未来のCHANELを現在の人間の中につくることである。



第2節の結論

2026年のCHANELにとって、人間を中心にした経営とは、人を企業の周辺へ置くことではない。

創造する人。

つくる人。

売る人。

支える人。

経営する人。

使う人。

次の世代へ伝える人。

そのすべてを価値形成主体として見ることである。

AIは進化する。

デジタル化も進む。

企業規模も拡大する。

しかし、その中でCHANELが守るべきものは「昔ながらの人間作業」そのものではない。

人間が創造し、判断し、関係し、学び、次の人間へ価値を渡す能力である。

ガブリエル・シャネルから100年以上続いてきたCHANELは、人間が変わりながら継承されてきた。

だから次の100年もまた、商品だけではつくれない。

人を育てる。

人から学ぶ。

人へ任せる。

人を接続する。

そしてTechnologyによって、その可能性をさらに広げる。

そのときHuman Capitalは単なる経営資源ではなくなる。

人間そのものが、次のCHANELを生成するPotentialになる。

そして、この人間中心の企業が2026年に迎えているもう一つの大きな転換が、創造の側にある。

ヴィルジニー・ヴィアールの時代を終え、CHANELは新しいクリエイティブ・リーダーへ未来を委ねた。

その人物が、マチュー・ブレイジーである。
第3節 マチュー・ブレイジー

2026年のCHANELを語るとき、企業側の中心にリーナ・ナイルがいるなら、創造側の中心にはマチュー・ブレイジーがいる。

CHANELは2024年末、ブレイジーをFashion Activitiesの新しいArtistic Directorに任命し、2025年からHaute Couture、Ready-to-Wear、Accessoriesを統括する体制へ移行した。

これは単なる人事ではない。

ガブリエル・シャネル。

カール・ラガーフェルド。

ヴィルジニー・ヴィアール。

その長い継承の後に、CHANELが次の時代の創造を誰へ委ねるのかという選択である。

そして2026年現在、ブレイジーはすでに最初のSpring–Summer 2026、Haute Couture、Métiers d’art、Fall–Winter 2026、さらにCruise 2026/27までを通じて、新しいCHANELの輪郭を提示し始めている。CHANEL自身も2025年度決算で、彼のデビューSpring–Summer 2026を「新しい章」の中心として位置づけている。

ここで重要なのは、ブレイジーが「CHANELを変えたか」を急いで判定することではない。

より本質的な問いは、

100年以上の歴史を持つメゾンへ入った一人の創造者が、過去を壊さず、コピーせず、どのように現在の服へ変換し始めたのか。

そこにある。



CHANELへ来る前

ブレイジーは、CHANELで突然現れたデザイナーではない。

長い時間をかけて複数のメゾンとデザイナーのもとで経験を積み、服、素材、構造、クラフトを学んできた。

彼のキャリアを特徴づけてきたものの一つは、派手なブランド記号だけに依存せず、

素材そのもの。

衣服の構造。

身体。

職人技。

見た目と実際の素材とのずれ。

を使って服を成立させる姿勢だった。

この経験はCHANELと相性がよい。

なぜならCHANELもまた、ロゴだけでは成立していないからである。



CHANELは巨大な素材企業でもある

ツイード。

ジャージー。

シルク。

刺繍。

羽根。

レザー。

金属。

ジュエリー。

一つのメゾンの内部に、極めて多くの物質世界が存在する。

さらに、

Lesage。

Lemarié。

Maison Michel。

Massaro。

Goossens。

Atelier Montex。

といったメティエダールの技術ネットワークがある。

ブレイジーにとってCHANELへ移るということは、ブランドコードを受け取るだけではない。

世界でも稀なMaterial and Craft Infrastructureを受け取ること

でもある。



デザイナーの能力は、工房によって拡張される

一人のデザイナーの頭の中に、どれほど多くのアイデアがあっても、それを実物へできなければ服にはならない。

CHANELでは、

こんな素材をつくれるか。

こんな刺繍は可能か。

こんな表面を実現できるか。

と問いかけられる相手がいる。

そして工房側からも、

こんなことができる。

この技術なら別の表現が可能だ。

と返ってくる。

したがってブレイジーの創造力を個人だけから評価することには限界がある。

重要なのは、

Matthieu Blazy × CHANEL Craft Network

という組み合わせである。



最初のコレクション

ブレイジーによる最初のCHANELのSpring–Summer 2026は、2025年10月に発表された。

CHANEL公式は、このコレクションをガブリエル・シャネルとの「conversation」として位置づけ、メゾンのコードの本質を引き出しながら、動きのあるワードローブの基本を構築するものとして説明している。

この「conversation」という言葉は重要である。

ガブリエル・シャネルをコピーするのではない。

否定するのでもない。

会話する。

過去を絶対的な答えにせず、現在から問い直す。

これは100年ブランドを更新するための非常に自然な方法である。



CopyではなくConversation

ブランドコードを扱う方法には、少なくとも三つある。

そのまま再現する。

完全に捨てる。

あるいは、読み直す。

CHANELに最も必要なのは第三の方法である。

ツイードを使う。

しかし昔と同じジャケットだけをつくらない。

黒と白を使う。

しかし過去の写真を再現するだけにはしない。

カメリア。

チェーン。

パール。

それらの意味を現在の身体へ置き直す。

つまり、

Heritage → Interpretation → Contemporary Form

という流れである。



ラガーフェルドとの違い

カール・ラガーフェルドも、まさにCHANELのコードを読み直し続けた人物だった。

しかしブレイジーがラガーフェルドと同じ方法を使う必要はない。

むしろ同じことをすれば、ラガーフェルドのコピーになる。

ラガーフェルドの偉大さは、ガブリエル・シャネルをコピーしなかったことにある。

ならばブレイジーもまた、ラガーフェルドをコピーしないことでCHANELの継承を行う必要がある。

継承とは前任者と同じになることではない。前任者が持っていた「更新する能力」を受け継ぐことである。



ヴィアールとの違い

ヴィルジニー・ヴィアールは、ラガーフェルドの長い時代から内部的にCHANELを知る人物だった。

そこには継承の連続性があった。

ブレイジーはより外部から入る。

この違いは大きい。

内部者は細部を深く知る。

外部者は、内部では当たり前になっているものを新しく見ることができる。

だから外から来たデザイナーには、

CHANELが自分自身では見えなくなっていたCHANELを再発見する可能性

がある。



最初に何を見るか

巨大なアーカイブへ入る。

何千、何万という過去の商品がある。

すべてを使うことはできない。

どこを見るか。

それ自体が創造になる。

バッグを見るのか。

ジャケットを見るのか。

初期のスポーツウェアを見るのか。

香水文化を見るのか。

ジュエリーを見るのか。

ガブリエル・シャネルの私生活を見るのか。

ブランドの歴史には無数の入口がある。

だからHeritageの価値は、資料の量だけではない。

何を現在へ持ってくるかというSelectionの質にある。



Body

そしてブレイジーのCHANELで重要になるのが、身体である。

CHANELのHaute Couture公式史でも、ブレイジーのクチュールの出発点を「それぞれに固有な女性の身体」として位置づけている。

これはガブリエル・シャネルの起源へ深くつながる。

服を装飾として見るのではない。

身体が動く。

歩く。

座る。

仕事をする。

生活する。

その身体から服を考える。



女性の身体へ戻る

ガブリエル・シャネルが変えたものの一つは、女性と衣服の関係だった。

身体を強く固定する衣服から、より動ける衣服へ。

ジャージー。

スポーツウェア的感覚。

ポケット。

ストラップ。

機能。

それは単に「シンプルな服」をつくったという話ではない。

女性の身体が世界の中でどう動くかを変えた。

ブレイジーが身体からCHANELを読み直すことは、表面的なコードよりさらに深い創業原理へ戻ることになる。



Wardrobe

この意味で、最初のコレクションが「wardrobe in motion」を志向していることも示唆的である。

ショーのためだけの服。

写真のためだけの服。

それだけではない。

実際に着る。

組み合わせる。

動く。

生活する。

ワードローブとして成立する。

FashionをImageだけではなくLifeへ戻す。

これはCHANELの起源と強く整合する。



ObjectではなくPerson

ラグジュアリー企業は、商品を中心に考えやすい。

バッグをどう美しく見せるか。

ジャケットをどう象徴的に見せるか。

しかし身体から考えるなら、主語が変わる。

商品ではなく、

その商品を着る人

になる。

この人が動く。

この人が世界へ出る。

その身体へ服がどう作用するのか。

ここで前節のHuman-Centered Managementと、ブレイジーのCreative Directionが接続する。



人間中心の経営と身体中心の創造

企業側では人間を中心に置く。

創造側では身体を中心に置く。

この二つが偶然同じ方向を向いている点は興味深い。

Human-Centered Company。

Body-Centered Creation。

もしこの二つが実際に接続すれば、2026年以降のCHANELには強い一貫性が生まれる可能性がある。



Craft

ブレイジーのもう一つの重要な軸がCraftである。

2026 Métiers d’artは彼にとって初めてのCHANEL Métiers d’art Collectionとなり、CHANELはLesage、Massaro、Goossens、Lemarié、Atelier Montex、Maison Michelなどのサヴォアフェールを前面に出している。

ここでCraftは完成したデザインを装飾するための後工程ではない。

Creative Languageそのものになる。



Craftを見せびらかさない

高度なクラフトには一つの誘惑がある。

「こんなに難しい技術を使っています。」

と技術そのものを前面に出すことである。

しかし本当に優れたクラフトは、必ずしも技術量を見せる必要はない。

着た人が美しく見える。

素材に驚く。

後から見て、どうつくられているのかわかる。

Craftは目的ではなく表現の手段である。



技術が人を輝かせる

この視点はCHANELに特に重要である。

服が職人技の展示台になってしまえば、着る人が消える。

しかしCHANELの起源に戻れば、衣服は人間の身体を自由にし、その人を魅力的にするためにある。

だからCraftの最終評価は、

「どれだけ難しかったか」

ではなく、

それによって着る人の存在がどれだけ豊かになったか

にある。



素材が別のものに見える

ブレイジーの過去の仕事でも特徴的だったのが、素材認識を揺らす方法である。

一見するとデニム。

しかし実際には別素材。

一見すると単純。

近くで見ると極めて複雑。

このようなMaterial Illusionには、ラグジュアリーの面白い方向がある。

高級であることを、大きなロゴや宝飾的な装飾だけで表さない。

知覚そのものを驚かせる。



Quiet Luxuryの先

2020年代にはQuiet Luxuryという言葉が流行した。

ロゴを目立たせない。

素材や仕立てで価値を示す。

ブレイジーにはこの文脈で語られてきた面もある。

しかしCHANELで必要なのは、単にロゴを小さくすることではない。

CHANELには強力な象徴コードがある。

重要なのは、

Visible Code



Invisible Craft

をどう組み合わせるかである。



CHANELは「静か」だけではない

CHANELには、

黒。

白。

ゴールド。

パール。

チェーン。

ダブルC。

大胆なショー。

という強い可視性もある。

だから新しいCHANELをQuiet Luxuryだけへ寄せれば、ブランドの一部を失う可能性がある。

必要なのは、

静かな品質。

大胆な表現。

その両方である。

RestraintとSpectacleを同時に扱えるか。

ここもブレイジーの課題になる。



Métiers d’art 2026

初のMétiers d’art 2026では、CHANEL公式が「reality and fiction」の交差や、多様な人物像を前面に置いている。

ここには単なる技法展示以上の方向が見える。

服だけを見るのではない。

人を見る。

人物の個性を見る。

服がそれぞれ異なる人格をどう支えるかを見る。

これはCHANELを一つの理想女性像へ固定しない方向とも読める。



One WomanではなくWomen

ガブリエル・シャネル自身は非常に強い人物像を持っていた。

そのためCHANELは長く、一つの女性像を持つブランドとして語られやすかった。

しかし現代社会では、女性像そのものが多様化している。

働き方。

身体。

文化。

年齢。

アイデンティティ。

一つの理想型へ全顧客を近づけるのではなく、異なる人々がCHANELを自分のものにできる余地を持つ。

これは次世代ブランドにとって重要になる。



Individuality

つまり新しいLuxuryには、

「CHANELを着ればCHANELの女性になる」

だけではなく、

CHANELを着ることで、その人自身がより明確になる

という方向があり得る。

ブランドが人間を覆うのではない。

ブランドが人間の個性を増幅する。

これはブランドロゴを消すこととは違う。

ブランドとPersonalityが競合しない関係をつくることである。



Haute Couture

この思想が最も純粋に現れる場所がHaute Coutureである。

クチュールでは、一人の顧客の身体へ服をつくる。

既製服の標準サイズへ身体を合わせるのではない。

服を身体へ合わせる。

したがってHaute Coutureは、人間中心のファッションを極限まで進めた形式でもある。

CHANELが公式に、ブレイジーのクチュールの起点を身体の固有性へ置いていることは、この意味で重要である。



Coutureは未来技術でもある

オートクチュールを過去の贅沢な服づくりとだけ見る必要はない。

個別化。

身体データ。

高度なフィッティング。

職人技能。

修理。

長期所有。

現在のテクノロジーと組み合わせれば、未来のPersonalized Fashionへ多くの示唆を持つ。

つまり最も古い製造形式が、最も新しいファッションの一つの原型にもなり得る。



AIとブレイジー

2026年のCreative Directorは、AI以前のデザイナーとは違う環境にいる。

AIは大量の画像を生成できる。

アーカイブを解析できる。

過去のCHANELコードを無数に組み合わせることもできる。

だから「過去のコードを新しく組み合わせる」だけでは、人間の創造価値を説明しにくくなる。

ここでブレイジーに必要なのは、

何をつくれるか

より、

なぜ今それをつくるのか

という判断になる。



AIにはCHANELの歴史を入力できる

理論上、CHANELのアーカイブをデータ化する。

画像。

素材。

ショー。

商品。

色。

シルエット。

AIへ学習させる。

すると「CHANELらしい」案を大量生成できるかもしれない。

しかし、それは平均化されたCHANELになる危険もある。

過去の特徴の統計的再構成だからである。



デザイナーは平均から外れる

創造者の価値は、過去データに最も合う答えを出すことではない。

ときには、

「これはCHANELではないように見える。しかし、ここからCHANELになる。」

という境界を見つけることにある。

この判断にはリスクがある。

AIによる過去最適化だけでは出しにくい。

だからCreative Directorは、AI時代にむしろ重要になる可能性がある。



HistoryをConstraintではなくResourceにする

100年以上のブランド史は、創造者にとって大きな資産である。

同時に重い制約でもある。

何をしても、

「CHANELらしいか。」

と問われる。

この圧力に負ければ過去のコピーになる。

無視すればブランドが消える。

必要なのは、HistoryをConstraintだけでなく、

Creative Resource

へ変える能力である。



Fall–Winter 2026

CHANEL公式はFall–Winter 2026を、ガブリエル・シャネルとマチュー・ブレイジーの「ongoing conversation」と表現している。

重要なのは、この会話が最初のコレクションだけで終わっていないことである。

一度過去を引用する。

終わり。

ではない。

毎シーズン、異なる問いを投げる。

つまりHeritageとの関係そのものを継続的な創造方法へしている。



Historyは固定されない

ガブリエル・シャネルは一人しかいない。

しかし、彼女の意味は一つではない。

ある時代には女性解放の象徴として読む。

ある時代にはモダニズムとして読む。

素材革命として読む。

身体として読む。

経営者として読む。

その時代の問題によって、歴史から見えるものが変わる。

だから過去は固定された資産ではない。

現在が変わるたびに、新しい価値を引き出せる資産でもある。



Biarritz

2026年、ブレイジー初のCruise Collectionがビアリッツで発表された。

CHANELはこれを、メゾンの始まりの場所へ敬意を払うものとして位置づけている。

これも単なる歴史的ロケーション選択ではない。

1910年代のCHANELを、2026年のCHANELがもう一度訪れる。

空間そのものをアーカイブとして使う。



PlaceもHeritageである

ブランド史は商品だけに残らない。

カンボン通り。

ドーヴィル。

ビアリッツ。

場所にも記憶がある。

そこへ現在のコレクションを置く。

すると過去と現在が同じ場所で重なる。

つまりHeritage Managementには、

Object。

Story。

だけでなく、

Place

も含まれる。



CHANELの未来はパリだけではない

一方、CHANELは世界企業である。

パリの歴史だけへ閉じれば、世界の現在との関係を失う。

ブレイジーには、

French MaisonとしてのCHANEL

と、

Global BrandとしてのCHANEL

を同時に扱う必要がある。

これは簡単ではない。



Global Client, Parisian Origin

中国。

日本。

韓国。

米国。

中東。

東南アジア。

顧客は世界にいる。

しかしCHANELを国ごとに別ブランドへ変えることはできない。

必要なのは、

Parisian Origin × Global Human Diversity

である。

起源を保ちながら、多様な人間が自分の生活へ持ち込める服をつくる。



Cultureを借りる危険

世界を参照するときには注意も必要になる。

異文化の記号を表面的に使う。

Exoticとして消費する。

それでは現代の顧客から批判される可能性がある。

グローバルなCreative Directorには、他文化をどのように理解し、敬意を持って接続するかという高い文化的判断が必要になる。

これはデザイン能力だけではなく、Cultural Intelligenceである。



マチュー・ブレイジーは一人でCHANELをつくらない

ここまで見てきたように、Creative Directorの役割は大きい。

しかしHero Storyへ戻してはいけない。

コレクションには、

アトリエ。

職人。

スタイリスト。

素材開発。

モデル。

ショーチーム。

経営。

多くの人々が関わる。

だからブレイジーの本当の能力は、自分一人で創造することより、

巨大なCreative Organizationから最高のものを引き出すこと

にもある。



Creative Leadership

これはDesignerとCreative Leaderの違いである。

Designerは自分でつくる。

Creative Leaderは、他者の能力も含めて一つの方向へ導く。

CHANELほどのメゾンでは後者が不可欠になる。

工房の知識を尊重する。

自分のビジョンを伝える。

議論する。

選ぶ。

最終的な責任を持つ。

ここにも人間中心の組織原理が入る。



Craftから学べるデザイナー

職人を単なる実行部門と見るデザイナーより、

職人から学べるデザイナーの方が、CHANELのクラフト資産を深く使える。

「自分のデザインを正確に再現してください。」

だけでは能力の半分しか使わない。

「あなたなら何ができるか。」

と聞く。

そこで新しい素材表現が生まれる。

この双方向性が重要になる。



EgoとMaison

Creative Directorには強い個性が必要である。

しかしCHANELでは、自分自身のブランドをつくるわけではない。

100年以上続いてきたMaisonへ入る。

ここでは、

自分を消しすぎれば創造できない。

自分を出しすぎればCHANELが消える。

必要なのは、

Designer Identity × Maison Identity

の均衡である。



成功とは何か

ブレイジー時代が成功したかを、2026年の時点で最終評価することは早い。

売上。

批評。

SNS。

セレブリティ。

これらは短期指標である。

本当の評価には時間が必要になる。

5年後。

10年後。

彼のCHANELがヴィンテージ市場でどう見られるか。

新しいコードを残したか。

若い顧客をつくったか。

クラフト能力を高めたか。

そこまで見なければわからない。



Creative ROIには時間がかかる

一つの新しいバッグを出す。

すぐに売れる。

それはわかりやすい成果である。

しかし新しいシルエットや服装文化をつくるには時間がかかる。

顧客が慣れる。

他者が影響を受ける。

後に時代を代表するものとして評価される。

つまりCreative InvestmentにもLong-Term ROIがある。



2026年は結果ではなく始点

だから2026年のマチュー・ブレイジーを、完成した時代として見るべきではない。

CHANELにおける彼の時間は始まったばかりである。

最初のSpring–Summer。

最初のHaute Couture。

最初のMétiers d’art。

最初のFall–Winter。

最初のCruise。

これらが少しずつ、新しい文法を形成している段階である。



それでも見えている方向

現時点で見える方向はある。

Heritageをコピーせず会話する。

身体へ戻る。

Wardrobeとして考える。

クラフトを創造の中心へ置く。

複数のPersonalityを許容する。

過去の場所へ戻りながら現在へ更新する。

これらは、バラバラな要素ではない。

一つの方向へつながっている。



Human × Body × Craft × History

それを企業経営の既存言語で整理すれば、

Human
× Body
× Craft
× History
× Contemporary Creation

である。

ブレイジーはCHANELを未来予測からつくっているのではない。

CHANELがすでに持っているものを深く読み、

そこから現在の人間へ必要な形を取り出そうとしている。



新しさとは何か

ここで「新しいCHANEL」の意味も変わる。

過去に存在しなかった形を出せば新しい。

それだけではない。

同じツイードでも、

今までと違う身体へ置く。

同じコードでも、

異なる意味へ変える。

すると見慣れたものが再び新しくなる。

ラグジュアリーのInnovationは、技術的新規性だけではない。

Meaning Renewal

でもある。



100年ブランドのイノベーション

新興ブランドは何も持っていない。

だから自由である。

CHANELはすでに膨大なものを持っている。

だから制約がある。

しかし、その制約自体が創造材料にもなる。

100年ブランドのInnovationとは、

ゼロからつくることではなく、

蓄積された資産から、まだ存在していなかった現在をつくること

なのである。



創造と経営の接続

ここで第1節、第2節、第3節が一つにつながる。

リーナ・ナイル。

人間を中心にした経営。

マチュー・ブレイジー。

企業側が人材、資本、クラフト、環境を支える。

創造側が、その能力を実際の商品へ変換する。

つまり2026年のCHANELは、

Corporate Capability × Creative Capability

の接続点にいる。



ナイルは環境をつくり、ブレイジーは表現する

もちろん実際にはもっと複雑である。

しかし役割を簡潔に分ければ、

CEOは創造が持続できる環境をつくる。

Artistic Directorは、その環境から新しいCHANELをつくる。

CEOが服をデザインしない。

デザイナーが企業財務を直接運営しない。

役割を分けながら、同じMaisonをつくる。

ここに成熟した創造企業の構造がある。



マチュー・ブレイジーの最大の資産

彼がCHANELへ持ち込んだのは、特定のバッグでも、特定のシルエットでもない。

最も重要なのは、

素材、身体、クラフトを通じて服を考える方法

だと考えることができる。

この方法がCHANELの巨大なクラフト基盤と接続したとき、何が生まれるのか。

そこが次の数年間の最大の観察点になる。



最大のリスク

逆にリスクもある。

過去を意識しすぎて保守的になる。

クラフトを重視しすぎて服が重くなる。

批評的評価は高いが顧客が着ない。

高価格化と結びつき、超富裕層だけのブランドになる。

あるいはブレイジー個人の世界が強くなりすぎ、CHANELの幅を狭める。

すべて起こり得る。

だからCreative Renewalには常にリスクがある。



しかしリスクを取らなければ更新できない

100年ブランドが最も避けたいのは失敗である。

しかし失敗を恐れて過去の人気商品だけを反復すれば、別の意味でブランドは衰える。

創造企業には、

ブランドを壊さない慎重さ

と、

ブランドを停滞させない大胆さ

の両方が必要になる。

ブレイジーの役割は、その境界を探すことにある。



2026年のCHANELは会話を始めた

ガブリエル・シャネルはもういない。

ラガーフェルドもいない。

しかし彼らがつくったものは残っている。

アーカイブ。

コード。

職人。

顧客の記憶。

ヴィンテージ。

場所。

そのすべてに対してブレイジーが現在から問いを投げる。

CHANEL公式が繰り返し「conversation」という言葉を使うことは、この新時代を象徴している。



第3節の結論

マチュー・ブレイジーの仕事は、CHANELを別のブランドへ変えることではない。

また、ガブリエル・シャネルやラガーフェルドの世界へ戻すことでもない。

100年以上の蓄積を、

現在の身体。

現在の素材感覚。

現在の社会。

現在の顧客。

へもう一度接続することである。

そこでは、

Historyはコピーする対象ではない。

Craftは装飾ではない。

Bodyはマネキンではない。

Humanはブランドを見せる背景ではない。

すべてが創造の内部へ入る。

だからブレイジー時代の核心は、派手な革命ではなく、

CHANELを構成してきた根本要素の関係を、現在からもう一度組み直すこと

にある。

そして、その仕事が成功すれば、過去は保存されるだけではない。

現在によって新しい意味を与えられ、次の時代へ進む。

ここから終章の次の問いが生まれる。

第4節 歴史を現代へ更新する

100年以上のHeritageは、守るだけでは未来にならない。CHANELはいかに過去を失わず、現在のRealityとして再び成立させるのか。
第4節 歴史を現代へ更新する

CHANELには100年以上の歴史がある。

ガブリエル・シャネル。

帽子店。

ドーヴィル。

ビアリッツ。

ジャージー。

N°5。

リトル・ブラック・ドレス。

ツイード。

2.55。

カメリア。

コスチュームジュエリー。

カール・ラガーフェルド。

メティエダール。

この蓄積は、新しいブランドが短期間で獲得できるものではない。

しかし、歴史が長いこと自体が競争優位になるわけでもない。

歴史は、使い方を誤れば企業を固定する。

過去の成功が大きいほど、

昔と同じものをつくる。

象徴的なコードを反復する。

過去のスターを語り続ける。

という方向へ進みやすい。

それはHeritage Preservationではあっても、必ずしもCreationではない。

100年企業に必要なのは、歴史を保存することだけではない。

過去に蓄積された価値を、現在の人間がもう一度使える形へ更新することである。



Heritageは答えではない

CHANELのアーカイブには膨大な答えが残っているように見える。

黒と白。

ツイード。

チェーン。

パール。

カメリア。

ダブルC。

これらを使えば、すぐにCHANELらしい商品をつくることができる。

しかし、ここに危険がある。

「CHANELらしさ」を記号の集合として理解してしまうことである。

ツイードを使った。

カメリアを付けた。

チェーンを使った。

だからCHANELである。

それだけなら、ブランドコードは創造を助ける言語ではなく、過去を再現するテンプレートになる。

歴史は答えではない。

現在から新しい答えを導くための資料である。



CodeとPrinciple

ここでブランドコードと、その奥にある原理を区別する必要がある。

たとえばジャージー。

重要なのは「ガブリエル・シャネルがジャージーを使った」という事実だけではない。

なぜ使ったのか。

当時の女性の身体。

動き。

生活。

既存の服装への違和感。

それに対して新しい素材を選んだ。

つまりジャージーという表面のCodeの奥には、

現在の身体に必要な素材を選ぶ

というPrincipleがある。



2.55も形だけではない

2.55についても同じである。

キルティング。

チェーン。

フラップ。

それだけを反復すれば、形は継承できる。

しかしショルダーストラップによって手を自由にするという発想まで遡れば、そこには別の意味が見える。

バッグを装飾物として持つだけではない。

人間が動けるようにする。

つまりCHANELの歴史には、

商品形状より深いところに、

身体と生活を更新する考え方

がある。



歴史を深く読む

長寿ブランドを更新するためには、過去の商品表面から一段ずつ遡る必要がある。

何をつくったか。



なぜつくったか。



どのような社会条件があったか。



どのような人間の問題を解決したか。

ここまで戻る。

そうすれば、過去の商品をそのまま再現しなくても、過去の創造原理を現在へ使うことができる。



1920年代と2026年は違う

当然ながら、ガブリエル・シャネルが生きた社会と2026年は同じではない。

女性の社会的位置。

仕事。

身体観。

移動。

家族。

デジタル。

AI。

環境。

世界市場。

すべてが変わった。

だから1920年代の答えをそのまま2026年へ持ってきても、現代性は生まれない。

問うべきなのは、

ガブリエル・シャネルが2026年に生きていたら何をコピーするかではなく、何を問い直しただろうか

ということである。



創業者を神話化しない

長寿ブランドでは、創業者が神話になりやすい。

その人物の発言。

生活。

部屋。

好きだった数字。

好きだった動物。

それらがブランドコードになる。

CHANELにもこの側面がある。

しかし創業者を完全な存在として扱えば、ブランドは歴史研究ではなく信仰へ近づいてしまう。

ガブリエル・シャネルも特定の時代を生きた人間であり、複雑な側面を持っていた。

長期的なブランド信頼を維持するなら、その歴史を単純な美談へ圧縮しないことも重要になる。



HeritageとHistorical Accuracy

企業が自らの歴史を語るときには、当然ブランドストーリーとしての編集が行われる。

しかし100年企業ほど、研究者、ジャーナリスト、美術館、顧客など外部からも歴史を検証される。

企業が語る歴史と、歴史資料との距離が大きければ、信頼を損なう。

したがってHeritage Managementには、

美しく語る能力

だけでなく、

歴史を正確に扱う能力

も必要になる。



過去の複雑さも企業資産になる

これは逆に強みにもなる。

複雑な歴史を隠さない。

時代背景を説明する。

評価が変化してきたことも認める。

そうすれば、ブランド史が単純な宣伝から、より成熟した文化的資産になる。

100年以上存在する企業には、100年以上分の複雑性があって当然である。

長寿とは、完璧だったという意味ではない。

変化を通過して現在まで残ったという意味である。



Karl Lagerfeldが示した方法

この点で、カール・ラガーフェルドがCHANELへ残した最も重要なものの一つは、特定の商品ではない。

過去との付き合い方である。

1983年にCHANELへ入り、歴史的コードをそのまま保存するのではなく、

誇張する。

巨大化する。

再配置する。

ユーモアを加える。

ポップカルチャーへ接続する。

毎シーズン変える。

そうすることで、CHANELの過去を現在のファッションへ変換した。



Heritageは変えても壊れない

ラガーフェルド以前には、

ブランドコードを変えればCHANELらしさが失われる

という不安もあり得た。

しかし彼の長い時代が示したのは、逆だった。

コードは変形できる。

むしろ変形することで生き残る。

重要なのは一つの形を守ることではなく、

変形後もCHANELとして認識できる構造を保持すること

だった。



変わらないために変わる

この逆説が長寿ブランドにはある。

何も変えない。

すると社会が変化するため、相対的にはブランドが古くなる。

変える。

しかし核を失わない。

するとブランドは現在へ残る。

つまり、

Continuity requires Change.

継続には変化が必要である。

CHANELが100年以上続いてきた理由の一つは、ここにある。



ヴィアールの継承

ヴィルジニー・ヴィアールの時代は、ラガーフェルドからの連続性を支える重要な期間だった。

長期間ラガーフェルドと仕事をしてきた人物が後を継ぐ。

これによって急激な断絶を避けることができた。

このような継承にも企業価値がある。

すべての世代交代を革命にする必要はない。

安定させる時期がある。

次の転換を準備する時期もある。



2024年の転換

そして2024年、ヴィアールが退任する。

ここでCHANELは再び外部から新しい創造者を選ぶ必要に迫られた。

企業が100年以上続くためには、

内部継承



外部刷新

の両方を使い分けなければならない。

内部だけでは同質化する危険がある。

外部だけでは記憶が切れる。

だから長寿組織には、

Continuity × External Renewal

が必要になる。



マチュー・ブレイジーという外部視点

ブレイジーの価値の一つは、CHANELを外から見られることにある。

長年内部にいると、

これはCHANELだから当然。

この方法でつくるのが普通。

という無意識の前提が蓄積する。

外から入った人間は、

なぜそうなのか。

本当に残す必要があるのか。

別の方法はないか。

と問える。

この問いによって、企業は自分自身を再認識する。



外から壊すのではない

ただし、外部者だから過去を無視すればよいわけではない。

100年以上のアーカイブ。

職人ネットワーク。

顧客。

ブランドコード。

それらを理解しなければ、単に自分のブランドをCHANELという名前で展開することになる。

だから外部視点と歴史学習が同時に必要である。

Distance × Immersion

である。

離れて見えること。

深く入って理解すること。

その両方が求められる。



Archiveは静的データベースではない

アーカイブにも同じことが言える。

過去の商品を保管する。

写真をデジタル化する。

検索できるようにする。

これは重要である。

しかし本当の価値は、その中から現在へ何を取り出すかにある。

アーカイブを倉庫として持つ企業と、

アーカイブから新しい商品を生み出せる企業

では、同じ歴史資産を持っていても価値が違う。



AIとArchive

2026年以降、この領域ではAIが大きな可能性を持つ。

何十年分もの画像。

素材。

スケッチ。

ショー。

色。

商品構造。

検索する。

関連づける。

人間が見落としていた関係を発見する。

これによってクリエイティブチームが過去へアクセスする方法は大きく変わる可能性がある。



しかしHistoryを平均化しない

AIには一つの危険がある。

過去のCHANELらしさを統計的に抽出する。

最も頻繁に現れる特徴を組み合わせる。

すると、非常に「CHANELらしい」商品がつくれるかもしれない。

しかし、それは最も予測可能なCHANELでもある。

歴史を学習することと、歴史の平均を出すことは違う。

Creative Directorに必要なのは、

過去のパターンを再現することではなく、

過去からまだ使われていない可能性を見つけること

である。



Archiveには忘れられたものがある

歴史の中で有名になったものだけが、価値あるものとは限らない。

何十年も注目されなかったディテール。

一度しか使われなかった素材。

失敗した試作。

忘れられたシルエット。

そこに未来の種がある場合もある。

AIによる検索能力が高まれば、こうした「非中心的な過去」を再発見しやすくなる。

しかし、それを選ぶのは最終的に人間の創造判断である。



Past DataからFuture Creationへ

したがって理想的な流れは、

Archive
→ Search
→ Interpretation
→ Experiment
→ Creation

である。

Archiveから直接商品をコピーしない。

途中にInterpretationとExperimentを入れる。

ここで過去が現在へ更新される。



Craftも歴史を保持している

歴史はアーカイブだけに存在するわけではない。

職人の身体にも残っている。

「昔、この技法を使った。」

「この方法は以前のコレクションで試した。」

「この素材はこう扱う。」

こうしたKnowledgeは書類に完全には残らない。

だから職人継承は、生産能力を守るだけでなく、

ブランド史の生きた記憶を守ること

でもある。



Living Archive

一人の熟練職人。

長年働く販売スタッフ。

過去のデザインチーム。

彼らは企業のLiving Archiveでもある。

人間が退職する前に、

次の人へ知識を渡す。

記録する。

対話する。

ここまで行って初めて、歴史は一世代を越えられる。



顧客もLiving Archiveである

さらに企業の外にもLiving Archiveがある。

長年の顧客。

コレクター。

ヴィンテージ愛好家。

彼らは過去の商品を実際に所有し、使い、覚えている。

企業が忘れていた過去を顧客が覚えている場合もある。

したがってCHANELの歴史は企業内部だけに保管されているわけではない。

世界へ分散している。



Secondary Marketは過去を再編集する

中古市場では、企業が現在推していない商品が突然人気になることがある。

若い世代が再発見する。

SNSで広がる。

過去のランウェイが再評価される。

するとブランド自身が予測していなかったHeritage Revivalが起きる。

ここで歴史を更新しているのは企業だけではない。

顧客と市場も参加している。



現在の顧客が過去を選ぶ

これは非常に重要である。

Heritageとは企業が、

「これが私たちの重要な歴史です」

と一方的に決めるだけではない。

2026年の顧客が、

「私はこの1990年代のCHANELが好きだ」

と選ぶ。

その結果、過去の価値の優先順位が変わる。

つまりブランド史は、現在の社会によって継続的に再編集される。



TikTok世代と1980年代

デジタル世代が、自分が生まれる前のコレクションを数秒で発見できる。

これは過去にはなかった。

以前、ブランド史へアクセスするには専門書やアーカイブが必要だった。

現在はSNS、デジタルアーカイブ、中古市場によって過去が同時代化する。

1980年代、1990年代、2000年代の商品が、2026年の若者の画面上で並列に現れる。

時間の距離が縮んでいる。



だからHistory Managementが難しくなる

企業側が「今季」だけを管理しても足りない。

過去の商品が常に現在へ戻ってくるからである。

現在の新作は、

ガブリエル・シャネル。

ラガーフェルド。

ヴィンテージ。

競合他社。

すべてと同時に比較される。

これは新しいCreative Directorにとって厳しい環境である。

同時に、膨大なブランド資産を利用できる環境でもある。



デジタルによって100年が同時に存在する

以前の時間感覚なら、

過去は過ぎ去る。

現在は現在。

だった。

しかしデジタル空間では、

1920年代の写真。

1990年代のショー。

2026年の新作。

が同じ画面に現れる。

つまりブランドにとって100年分の歴史が、

同時に現在化する。

この環境では、過去との整合性が以前より強く問われる。



新作は過去と競争する

顧客にはもう一つの選択肢がある。

2026年の新しいバッグを買う。

あるいは1990年代のヴィンテージを買う。

企業の新品が、自社の過去商品と競争する。

これは長寿ブランド特有の現象である。

だから新商品は、

「新しいから買ってもらえる」

とは限らない。

過去の商品より今これを選ぶ理由が必要になる。



HeritageがInnovation Pressureになる

通常、Heritageはブランドを守る資産として語られる。

しかし同時に、現在へInnovation Pressureをかける。

過去の方が美しい。

過去の方が品質が高い。

と言われないようにする必要がある。

つまり長い歴史は、現在のチームへ高い基準を課す。

これが第8章で見たQuality Obligationである。



過去を越える必要はない

ただし、毎回過去を「超える」必要もない。

歴史を勝敗で考えると不自然になる。

ガブリエル・シャネルより優れているか。

ラガーフェルドより優れているか。

そうではない。

それぞれの時代で、CHANELを成立させる。

2026年には2026年の答えがある。

重要なのは、

Past ExcellenceをCurrent Relevanceへ変換すること

である。



ModernizationとContemporization

ここで二つの概念を区別できる。

Modernization。

最新技術や最新トレンドへ合わせる。

Contemporization。

現在の社会に意味を持つようにする。

CHANELに必要なのは後者である。

AIを使えば現代的になるわけではない。

SNSに強ければ現代的なのでもない。

現在の人間の身体、生活、価値観へ意味を持つこと。

それが本当の更新になる。



現代の女性は誰なのか

ガブリエル・シャネルの時代には、女性の服装そのものへ社会的な制約が強かった。

2026年には別の問題がある。

仕事と生活。

身体の多様性。

ジェンダー。

移動。

デジタル空間。

高齢化。

文化的多様性。

環境への意識。

現代のCHANELが女性の自由と関係するなら、これらの現在的条件を見なければならない。



「自由」というコード

ここでCHANELの最も深いブランドコードの一つが見えてくる。

黒と白でもない。

カメリアでもない。

Freedom。

身体を自由にする。

生活を自由にする。

女性が自分で選べる。

もしこれをCHANELの深層原理として置くなら、2026年の商品は過去の形をコピーしなくてもCHANELになり得る。



Deep Code

つまりブランドには二層のコードがある。

Surface Code。

ツイード。

カメリア。

チェーン。

パール。

そしてDeep Code。

自由。

身体。

実用性。

自立。

創造性。

既存慣習への挑戦。

長期的なブランド更新では、このDeep Codeの方が重要になる。

表面コードは変えられる。

深層コードが残れば、CHANELとして認識できる。



ブレイジーが問われるもの

だからマチュー・ブレイジーに問われるのは、

カメリアを何個使ったか

ではない。

ツイードを使ったか

だけでもない。

現在の人間にとって、CHANELが再び意味を持つ服をつくれるか。

そこにある。

もし新しい服が人間の身体を自由にし、その人自身をより魅力的にするなら、それはガブリエル・シャネルの精神へ深く接続している可能性がある。



History × Body

ここで前節との接続が見える。

歴史を更新する起点は、アーカイブだけではない。

現在の身体である。

Pastを見る。

Current Bodyを見る。

その間をデザインが接続する。

つまり、

History × Body → Contemporary CHANEL

という構造になる。



History × Craft

そしてそれを実物へするのがCraftである。

過去の技法を使う。

新しい素材と組み合わせる。

現在の身体へ合わせる。

すると歴史は展示物ではなく服になる。

Craftは過去を現在へ移す物理的な媒介になる。



History × Technology

Technologyにも同じ可能性がある。

デジタルアーカイブ。

AI検索。

3D設計。

素材研究。

新しい製造技術。

これらを使えば、過去にはできなかった方法でCHANELの歴史を再解釈できる。

ただしTechnologyそのものを前面に出す必要はない。

顧客が感じるのは最終的な服である。

技術はHistoryをCurrent Productへ移すための手段でよい。



History × Client

顧客も更新へ参加する。

現代の顧客がどの商品を選ぶか。

どう着るか。

どう組み合わせるか。

どのヴィンテージを再評価するか。

ブランドはそこから学ぶ。

つまりHeritage Updateは、

Creative Directorだけの仕事ではない。

MaisonとClientの間でも起きている。



ブランドコードは所有物だが意味は共有される

CHANELは商標やデザイン資産を管理できる。

しかしツイードジャケットが社会で何を意味するかを完全には管理できない。

顧客が着る。

文化が引用する。

アーティストが解釈する。

映画に現れる。

意味は社会の中で変化する。

100年ブランドとは、自分の意味が社会によって更新され続けるブランドでもある。



ControlからStewardshipへ

この観点では、Heritage Managementの発想も変わる。

歴史を完全にControlする。

ではなく、

Stewardshipする。

守る。

正確に記録する。

現在へ使う。

誤用しない。

次の世代へ渡す。

企業は歴史を永久所有するのではなく、ある時代に預かっているとも考えられる。



歴史を消費しない

過去の人気モデルを復刻する。

過去の広告を引用する。

創業者の言葉を使う。

短期的には強力である。

しかし毎年それだけを続ければHeritageを消費していく。

歴史資産を利用するなら、新しい意味や新しい作品をそこへ加えなければならない。

Heritage ConsumptionではなくHeritage Accumulation

が必要である。



今日も未来のHeritageになる

これは重要な視点である。

2026年のCHANELも、将来から見れば過去になる。

ブレイジーの現在のコレクション。

ナイルの経営判断。

NEVOLD。

環境投資。

AIへの姿勢。

これらも2050年、2100年にはCHANEL史の一部になる。

つまりHeritage Managementとは過去だけを扱う仕事ではない。

現在、何を未来の歴史として残すかを決める仕事でもある。



100年後から2026年を見る

仮に2126年にもCHANELが存在するとする。

その時代の人々は、2026年をどう見るだろうか。

ブレイジーへの転換。

人間中心経営。

AI導入。

環境転換。

循環素材。

価格高級化。

これらのうち何が重要な転換だったと評価されるかは、現在には完全にはわからない。

しかし経営者は、長期的にはその時間軸を意識しなければならない。



Heritageは未来からも評価される

企業は現在の顧客だけに評価されるのではない。

未来の顧客。

未来の従業員。

未来の研究者。

未来の社会。

からも現在の判断を読み返される。

特に100年以上続く企業では、この長い評価時間が現実になる。

だから短期的には利益になる行為でも、ブランドの長期史を損なうなら慎重であるべきだ。



2026年の責任

現在のCHANELは、ガブリエル・シャネルが築いた資産を利用している。

ラガーフェルドが拡大したブランド力も利用している。

過去の職人が残した技能も利用している。

つまり現在世代は、過去世代から価値を受け取っている。

ならば同時に、

次世代へ何を渡すか

という責任がある。



継承とは受け取って終わらない

企業継承は、

Past → Present

だけでは不十分である。

Pastから受け取る。

Presentで更新する。

Futureへ渡す。

この三段階が必要になる。

現在世代が過去をそのまま保存して渡すだけなら、未来世代には古いものが届く。

現在の条件で更新して初めて、生きたブランドとして渡せる。



歴史と時間

第8章では、時間が商品価値を減らすだけではないことを見た。

同じことが企業の歴史にも言える。

通常、古いものは陳腐化する。

しかしCHANELでは、過去が現在価値を生み続けている。

ただし、それは自動的ではない。

毎世代が過去を現在へ再接続してきたからである。



企業もRepairされる

商品は時間とともに傷む。

修理する。

企業も似ている。

ブランドコードが古くなる。

組織が硬直する。

顧客が変わる。

そこへ新しいデザイナーや経営者が入る。

残すものと変えるものを判断する。

その意味では、Creative Renewalは企業自身のRepair and Maintenanceとも考えられる。



しかし新品には戻さない

バッグの修理と同じである。

過去をすべて消して新品へ戻す必要はない。

時間の痕跡を残す。

しかし壊れた部分は直す。

ブランドも、

歴史を消さない。

しかし時代に合わなくなった部分を更新する。

ここにはCHANELの商品と企業の間に共通する長期性がある。



長寿企業はPatinaを持つ

新興企業にはない時間。

成功。

失敗。

人物。

商品。

都市。

顧客。

それらが企業へ積み重なる。

その履歴そのものがブランドのPatinaになる。

重要なのは、それを汚れとして消すことでも、美化して固定することでもない。

現在の価値へ変換できる形で保持することである。



CHANELは過去に戻らない

したがって2026年のCHANELが向かうべき場所は、1910年でも1983年でもない。

ガブリエル・シャネルへ戻ることでもない。

ラガーフェルド時代へ戻ることでもない。

歴史を理解しながら、2026年から先へ進む。

戻るのは形ではなく、創造原理までである。

そこから現在の答えをつくる。



「CHANELらしさ」を固定しない

これは最も重要な点の一つである。

CHANELらしさを固定的に定義すれば、創造可能性は徐々に狭くなる。

むしろ、

どこまで変えてもCHANELでいられるのか。

その境界を毎世代探す。

ブランドの強さとは、変化しないことではない。

変化しても自分を失わないことである。



Identity without Immobility

企業のIdentityには、一見矛盾した二つの条件が必要になる。

Identity。

自分が誰かを知る。

Mobility。

変化できる。

Identityだけなら固定化する。

Mobilityだけなら何者かわからなくなる。

長寿ブランドには、

Identity without Immobility

が必要になる。

CHANELの100年以上は、その実験の歴史でもある。



ガブリエルからブレイジーへ

ガブリエル・シャネルは、自分の現在を服にした。

ラガーフェルドも、自分の時代のCHANELをつくった。

ヴィアールも継承と変化の間を担った。

ブレイジーにも同じ課題がある。

過去の人になることではない。

自分の時代にCHANELを成立させること。

そこに歴史継承の本質がある。



第4節の結論

CHANELの歴史は、保存すべき完成品ではない。

それは、

アーカイブ。

コード。

職人の技能。

顧客の記憶。

場所。

中古市場。

文化。

そして現在の創造。

によって繰り返し読み直される企業資産である。

歴史を現代へ更新するとは、

過去を捨てることではない。

過去と同じになることでもない。

過去の表面から創造原理まで遡り、その原理を現在の身体・社会・技術・顧客へもう一度適用することである。

そうすればHeritageは過去の重荷ではなく、未来の創造資源になる。

そして2026年のCHANELが次の世代へ本当に残さなければならないものも見えてくる。

象徴的なバッグだけではない。

歴史だけでもない。

CHANELの商品を可能にしている自然環境、素材、生産地域、職人、そして長期的な企業活動の条件そのものである。

歴史を次へ渡すには、その歴史をつくることのできる世界も残さなければならない。

次節では、CHANELの時間を企業内部からさらに外側へ広げる。

第5節 環境と長期経営

100年企業が次の100年も商品をつくり続けるなら、企業だけでなく、その商品を可能にする自然・資源・社会の条件まで長期的に維持しなければならない。
第5節 環境と長期経営

CHANELが100年以上続いてきたという事実を、企業の内部だけから説明することはできない。

経営者がいた。

デザイナーがいた。

職人がいた。

顧客がいた。

資本があった。

しかし、そのさらに前には素材がある。

革。

羊毛。

シルク。

綿。

香料植物。

木材。

金属。

宝石。

水。

エネルギー。

そして、それらを可能にする土地、生態系、気候がある。

つまりCHANELの商品は、企業の内部だけで生成されているわけではない。

企業の外側にある自然条件を使いながら成立している。

だから100年企業が次の100年も存在したいと考えるなら、問いは単純になる。

現在の商品をどう売るかだけではなく、未来にも商品をつくれる環境条件をどう残すか。

環境問題は、CHANELにとって企業活動の外側にある社会貢献ではない。

長期経営そのものの問題なのである。

CHANELは2026年現在、自然再生と気候、循環性、人間の尊厳と機会などをサステナビリティの主要領域に置き、2040年までにバリューチェーン全体でネットゼロを目指している。2021年を基準年として、2040年までにScope 1・2・3の温室効果ガス絶対排出量を90%削減する目標も掲げている。



環境は「制約」なのか

企業にとって環境規制は、しばしば制約として現れる。

排出を減らす。

水使用量を減らす。

廃棄物を減らす。

問題のある素材を使わない。

コストが増える。

選択肢が減る。

この見方だけなら、環境対策は企業活動へ課される負担になる。

しかしCHANELのような長期企業では、もう一つの見方が必要である。

環境が劣化すれば、そもそも将来の生産条件が失われる。

香料植物が育たない。

高品質な天然素材が安定しない。

水が不足する。

地域の生産者が事業を継続できない。

気候災害によって物流や製造が止まる。

すると環境保全はCostではなく、

Future Production Capacityを守る投資

になる。



Climate RiskはBusiness Riskである

気候変動を遠い地球問題として扱うことはできない。

原材料価格へ影響する。

品質へ影響する。

生産地へ影響する。

物流へ影響する。

店舗にも影響する。

保険やエネルギーコストにも影響する。

したがってClimate RiskはEnvironmental Riskであると同時に、

Operational Risk
Supply Risk
Financial Risk
Brand Risk

でもある。

CHANELが2040年ネットゼロを掲げる意味は、排出量の数字だけにない。バリューチェーン全体を、将来の気候条件の中でも持続可能な構造へ変えていく必要があるということである。



Scope 1・2だけでは足りない

本社の電力を再生可能エネルギーへ変える。

店舗の照明を効率化する。

それは重要である。

しかしラグジュアリー企業の環境影響は、それだけではない。

原料をつくる。

素材を加工する。

商品を製造する。

輸送する。

包装する。

建物をつくる。

そのバリューチェーン全体を見る必要がある。

だからCHANELの目標にはScope 3も入る。

企業自身の建物の外へ、責任範囲を広げるということである。



サプライチェーンの内側へ入る

Scope 3を減らそうとすれば、企業はサプライヤーとの関係を変えなければならない。

「排出量を下げてください」

と要求するだけでは足りない。

データを取得する。

課題を理解する。

設備投資を支援する。

長期契約をつくる。

再生可能エネルギーへの移行を促す。

農業方法を変える。

素材自体を再設計する。

ここでサステナビリティは調達部門と分離できなくなる。



ProcurementからTransformationへ

従来の調達は、

価格。

品質。

納期。

が中心だった。

これからは、

炭素。

水。

土地。

生物多様性。

人権。

循環性。

トレーサビリティ。

まで見る必要がある。

つまり調達部門は、単にMaterialを買う部署から、

Supply Chainを変革する部署

へ近づいていく。



Nature

気候だけを見ても足りない。

CHANEL自身も現在、気候だけではなくNature Restorationをサステナビリティの中心へ置いている。

これは重要である。

自然はCO₂だけでできていない。

土壌。

水。

森林。

植物。

昆虫。

動物。

微生物。

それらの関係によって生態系が成立する。

そして多くのラグジュアリー素材は、その生態系から直接・間接に生まれる。



香水から自然を見る

CHANELにとって、この構造を最もわかりやすく示すものの一つが香水である。

花が育つ。

収穫する。

抽出する。

調香する。

香水になる。

しかし花は工場で無限生産できる部品ではない。

土地が必要である。

水が必要である。

土壌が必要である。

気候条件がある。

生産者の知識がある。

だからFragrance Businessを長期的に守るなら、香料植物だけではなく、

植物が育つ環境そのもの

を守る必要がある。



Natural Capital

経済学・経営学では、自然資源や生態系の機能をNatural Capitalとして捉える考え方がある。

企業が自然から素材やサービスを受け取る。

それを使って商品をつくる。

しかし自然資本が減り続ければ、企業活動の基盤も弱くなる。

これまで企業会計では、自然は無料の外部条件として扱われることが多かった。

しかし長期経営では、それを無限資源として扱えない。



再生できる範囲で使う

天然素材には再生速度がある。

植物が育つ時間。

森林が回復する時間。

土壌が形成される時間。

企業が需要を増やしたからといって、その速度を無制限に上げることはできない。

だから長期経営では、

「どれだけ採取できるか」

だけではなく、

どれだけ使っても次世代へ残るか

を考える必要がある。



Luxuryと大量消費

ここにはラグジュアリー産業の重要な境界がある。

本来Luxuryは、高品質なものを限定的につくるモデルと相性がよい。

しかし世界市場が拡大し、販売数量が大きくなれば、資源使用も増える。

つまり「高級品だから大量消費ではない」と単純には言えない。

企業規模が大きくなるほど、総環境負荷も見る必要がある。



成長すれば環境負荷も増えるのか

売上が2倍になる。

商品数も2倍になる。

資源投入も2倍になる。

この構造が永久に続くなら、環境制約と衝突する。

したがって成熟した企業には、

Revenue Growth



Resource Growth

を切り離す能力が必要になる。

より高い価値を生む。

しかし同じ比率で資源消費を増やさない。

これがDecouplingの課題である。



Volume GrowthからValue Growthへ

ここで第2節、第3節で見てきた価格と希少性が環境問題へ接続する。

より多くの商品を売ることだけで成長する。

それより、

一商品あたりの価値を高める。

長く使う。

修理する。

顧客との関係を深くする。

という方向なら、成長の質を変えられる可能性がある。

つまりCHANELの高級化戦略は、適切に設計されれば、

Volume GrowthからValue Growthへの転換

とも接続できる。



ただし高価格だけでは環境に良くならない

ここは明確にしなければならない。

価格が高い。

数量が少ない。

だから持続可能である。

そう単純ではない。

希少素材を大量のエネルギーを使って加工することもある。

輸送もある。

店舗もある。

ショーもある。

高級品にも環境負荷はある。

重要なのは価格ではなく、

Product Lifecycle全体の実際の負荷

を見ることである。



Lifecycle Thinking

素材をつくる。

製造する。

輸送する。

店舗で販売する。

顧客が使う。

修理する。

再利用する。

最後に回収する。

この全体を見る。

すると、どこで最も環境負荷が大きいのかが見えてくる。

企業はそこで優先順位をつけることができる。



長寿命は重要である

CHANELの商品には、長寿命化という大きな可能性がある。

高品質につくる。

長く使う。

修理する。

中古市場へ渡す。

次の人が使う。

その結果、一商品が提供する使用期間が延びる。

新品を短期間で交換し続けるモデルとは異なる。

前節まで見てきたRepairとSecondary Marketは、環境経営ともつながっている。



Longevity Before Recycling

循環型経済というと、リサイクルが最初に想像される。

しかし完成したバッグをすぐ素材へ戻すのは、必ずしも最善ではない。

そのバッグには、

素材。

職人の時間。

エネルギー。

デザイン。

がすでに投入されている。

まだ使用できるなら、

使い続ける。

修理する。

次の所有者へ渡す。

その方が、商品としての高い価値を保持できる。

したがって、

Maintain → Repair → Reuse → Recycle

という順序が重要になる。



Circularity

CHANELは現在、製品・素材・空間の耐久性とライフサイクルを伸ばすことを循環性の中心に置いている。

これは本書で見てきたCHANELの商品構造と相性がよい。

長く使える。

修理できる。

継承できる。

中古市場がある。

これらはCircular Economyの基礎になる。

しかし、さらにその先がある。



素材をもう一度使う

商品として使えなくなった。

端材が生まれた。

生産工程から余剰素材が出た。

そこで廃棄するのではなく、再び素材へ戻す。

ただしラグジュアリーでは難しい。

再生素材でも、

美しい。

耐久性がある。

加工できる。

高品質である。

という基準を満たさなければならない。



NEVOLD

この問題への2026年のCHANELを象徴する動きの一つがNEVOLDである。

CHANELは2025年6月、天然の繊維・皮革素材の循環性に取り組む独立運営の事業体NEVOLDを立ち上げた。CHANELの2025年度決算でも、NEVOLDを自然由来のテキスタイルやレザーの循環性に特化した取り組みとして位置づけている。

重要なのは、廃棄物処理会社をつくったということではない。

Luxury Qualityを維持したまま、Material Loopをつくろうとしていること

である。



Never Old

NEVOLDという名称には「never old」を想起させる意味が込められている。

素材が一度使われたら終わるのではない。

次の用途へ変わる。

新しい素材へ変わる。

ここには、本書で見てきたヴィンテージや修理と興味深い共通性がある。

CHANELの商品では、

古くなる
= 価値がゼロになる

とは限らなかった。

素材でも同じ問いが始まっている。



Wasteという分類を問い直す

廃棄物とは何か。

使い道がなくなった物。

しかし技術が進めば、

昨日はWasteだったものが、

今日はRaw Materialになる。

するとWasteは物質固有の性質ではない。

現在の技術では価値を取り出せない状態

だと考えることもできる。

Circular Innovationとは、その境界を動かすことである。



CraftとCircularity

ここでクラフトも重要になる。

再生素材だから、同じ使い方をする必要はない。

新しい特性がある。

新しい表情がある。

職人がそれを理解する。

デザイナーが新しい用途を考える。

すると環境対応が制約ではなく、新しい美しさを生む可能性がある。



SustainabilityからCreationへ

この転換は重要である。

環境負荷を減らすために、仕方なく素材を変える。

では弱い。

新素材だから、新しい表現ができる。

新しい技法が生まれる。

そこまで進めば、SustainabilityはComplianceからCreationへ移る。

Environmental InnovationがCreative Innovationになる。



Luxuryは実験場所になれる

高級ブランドには高い価格決定力がある。

一商品あたりへ投入できる研究費も、一般的な低価格商品より大きくできる。

だから新素材。

新しいリサイクル技術。

低負荷加工。

トレーサビリティ。

を先に試すことができる。

成功すれば、その技術が他産業へ広がる可能性もある。



NEVOLDをCHANELだけに閉じない意味

NEVOLDが独立的な事業体として設計されている点にも意味がある。CHANEL自身の2025年度決算は、そのoperational independenceを明記している。

CHANELの商品だけを循環させる。

それだけなら一社のサプライチェーン改善で終わる。

しかし複数企業や技術主体と連携できれば、素材循環の市場そのものを大きくできる。

環境問題には、一社だけでは解決しにくい領域が多い。



Competitionだけでは解けない問題

企業は競争する。

しかし、

気候変動。

素材循環。

生物多様性。

リサイクルインフラ。

のような問題は、競争だけでは解決しにくい。

一社だけが独自規格をつくるより、産業全体で共通基盤を持った方が効率的な場合もある。

つまり2026年以降の企業戦略には、

Competition × Collaboration

が必要になる。



Craft EcosystemとMaterial Ecosystem

CHANELは以前から、メティエダールを通じてCraft Ecosystemを支えてきた。

今度は素材循環でも、企業の外部を含むMaterial Ecosystemへ投資する。

この二つには似た構造がある。

必要なものを市場からその都度買うのではない。

必要な能力が将来も存在できる環境そのものを育てる。

これが長期資本の考え方である。



Biodiversity

そして素材循環だけでも足りない。

自然から新しく取る素材が残る限り、その生産環境を守る必要がある。

土壌を回復させる。

水を守る。

森林を守る。

生態系を守る。

農業方法を改善する。

これはNatural Capitalの維持である。

CHANELが「restoring nature」を主要なサステナビリティ領域に置く背景には、この長期的依存関係がある。



Regenerative Agriculture

農業では、単に環境負荷を少なくするだけではなく、土壌や生態系を回復させるRegenerative Agricultureへの関心が高まっている。

ラグジュアリー素材でも、この考え方には意味がある。

良い素材を得る。

同時に土地が劣化し続けない。

むしろ生産環境の回復力を高める。

すると、

Agriculture
→ Material

だけではなく、

Material Production → Land Regeneration

という関係を目指すことができる。

CHANELのネットゼロ実行策にも、再生型農業の拡大が含まれている。



Water

水も重要である。

香料植物。

繊維。

染色。

加工。

製造。

多くの工程に水が必要になる。

しかも水問題は地域ごとの差が大きい。

同じ1立方メートルでも、水の豊富な地域と深刻な水不足地域では意味が違う。

したがってWater Managementは、単純な総使用量だけではなく、場所まで考える必要がある。



Land

土地も有限である。

農業。

牧畜。

森林。

都市。

自然保護。

さまざまな用途が競合する。

企業が高級素材を必要とするからといって、土地利用による社会・生態系への影響を無視できない。

将来のLuxury Supply Chainには、素材の品質と同時にLand Use Qualityも重要になる。



Traceability

そこで素材の由来を知る必要が出てくる。

どこから来たのか。

誰が生産したのか。

どの工程を通ったのか。

環境負荷はどうか。

社会的条件はどうか。

これを追跡できなければ、改善することも難しい。

Traceabilityはブランドストーリーではなく、経営インフラになる。



Data × Material

将来、一つの素材には物質だけでなくデータが付随する。

産地。

加工履歴。

炭素。

認証。

循環素材比率。

商品になった後には修理情報も加わる。

すると、

Physical Material



Digital Information

が組み合わされる。

これは環境管理、修理、中古市場、真正性まで接続できる。



AIと環境経営

AIはこの大量データを扱うのに有効である。

サプライチェーンのリスクを分析する。

排出量を推計する。

素材代替を検討する。

廃棄物発生を予測する。

物流を効率化する。

しかしAI自体にも電力と計算資源が必要になる。

したがって「AIを使えば環境問題が解決する」という単純な構図ではない。



DigitalにもFootprintがある

AI。

クラウド。

データセンター。

デジタルサービス。

すべて物理的なインフラを持つ。

電力。

水。

半導体。

設備。

だからDigitalizationもEnvironmental Accountingの外には置けない。

未来の企業には、

Physical Operations



Digital Operations

を同じ環境勘定で見る必要がある。



Boutique

店舗も長期環境戦略へ入る。

CHANELのブティックはブランド体験の中心である。

高品質な内装。

照明。

空調。

建築。

これらには資源とエネルギーが必要になる。

だから店舗投資でも、

美しさ。

耐久性。

エネルギー効率。

素材再利用。

を同時に考える必要がある。



空間も循環できる

Circularityは商品だけではない。

展示什器。

内装素材。

イベント。

ショー。

一度使って廃棄するのか。

再利用するのか。

分解可能にするのか。

CHANELは循環性の対象を製品だけでなくmaterials and spacesにも広げている。

これは企業活動全体を循環設計へ変えるという意味を持つ。



Fashion Show

巨大なショーも環境負荷と無関係ではない。

セット。

輸送。

人の移動。

エネルギー。

しかしショーはCHANELのCreative Communicationの重要な部分でもある。

だから単純に廃止することが解決とは限らない。

必要なのは、

Creative Impactを維持しながらPhysical Impactを減らすこと

である。



LuxuryとRepair

環境長期経営において、CHANELがすでに持つ大きな強みは修理文化である。

新しい循環素材技術を開発することも重要だが、

既存商品を長く使う。

これは今すぐできる循環性でもある。

高品質。

Repairability。

After-Sales。

Secondary Market。

これらは別々の事業ではない。



Product Lifetimeを伸ばす

商品を10年から20年使える。

単純化すれば、新しい商品を必要とする頻度は下がる。

ただし実際の環境効果は素材や使用条件によるため、ライフサイクル評価が必要である。

それでも「長く使う」という原則は、ラグジュアリーが持つ大きな可能性である。



RepairabilityをDesignへ戻す

そのためには、

壊れた後に修理する

だけでは足りない。

設計段階から、

分解できる。

部品交換できる。

素材を損なわず修復できる。

情報が残る。

ことを考える。

Environmental DesignとLuxury Designがここで接続する。



Beauty × Durability

美しい。

しかし一年しか持たない。

それより、

美しい。

10年後にも使える。

修理できる。

その方が長期的なLuxury Qualityとして強い。

未来の高級品では、BeautyとDurabilityを分離しにくくなる。



Durability × Emotional Attachment

さらに、物理的に20年持っても、顧客が一年で飽きれば実際には長く使われない。

だから長寿命には、

物理耐久性

だけではなく、

Emotional Durability

も必要になる。

10年後にも持ちたい。

20年後にも美しいと思う。

ここにCHANELのブランドコードやTimeless Designが環境価値へ接続する。



Timelessnessは環境資産になり得る

流行を無視する必要はない。

Fashionは変化する文化だからである。

しかしすぐに心理的陳腐化する商品ばかりなら、長期使用は難しい。

毎シーズン新しく見えながら、長期間使える要素を持つ。

これはCHANELが長く取り組んできた課題でもある。



環境と価格

高い環境基準にはコストがかかる場合がある。

再生可能エネルギー。

高トレーサビリティ素材。

再生型農業。

リサイクル技術。

長期修理。

CHANELには強い価格決定力がある。

ならば、その価格の一部をこうした長期能力へ戻すことができる。



Green Premiumを誰が負担するのか

新技術が高価な初期段階では、低価格商品へ導入しにくい。

ラグジュアリー企業が先行して導入する。

需要をつくる。

生産規模が拡大する。

コストが下がる。

もしこの流れをつくれれば、高級産業の投資が他産業にも波及する可能性がある。

これはLuxuryが社会へ提供できる一つの役割である。



ただし環境を価格正当化に使わない

一方で、

「サステナブルだから高い」

というだけでは不十分である。

高価格商品には、商品そのものの卓越性が必要である。

環境対応をマーケティング上の付加価値として使いすぎれば、Greenwashingへの疑念も生まれる。

必要なのは実際の削減と透明性である。



Measurement

環境目標は測定できなければ管理しにくい。

温室効果ガス。

水。

廃棄物。

土地。

生物多様性。

循環素材。

データを集める。

基準年を置く。

進捗を公開する。

CHANELが2040年ネットゼロ目標と具体的な排出削減目標を設定していることには、この管理上の意味がある。



しかし測れるものだけが環境ではない

ここでもKPIには限界がある。

生態系の健全性。

土壌。

地域社会との関係。

長期的な自然回復。

単一のCO₂数字には還元できない。

だからQuantitative MeasurementとQualitative Understandingを組み合わせなければならない。

これはクラフトや人材管理と同じである。



Long-Term Capital

環境転換には長い投資期間が必要になる。

新素材研究。

サプライヤー転換。

農業改善。

再生可能エネルギー。

建物。

循環インフラ。

数年では回収できない投資もある。

ここでCHANELの独立所有構造が再び意味を持つ。

四半期だけではなく、10年、20年単位で投資判断できる可能性がある。



2040という経営時間

2040年は2026年から見れば14年先である。

企業経営としては長い。

しかし気候・インフラ・素材転換としては決して長すぎない。

設備の更新。

サプライヤーの転換。

人材育成。

技術開発。

これらには時間がかかる。

だから2040目標を達成するには、2038年から動くのでは遅い。

未来の条件を現在の資本配分へ入れる必要がある。



Future RiskをPresent Investmentへ

これが長期経営の本質の一つである。

将来問題になる。

だから今投資する。

現在は十分な素材がある。

しかし20年後に不足するかもしれない。

だから今、生産者や循環技術へ投資する。

現在の店舗は動いている。

しかし将来のエネルギー条件へ対応するため今改修する。

長期企業は、問題が起こった後だけではなく、

問題がまだ顕在化していない段階で資本を動かす。



Resilience

環境経営には、削減だけでなく適応もある。

すべての気候変動を防げるわけではない。

すでに変化している条件へ対応する必要もある。

生産地を多様化する。

災害対策を行う。

代替素材を研究する。

水リスクを管理する。

サプライヤーの耐久力を高める。

これがClimate Resilienceである。



EfficiencyとResilience

最も安い地域に集中する。

最小在庫にする。

単一供給者に集約する。

平常時には効率的である。

しかし災害が起きると止まる。

そこで一定の冗長性を持つ。

複数供給源。

在庫。

地域分散。

これは短期的には余分なCostに見える。

しかし長期的には企業の存続能力を高める。



SustainabilityとResilienceは接続する

環境負荷を下げること。

自然を回復すること。

循環素材を増やすこと。

同時にサプライチェーンを強くすること。

これらを別々に考える必要はない。

たとえば地域の土壌が健康なら、農業生産の回復力も高まり得る。

循環素材源を持てば、天然資源への単一依存を減らせる。

環境戦略は企業Resilienceにもなる。



企業価値

では、環境への投資は最終的に企業価値へどう戻るのか。

リスク低減。

供給安定。

ブランド信頼。

素材革新。

規制対応。

顧客関係。

人材獲得。

将来の操業可能性。

複数の経路がある。

つまりEnvironmental Investmentを寄付としてだけ見ることはできない。



License to Operate

社会から企業活動が許容されることも重要である。

高価格の商品を販売する。

大量の資源を使う。

巨大な店舗をつくる。

その企業が環境問題へ無関心なら、社会的評価は変化する。

Luxury Brandには、法的許可だけではなく、

Social License to Operate

も必要になる。



若い世代

特に若い顧客や従業員にとって、企業が何をしているかはブランド選択へ影響する場合がある。

しかし、若者は一枚岩ではない。

価格。

デザイン。

ブランド。

環境。

価値判断は多様である。

だから環境経営を「若者向けマーケティング」へ矮小化するべきではない。

より深い理由は企業の長期存続にある。



100年企業だから時間を長く見る

CHANELは短期プロジェクトではない。

1910年代から2026年まで続いてきた。

ならば同じ長さを未来へ置くことができる。

2126年。

そこでもCHANELが存在するなら、

どんな素材を使っているか。

どんなエネルギーでつくっているか。

どのような生態系から原料を得ているか。

現在と同じとは限らない。



2126年のCHANEL

100年後にツイードは存在するだろうか。

革はどうなっているだろうか。

天然素材と再生素材の関係はどうなっているか。

AIとロボティクスはクラフトへどう入っているか。

誰にも完全にはわからない。

しかし一つ確かなことがある。

2026年と同じ方法をそのまま100年間続けることはできない可能性が高い。

だから長期継承には変化が必要になる。



素材を変えてもCHANELでいられるか

これは重要な問いになる。

もし環境条件によって、ある素材が使いにくくなる。

別素材へ変える。

そのときCHANELらしさは失われるのか。

そうであるならブランドは素材へ固定されすぎている。

本質が、

身体。

美しさ。

クラフト。

自由。

長期価値。

にあるなら、新素材でもCHANELをつくれる可能性がある。



HeritageとEnvironmentは対立しない

伝統素材を守ることと環境対応が衝突する場面はある。

しかしHeritageの本質を深く読めば、必ずしも同じ素材を永遠に使うことが継承ではない。

ガブリエル・シャネル自身が、当時の常識とは異なる素材を使った人物だった。

ならば新しい時代に新しい素材を採用すること自体は、CHANELの創造原理と矛盾しない。



Material InnovationはHeritage Updateになり得る

ジャージーが新しかった。

ツイードの使い方を変えた。

それと同様に、2026年以降には、

再生素材。

バイオベース素材。

新しいレザー代替。

高度な循環繊維。

が新しい創造材料になる可能性がある。

重要なのは、環境素材だから採用することではない。

CHANELとして美しいものへできるか。

である。



Beautyは環境を含むようになる

20世紀のLuxury Qualityでは、

見える美しさ。

触れる品質。

耐久性。

が中心だった。

21世紀には、

どうつくられたか。

どこから来たか。

どの程度環境を傷つけたか。

まで商品評価へ入る。

するとBeautyの意味が広がる。

表面が美しいだけではなく、

背景まで含めて美しい商品

が求められる。



Process Beauty

これは新しいLuxury Qualityと考えることができる。

Product Beauty。

完成品の美しさ。

Craft Beauty。

制作技術の美しさ。

そして、

Process Beauty。

素材の生産から廃棄まで、プロセス自体が企業の価値観と整合していること。

将来、これらを分けて考えることは難しくなる。



長期経営は企業外部まで広がる

第5章では長期資本を見た。

第7章では職人とサプライチェーンを見た。

第8章では顧客と商品の長い時間を見た。

環境へ進むと、その時間軸はさらに長くなる。

一企業の決算期間を越える。

一人のCEOの在任期間を越える。

一世代の職人を越える。

自然の回復時間まで入ってくる。



Human TimeとNature Time

企業は年次決算で動く。

農業は季節で動く。

森林は数十年で育つ。

気候はさらに長い時間軸で変化する。

すべての時間は同じ速度ではない。

だから環境経営には、

Corporate TimeをNature Timeへ合わせる部分

が必要になる。

企業の都合だけで自然の速度を決めることはできない。



長期資本の最終形

ここまで考えると、長期資本の意味がさらに広がる。

工房へ投資する。

職人へ投資する。

店舗へ投資する。

だけではない。

未来の素材。

生態系。

循環インフラ。

供給者。

地域。

へ投資する。

つまり企業が利益の一部を、

自分自身が未来にも存在できる条件

へ戻していく。



ProfitからRegenerationへ

利益。

再投資。

生産能力。

通常はここまでで企業循環が閉じる。

しかし長期環境経営では、

利益。



自然・素材・人への再投資。



生産条件の維持・回復。



次の商品。

というより広い循環になる。

企業が使った基盤へ価値を戻す。

これがRegenerationという考え方へ近づく。



SustainabilityからRegenerationへ

Sustainabilityは「悪化させない」という意味で理解されることがある。

しかし自然がすでに劣化している場合、現状維持だけでは足りない。

土壌を回復する。

生態系を再生する。

資源循環をつくる。

つまり、

Do Less Harm

から、

Restore Capacity

へ進む必要がある。

CHANELが「restoring nature」を掲げていることは、この方向と整合する。



企業は自然を支配できない

ただし、企業が自然を「再生してあげる」という態度にも注意が必要である。

企業は自然システム全体を制御できない。

できるのは、

自分の影響を理解する。

負荷を減らす。

地域の専門家や生産者と協働する。

回復条件を支える。

ことまでである。

ここでもLong-Term Partnershipが重要になる。



2026年のCHANEL

2026年のCHANELは、すでに完成した環境企業ではない。

ネットゼロ目標は2040年に置かれている。

循環素材技術も発展途上である。

NEVOLDも始まったばかりである。

自然・生物多様性への取り組みも、長い時間をかけて結果を検証しなければならない。

したがって現在を「達成」として見るべきではない。

Transitionの途中として見る必要がある。



目標ではなく実装

サステナビリティ目標を発表する。

それだけでは企業は変わらない。

素材を変える。

設備を変える。

調達基準を変える。

人材を教育する。

評価制度を変える。

投資配分を変える。

顧客サービスを変える。

製品設計を変える。

ここまで入って初めてTransformationになる。



経営の中心へ入るか

環境戦略が成功するかどうかを決めるのは、環境部門の人数だけではない。

CEO。

CFO。

Creative Director。

Procurement。

Manufacturing。

Retail。

Human Resources。

それぞれの意思決定へ環境条件が入るか。

つまりEnvironmental Strategyが、

Side Project

から、

Management System

へ入る必要がある。



創造者も環境経営へ参加する

特にラグジュアリーではCreative Directorの役割が大きい。

どの素材を使うか。

どれだけ複雑な複合素材にするか。

修理しやすいか。

長く着られるか。

商品設計段階で環境負荷の多くが決まる。

だからサステナビリティは、デザイン完成後に環境部門が調整する問題ではない。

Creationの入口から入る必要がある。



Environment × Craft × Creation

ここで終章の前三節が再びつながる。

人間を中心にした経営。

ブレイジーによる創造。

歴史の更新。

そこへEnvironmentが入る。

新素材を職人が扱う。

ブレイジーがデザインする。

顧客が長く使う。

修理する。

再利用する。

最終的に素材へ戻す。

この全体を一つの商品設計として考える。



次世代ラグジュアリー

未来のLuxuryを、

より高い価格。

より少ない数量。

より富裕な顧客。

だけから定義する必要はない。

別の方向もある。

より高い品質。

より長い寿命。

より深いCraft。

より強いRepair。

より透明なMaterial Origin。

より循環する素材。

より健全な生産環境。

これらを同時に実現する。



Luxuryとは長く残せる価値である

この定義へ進めば、環境とLuxuryは対立しにくくなる。

大量につくる。

短期間で捨てる。

ではなく、

少なくても高い価値をつくる。

長く使う。

修理する。

次へ渡す。

最後まで素材価値を使う。

Luxuryの高価格を、長期価値の実装へ変える。



100年企業の環境責任

CHANELは、すでに過去100年以上から価値を受け取っている。

過去の自然資源。

過去の職人。

過去の顧客。

過去の社会。

それらが現在のブランド価値を形成した。

ならば現在世代には、次の100年へ同じ条件を渡す責任がある。

ただ商品を残すのではない。

商品をつくれる世界を残す。

これが長期経営としての環境戦略の核心である。



第5節の結論

CHANELにとって環境とは、企業活動の外側に存在する制約ではない。

素材の起源である。

クラフトの条件である。

商品の寿命に関わる。

サプライチェーンの安定に関わる。

顧客からの信頼に関わる。

そして未来の企業活動そのものに関わる。

だからEnvironmentを経営へ入れるとは、

排出量を減らすことだけではない。

企業が現在使用している自然・素材・社会の能力を、未来にも価値を生み出せる状態で残すことである。

CHANELが2026年に掲げるNet-Zero 2040、自然再生、循環性への投資、そしてNEVOLDは、その長い転換の具体的な入口に位置する。

そしてここまで来ると、2026年のCHANELを形づくる三つの時間が見えてくる。

2022年。

企業経営が新しい段階へ入る。

2025年。

新しいCreative Leadershipと循環素材への新しい実装が始まる。

2026年。

その複数の転換が、実際の企業・商品・環境戦略として重なり始める。

次節では、この三つの年を一つの流れとして読み解く。

第6節 2022・2025・2026

2026年のCHANELは突然生まれたのではない。2022年の経営転換、2025年の創造と素材の転換、そして2026年の実装が連続することで、新しいメゾンの輪郭が形成され始めている。
第6節 2022・2025・2026

2026年のCHANELは、単独の一年として見ると本質を見落とす。

より正確には、

2022年。
2025年。
2026年。

この三つの年を連続して見る必要がある。

2022年には、企業経営の中心が変わった。

2025年には、創造と素材循環の新しい実装が始まった。

2026年には、それらが実際の商品、組織、投資、顧客体験として重なり始めている。

つまり2026年は、突然現れた転換点ではない。

数年間かけて進んできた複数の企業変化が、同じCHANELの中で接続し始めた時点なのである。



2022年――経営

最初の年は2022年である。

リーナ・ナイルがGlobal CEOとしてCHANELの経営を担う新しい体制が始まった。

ナイルの登用が意味したのは、単なるCEO交代ではなかった。

巨大化したCHANELを、

商品。

ブランド。

財務。

だけでなく、

人材。

組織。

文化。

学習。

リーダーシップ。

という側面から強化していく必要性が、それまで以上に明確になった。

CHANEL自身も現在、人間の可能性を育て、人が最高の能力を発揮できる条件をつくることを企業文化として掲げている。



創業者企業から組織企業へ

ガブリエル・シャネルの時代には、一人の創業者が企業とブランドの中心にいた。

しかし2022年のCHANELは違う。

世界中に事業がある。

多数の従業員がいる。

複数の商品カテゴリーがある。

職人ネットワークがある。

巨大な店舗網がある。

この規模では、一人の天才だけに依存することはできない。

そこで経営の中心課題は、

Heroを持つ企業から、Talentを継続的に生かせる企業へ

移る。



Human Capital

2022年から見えてくるCHANELの新しい経営軸の一つは、人間を企業能力として捉えることである。

職人。

販売スタッフ。

デザイナー。

経営者。

素材の専門家。

デジタル人材。

サステナビリティ人材。

それぞれが異なる知識を持つ。

企業が強くなるには、これらを一人の経営者の下へ集中させるのではなく、適切に接続しなければならない。

つまり2022年は、

CHANELを巨大なHuman Organizationとして再認識する年

と位置づけることができる。



2022年は完成ではない

もちろんCEOが変わっただけで企業文化は変わらない。

採用。

評価。

育成。

内部移動。

管理職。

意思決定。

テクノロジー。

それらを何年もかけて変える必要がある。

だから2022年は結果ではない。

始点である。

経営上の新しい方向が設定された年と見る方が適切である。



2023年、2024年という移行時間

そして2022年と2025年の間には、重要な時間がある。

2023年。

2024年。

この時期、CHANELは市場環境の変化、パンデミック後のラグジュアリー需要、価格上昇、世界市場の再調整に対応しながら、企業投資を続けた。

そして2024年には、Fashionに大きな転換が起きる。

ヴィルジニー・ヴィアールの退任である。

ここからCHANELは次のCreative Leadershipを選ぶ必要に迫られた。



2024年は境界である

2024年を最終形として見る必要はない。

むしろ、

旧体制が終わった。

しかし新体制はまだ始まっていない。

その間にある年である。

長寿企業には、こうした空白期間もある。

すぐに後任を決めることより、

誰に次のCHANELを委ねるのか

を慎重に判断することの方が重要な場合がある。



そして2025年へ

2025年になると、複数の新しい動きが具体化する。

第一に、マチュー・ブレイジーがCHANELへ加わる。

CHANELの公式発表では、彼はHaute Couture、Ready-to-Wear、Accessoriesを含むFashion Activities全体を担うArtistic Directorとして2025年からメゾンに参加した。

これは創造面での世代交代である。



2025年――創造

ブレイジーが受け取ったのは、単なるデザイナー職ではない。

ガブリエル・シャネルから続く歴史。

ラガーフェルドの約36年間。

ヴィアールによる継承。

巨大なアーカイブ。

メティエダール。

世界中の顧客。

そのすべてである。

したがって2025年の意味は、

「新しいデザイナーが来た」

では足りない。

CHANELの歴史を、次の創造者が再び読み始めた年

である。



過去とのConversation

ブレイジー時代の最初期から特徴的なのは、CHANELの過去を完全に否定するのでも、表面的に複製するのでもない姿勢である。

現在の身体。

現在の素材。

現在の顧客。

そこから過去を読み直す。

これはラガーフェルドが1983年以後に行ったことと同じではない。

しかし構造としては共通している。

継承するために解釈する。

これが長寿ブランドのCreative Renewalになる。



2025年――もう一つの転換

しかし2025年を創造だけの年として見ると不十分である。

同じ年、CHANELはNEVOLDを立ち上げた。

CHANELの2025年度決算によれば、NEVOLDは2025年6月に開始され、天然のテキスタイルやレザー素材の循環性に特化した、運営上の独立性を持つ事業体として位置づけられている。

ここで別の転換が始まる。

素材の転換である。



2025年には二つの未来が始まった

一方では、

Creative Future。

マチュー・ブレイジー。

もう一方では、

Material Future。

NEVOLD。

この二つは一見別々である。

デザインと循環素材。

しかしCHANELの商品を考えれば、最終的には接続する。

デザイナーが新しい商品を構想する。

その商品を実物へするには素材が必要である。

つまり次世代CHANELでは、

Creative InnovationとMaterial Innovationを分離できない。



新しい素材が新しい創造を生む

環境対応を、

既存の商品をそのまま維持しながら環境負荷だけを減らす

という問題に限定すると、創造性は小さくなる。

しかし新しい循環素材。

新しい加工技術。

新しい質感。

それらをCreative Directorと職人が使えば、新しい表現が生まれる可能性がある。

するとNEVOLDのような取り組みは環境部門だけのプロジェクトではなく、

将来のCreative Optionを増やす投資

にもなり得る。



Craftが二つを接続する

創造と素材を接続するのがCraftである。

新しい素材ができる。

しかし職人が扱えなければ商品にならない。

職人が試す。

切る。

縫う。

加工する。

デザイナーと相談する。

そこから新しい表現が生まれる。

つまり2025年の二つの転換は、

Creative Director



Material Innovation

の間に、

Craft

を置くことで一つにつながる。



2025年は転換の年である

だから2025年をCHANEL史の長い時間の中で位置づけるなら、

一つの完成年ではない。

複数の新しい入力が企業へ入った年である。

新しいCreative Leadership。

新しい循環素材への事業基盤。

そして2022年から進んできた人間中心の企業経営。

これらが同じ組織内部へ入る。



そして2026年

2026年になると、その入力が実際のCHANELとして見え始める。

Spring–Summer 2026。

Haute Couture。

Métiers d’art 2026。

Fall–Winter 2026。

CHANEL公式サイトにも、2026年のブレイジーによる複数のコレクションがすでに展開されている。

つまり2025年がCreative Leadershipの導入なら、

2026年は、

Creative Outputが蓄積し始める年

である。



一回のショーから、一つの時代へ

Creative Directorの評価を最初のショーだけで行うことは危険である。

最初のコレクションは宣言になる。

二回目で修正する。

三回目で文法が見えてくる。

数年続いて初めて、その人物がCHANELへ何を残したのかわかる。

2026年は、その文法が形成され始める最初の通年に近い。

だから結果よりも、

方向を見る年

である。



2026年――企業側でも実装が進む

同時に企業経営側でも、2022年からの時間が積み重なっている。

人材。

組織。

サステナビリティ。

投資。

サプライチェーン。

ブティック。

それらが一つの経営モデルとして試されている。

CHANELの採用ページでも現在、独立企業として「創造の自由」「人間の可能性」「社会へのポジティブな影響」を明確に掲げている。

これは、CHANELが商品企業だけではなく組織企業としての自己定義を強めていることを示す。



2026年の財務

2026年5月にCHANELが発表した2025年度決算は、この移行を支える財務基盤も示している。

2025年度の売上高は193億ドル、営業利益は約47億ドル。CHANELは同年度にもブランド活動、顧客体験、技術、サプライチェーン、サステナビリティなどへの大規模投資を継続した。

重要なのは、数字そのものだけではない。

移行期にありながら、

次の企業能力へ投資できるだけの財務体力を維持していること

である。



Transitionには余剰資本が必要である

企業転換には費用がかかる。

新しいCreative Director。

新しい商品開発。

店舗。

新素材。

循環技術。

人材教育。

IT。

AI。

環境。

短期的には投資負担が増える。

財務体力が弱ければ、企業は変革を途中で止める。

CHANELの独立所有と高い収益力は、こうした移行を長期間支えられる重要な条件になる。



2022・2025・2026は三つの点ではない

ここまでを整理すると、この三年は単独のイベントではない。

2022年。

経営に新しい視点が入る。

2025年。

創造と素材へ新しい主体・仕組みが入る。

2026年。

それらが実際の商品・組織・顧客体験として接続し始める。

したがって、

2022 → 2025 → 2026

という連続した企業変化として読む必要がある。



Management → Creation → Implementation

経営学の言葉へ置き直せば、

2022
Management Renewal



2025
Creative / Material Renewal



2026
Integrated Implementation

と整理できる。

これは偶然の年表ではない。

企業全体の異なる層が、異なる速度で更新されている。



しかし順番は完全な直線ではない

もちろん現実の企業は、教科書のように順番に変わるわけではない。

環境投資は2022年以前から存在した。

人材改革も継続している。

Craftへの投資は何十年も前から続いている。

したがって、この三年を完全な起点として扱うべきではない。

より正確には、

長く存在していた複数の流れが、新しい人物・仕組みによって再編された時期

と考えるべきである。



CHANELには複数の時計がある

企業には一つの時間しかないわけではない。

CEOの時間。

Creative Directorの時間。

職人育成の時間。

素材開発の時間。

商品の時間。

顧客の時間。

気候目標の時間。

それぞれ進む速度が違う。

2022年にCEOが変わっても、10年かかる職人教育は途中にある。

2025年にブレイジーが来ても、数十年前のバッグは顧客の手元にある。

2040年の環境目標はさらに先にある。

CHANELとは、

異なる速度の時間を同時に経営する企業

なのである。



CEOの時間

CEOの任期には限りがある。

しかしCEOが決めることの一部は、その任期より長く残る。

人材制度。

建物。

投資。

サプライチェーン。

環境目標。

だから経営者は、自分が在任している時間だけで判断してはいけない。



Creative Directorの時間

Creative Directorにも同じことが言える。

コレクションは半年単位で進む。

しかし新しくつくったコードが20年後にも残る可能性がある。

現在は不評でも後に再評価されることもある。

Fashionは短いカレンダーで動きながら、長い文化時間を持つ。



Craftの時間

職人の時間はさらに長い。

若手が熟練するまで何年もかかる。

だから2026年に必要な職人は、2026年に採用すれば間に合うとは限らない。

2035年のCHANELに必要な技能を、2026年から育てなければならない。

ここに長期経営の難しさがある。



Environmentの時間

自然はさらに別の速度で動く。

土壌。

森林。

農業。

気候。

企業の年度決算へ合わせて回復するわけではない。

だから2040年を目標にするなら、2026年の資本配分から変えなければならない。



Clientの時間

そして顧客の時間もある。

2026年に初めてCHANELの口紅を買う顧客がいる。

2035年にバッグを買うかもしれない。

2050年にジュエリーを子どもへ渡すかもしれない。

一人の顧客関係が、CEOやCreative Directorの任期より長く続く場合がある。



企業の方が顧客より長くなければならない

高額な長寿命商品を販売する企業には、顧客側に一つの暗黙の期待がある。

将来も企業が存在すること。

修理できること。

ブランドが価値を維持すること。

だからCHANELは、一回の商品購入より長いInstitutional Timeを持たなければならない。

これが100年企業の強みになる。



2022から2026までに何が変わったのか

最小限にまとめれば、四つある。

第一に、

Management。

人間・組織・長期価値を重視する経営。

第二に、

Creation。

ブレイジーによる新しいCHANELの解釈。

第三に、

Material。

NEVOLDに象徴される循環素材への投資。

第四に、

Integration。

これらを独立したプロジェクトではなく、一つのCHANELとして接続する段階である。



Integrationが最も難しい

人材戦略だけならつくれる。

環境目標だけならつくれる。

新しいデザイナーも任命できる。

AIも導入できる。

しかし、それぞれが別々に進めば企業は分断される。

本当に難しいのは、

Human。

Craft。

Creative。

Material。

Technology。

Client。

Capital。

を同じ経営モデルへ入れることにある。



2026年は接続の年

だから本書では、2026年を「完成」として扱わない。

むしろ、

Connection Year

として見ることができる。

2022年から進んできた経営。

2025年に始まった新しい創造。

同じく2025年に始まった循環素材事業。

それらが2026年に実際のCHANELという企業内部で重なり始める。



AIもここへ入る

さらに2026年には、ほぼすべての企業がAIを経営課題として扱わなければならなくなっている。

CHANELも例外ではない。

AIを、

顧客理解。

知識検索。

需要予測。

サプライチェーン。

素材研究。

内部業務。

へ利用できる。

しかし重要なのは、既存のCHANELへAIという新しい部門を追加することではない。

AIをHuman・Craft・Creationを強くする方向へ統合できるか

である。



Technologyは第四の主役ではない

CHANELの場合、Technologyそのものがブランドの中心になる必要はない。

最新AIを使っているからCHANELを買う顧客は多くないだろう。

顧客が見るのは、

商品。

サービス。

美しさ。

関係。

である。

だからTechnologyは裏側で企業能力を高めればよい。

優れたTechnologyほど、顧客にはTechnologyとして意識されない可能性さえある。



Invisible Infrastructure

在庫がすぐ見つかる。

修理履歴がわかる。

素材の由来を追跡できる。

職人が過去の技法を検索できる。

Client Advisorが顧客へ適切に対応できる。

この裏側には高度なDigital Infrastructureがある。

しかし顧客が感じるのは、

「CHANELはよくできている」

というExperienceである。

これがラグジュアリー企業における技術の理想的な位置の一つになる。



2026年は結果を急がない年でもある

新しいCEO体制から約4年。

ブレイジーのCHANELはまだ初期。

NEVOLDも始まったばかり。

2040年の環境目標までは14年ある。

だから2026年に最終評価することはできない。

重要なのは、複数の方向が整合しているかである。



Alignment

人間中心と言いながら人員を消耗させていないか。

クラフトを語りながら職人へ投資しているか。

環境を語りながら素材調達を変えているか。

価格を上げながら商品価値も上げているか。

AIを導入しながら人間の判断力を弱めていないか。

ここを見る。

言葉と資本配分が一致しているか。

それが企業の本気度を判断する方法になる。



財務は企業思想の実装装置である

企業が本当に重視しているものは、予算を見るとわかる。

クラフトが重要なら投資する。

人材が重要なら教育する。

環境が重要なら設備・素材・技術へ資金を動かす。

ブティック体験が重要なら空間へ投資する。

だからCHANELの長期経営を見るとき、ブランドメッセージだけではなくCapital Allocationを見る必要がある。



独立企業の強み

ここで再びCHANELの独立性へ戻る。

上場企業ではない。

四半期株価に直接さらされない。

所有者が長期時間を持つ。

これは、2022から2026にまたがる複数の大型転換を実行するうえで大きな強みになり得る。

長期投資の成果がまだ出ていなくても、すぐに停止する必要がない。



独立性は結果によって証明される

しかし非上場だから優れているわけではない。

長期自由を持ちながら、投資判断を誤ることもできる。

独立性の価値は、

その自由を何へ使ったか

で決まる。

短期利益を最大化するためか。

次の100年の企業能力をつくるためか。

ここが問われる。



2022・2025・2026から見えるCHANEL

この三年間を通して見えてくるのは、CHANELが「ファッションブランド」だけとしては説明しにくくなっていることである。

創造企業。

クラフト企業。

人材企業。

小売企業。

素材企業。

テクノロジー利用企業。

環境投資主体。

長期資本企業。

これらの側面を同時に持つ。

しかし顧客からは一つのCHANELとして見えなければならない。



複雑になりながら、表面は一つ

企業の内部は複雑になる。

しかし完成したバッグに組織図は見えない。

一着のジャケットにもサプライチェーン図は表示されない。

顧客が受け取るのは一つの商品である。

だから企業の高度化とは、複雑さを顧客へ押しつけることではない。

内部の複雑性を、外部の一貫した価値へ変換する能力

である。



これはCHANELが昔から行ってきたことでもある

一つのジャケットの中に、

デザイナー。

素材企業。

複数の職人。

アトリエ。

物流。

店舗。

がいる。

しかし顧客には一つのCHANELに見える。

つまり2022・2025・2026の経営課題は、規模こそ大きいが、本質的にはクラフトと同じである。

異なる専門性を、一つの完成形へ統合する。



Maison自体が一つのCraftになる

ここまで企業全体を見れば、CHANELの経営そのものを一種のCraftとして捉えることもできる。

人材。

歴史。

創造。

素材。

店舗。

資本。

自然。

それぞれ異なる性質を持つものを組み合わせる。

どれか一つを最大化するのではない。

全体としてCHANELになるよう調整する。

経営にも熟練した判断が必要である。



2026年にまだわからないこと

もちろん不確実性は大きい。

ブレイジー時代が長期的に成功するのか。

価格戦略は顧客との距離を広げすぎないか。

中国を含む世界需要はどうなるか。

NEVOLDは高品質な循環素材をどこまで拡大できるか。

2040年目標は達成できるか。

AIがラグジュアリー組織をどう変えるか。

現時点では答えはない。



企業史は後から意味がわかる

1983年のラガーフェルド就任がどれほど重要だったかは、その後の36年間を知る現在だから明確にわかる。

同じように、2022年や2025年の本当の意味は、2040年や2050年から見たときに初めて明確になる部分がある。

歴史の転換点は、起きた瞬間には完全にはわからない。



それでも観測できるもの

未来はわからない。

しかし現在の企業が何へ資本を置いているかは見える。

人間。

Creative Leadership。

Craft。

Circular Materials。

Nature。

Boutique。

Technology。

これらへの投資を見ることで、CHANELがどの方向へ進もうとしているかは理解できる。



2022――人間

最も簡潔に整理するなら、

2022年。

Human。

組織を動かす人間。



2025――創造と素材

2025年。

Creation × Material。

ブレイジー。

NEVOLD。



2026――接続

そして2026年。

Integration。

人間。

創造。

クラフト。

素材。

環境。

資本。

顧客。

技術。

それらを一つのMaisonとして接続する。



一つの線ではなく、一つの企業へ

したがって、

2022 → 2025 → 2026

を単純な時系列とだけ見る必要はない。

三つの異なる企業層が次第に重なってきた過程として理解できる。

経営。

創造。

実装。

この重なりが強くなれば、CHANELは次の長期成長モデルへ移ることができる。

逆に分断されれば、個別施策の集合で終わる。



最大の問いは統合できるかである

人間中心経営だけではCHANELにならない。

優れたデザインだけでも足りない。

環境技術だけでも足りない。

高い利益だけでも足りない。

すべてが一つのブランド価値へ接続されなければならない。

だから2026年の最大の経営課題は、

Integration Capability

である。



100年企業の次のフェーズ

CHANELはすでに創業企業ではない。

急成長スタートアップでもない。

世界的な成熟企業である。

それでも変化し続ける必要がある。

成熟企業のInnovationとは、何もないところから新しい事業をつくることだけではない。

既存の巨大な資産を、次の時代へ合わせて再配置することでもある。



過去資産を未来能力へ変える

CHANELにはすでに多くのものがある。

Brand Equity。

Craft Network。

Client Base。

Capital。

Heritage。

Boutique Network。

Human Talent。

これらを守るだけではなく、

AI。

Circularity。

新しいCreative Leadership。

新しい顧客。

へ接続する。

すると、

Past Assets → Future Capabilities

という転換が起きる。



第6節の結論

2022年。

CHANELは人間と組織を中心に、新しい企業経営の段階へ入った。

2025年。

マチュー・ブレイジーによる新しい創造が始まり、同時にNEVOLDに象徴される循環素材への新しい投資も始まった。

2026年。

それらがFashion、Haute Couture、Métiers d’art、企業投資、サステナビリティ、顧客体験の中で重なり始めている。CHANELの公式情報でも2025年度決算が公表され、2026年の複数コレクションがすでに展開されている。

したがって2026年は「新しいCHANELが完成した年」ではない。

むしろ、

次のCHANELをつくるための主要な要素が、同じ企業内部で接続され始めた年

として見る方が正確である。

それは、

Human。

Craft。

Creation。

Material。

Environment。

Technology。

Client。

Capital。

を一つの企業経営へ組み込む試みである。

そして、この長い企業史をここまで辿ったあと、最後に残る問いも見えてくる。

ガブリエル・シャネルはもういない。

ラガーフェルドもいない。

経営者もデザイナーもこれから何度も交代する。

商品も変わる。

素材も変わる。

技術も変わる。

顧客も変わる。

それでも、なぜCHANELはCHANELであり続けることができるのか。

本書は最後に、その問いへ戻る。

第7節 CHANELはなぜCHANELであり続けるのか

変わることと、同じであり続けること。この二つを100年以上両立してきた構造の中に、CHANELという企業の最も深い競争力がある。
第7節 CHANELはなぜCHANELであり続けるのか

CHANELとは何か。

本書は、この問いから始まった。

一人の女性が始めた帽子店。

女性の身体を既存の服装から解放したファッション。

N°5。

2.55。

ツイード。

カメリア。

ジュエリー。

カール・ラガーフェルド。

ヴェルテメール家。

メティエダール。

世界のブティック。

リーナ・ナイル。

マチュー・ブレイジー。

100年以上の歴史を辿ると、CHANELという名前の下にあるものは驚くほど変化してきたことがわかる。

創業者はもういない。

経営者は変わった。

デザイナーも変わった。

顧客も変わった。

商品も変わった。

社会も変わった。

女性の生き方も変わった。

技術も変わった。

世界市場も変わった。

それでもCHANELはCHANELとして認識され続けている。

なぜなのか。

その答えは、「何も変わらなかったから」ではない。

むしろ逆である。

CHANELは、変えるべきものを変えながら、変えてはいけないものを保持する能力を100年以上にわたって繰り返し実行してきた。

そこに、このメゾンの最も深い企業能力がある。



CHANELはロゴではない

最もわかりやすい答えは、ダブルCである。

世界中で認識される。

バッグにある。

ジュエリーにある。

店舗にある。

しかしロゴだけなら複製できる。

偽造品にもロゴは付けられる。

それでも本物のCHANELにはならない。

つまりブランドの本体は記号そのものではない。

ロゴは、より深い価値を圧縮して表す記号にすぎない。



CHANELは商品でもない

では2.55なのか。

ツイードジャケットなのか。

N°5なのか。

どれもCHANELを象徴する。

しかし、一商品だけがCHANELなら、その商品の人気が終わったとき企業も終わる。

実際にはCHANELは新しい商品をつくり続けてきた。

新しいバッグ。

新しいシルエット。

新しいジュエリー。

新しい香り。

商品が変わってもブランドは続く。

したがってCHANELは、特定商品より大きい。



CHANELはガブリエル・シャネルでもない

創業者の存在は決定的である。

彼女がいなければCHANELは存在しなかった。

しかし1971年にガブリエル・シャネルが亡くなった後も、企業は続いた。

そして1983年からラガーフェルドによって大きく更新された。

つまりCHANELが創業者本人と完全に同一なら、1971年で終わっていたはずである。

終わらなかった。

創業者の個人的能力の一部が、

商品。

ブランドコード。

組織。

文化。

物語。

へ移されていたからである。



IndividualからInstitutionへ

これが長寿企業における最初の大きな転換である。

一人の人物がつくった価値を、

その人物がいなくなっても再生できる状態へする。

つまり、

Individual Creation
→ Institutional Capability

である。

ガブリエル・シャネルのCHANELから、CHANELという企業そのものへ。

ここでブランドは一人の人生を超えた。



しかしInstitutionだけでは創造できない

制度を整える。

マニュアルをつくる。

アーカイブを保存する。

それだけでも十分ではない。

企業は安定する。

しかし創造性を失う可能性がある。

そこで1983年のラガーフェルドが重要になる。

彼はCHANELを保存する管理人として入ったのではない。

歴史を使って新しいCHANELをつくった。

Institutionへ再びIndividual Creationを接続したのである。



Individual ⇄ Institution

長寿する創造企業には、この往復が必要になる。

個人が企業を更新する。

企業が個人の能力を支える。

個人が去る。

企業が残る。

次の個人が入る。

再び更新する。

つまりCHANELは、

IndividualとInstitutionの反復関係

によって続いてきた。

どちらか一方では足りない。



Founder → Lagerfeld → Viard → Blazy

この流れを単純な人物列として見る必要はない。

それぞれに異なる役割があった。

ガブリエル・シャネルは創業した。

ラガーフェルドは再解釈した。

ヴィアールは大きな断絶後の継承を担った。

ブレイジーは現在、新たな再解釈を始めている。

重要なのは、誰が「正しいCHANEL」だったかではない。

各時代に、

CHANELというIdentityをその時代へ成立させたか

である。



Identityとは形ではない

Identityを固定した形と考えると、CHANELは矛盾している。

1910年代のCHANELと2026年のCHANELは同じではない。

商品数も違う。

企業規模も違う。

顧客も違う。

それでも同じIdentityを感じる。

つまりIdentityとは、静止した形ではなく、

変化の中で維持される認識可能性

なのである。



ブランドコード

その認識可能性を支えるのがブランドコードである。

黒。

白。

ツイード。

カメリア。

パール。

キルティング。

チェーン。

ダブルC。

N°5。

これらは過去と現在を結ぶ。

しかし第4節で見たように、コードそのものがブランドの最深部ではない。

表面的なコードだけを増やせば、CHANELは自分自身の模倣になる。



Deep Code

その奥へ遡る必要がある。

身体の自由。

動き。

実用性。

自立。

既存慣習への挑戦。

女性の生活を読むこと。

異質なものを組み合わせること。

高級と日常を接続すること。

歴史を固定せず使うこと。

こうした原理こそ、CHANELのDeep Codeと呼ぶべきものだろう。

表面は変わる。

しかし深層にある考え方が新しい形を生み続ける。



ジャージーの意味

ガブリエル・シャネルがジャージーを使ったことは歴史的事実である。

しかし2026年のCHANELが同じ素材を使い続けることだけが継承ではない。

本当に受け継ぐべきものは、

当時の常識に縛られず、

身体と生活に適した素材を選んだこと。

この判断原理である。

ならば未来のCHANELが、現在には存在しない新素材を採用しても、創業原理と矛盾しない。

むしろ同じ判断原理を実行していることになる。



2.55の意味

同じことがバッグにも言える。

2.55の形を保存する。

それは重要である。

しかしその奥には、

女性の手を自由にする。

動きやすくする。

実用と美しさを接続する。

という発想があった。

これを継承するなら、新しい生活様式に応じて新しいバッグをつくることもCHANELになり得る。



CHANELは過去をコピーしないから続いた

ここに大きな結論がある。

CHANELが100年以上続いた理由は、過去の商品を正確にコピーし続けたからではない。

過去が何を解決したのかを理解し、それぞれの時代で別の答えを出してきたからである。

これがInnovationとHeritageを両立させる方法である。



Craft

しかしアイデアだけではブランドは続かない。

CHANELをCHANELとして物質化する能力が必要になる。

ここでCraftが入る。

服を設計できる。

刺繍できる。

帽子をつくれる。

靴をつくれる。

時計を組み立てられる。

ジュエリーをつくれる。

修理できる。

どれほど優れた歴史があっても、つくる能力が消えればブランドは空洞化する。



CraftはMemoryである

職人技は製造能力であると同時に、企業の記憶でもある。

過去の技法。

素材の扱い。

品質基準。

何十年分もの試行錯誤。

それらが人間の身体とアトリエへ蓄積している。

だからメティエダールへの投資は、供給能力を守るだけではない。

CHANELが自分自身を物質として再現できる記憶を守ることでもある。



le19M

le19Mはその象徴だった。

工房を一つの場所へ近づける。

職人が働く。

若い人が学ぶ。

異なる技能が出会う。

社会へ開く。

そこでは過去が保存されるだけではない。

新しい商品がつくられる。

つまりCHANELが守っているのはHeritage Objectではなく、

Heritage-generating Capability

である。

歴史を生んだ能力を次へ残す。



Capital

その能力を守るには資本が必要になる。

工房を買う。

建物をつくる。

人を育てる。

素材へ投資する。

店舗へ投資する。

修理ネットワークを持つ。

環境技術へ投資する。

これには短期的な費用がかかる。

だからCHANELの独立所有構造が重要になる。



Independent Capital

ヴェルテメール家による非上場所有は、CHANELへ一つの特殊な時間を与えてきた。

市場から資本を調達する必要がまったくないという意味ではない。

しかし上場企業のように、毎日の株価を経営目標へする必要はない。

そこで、

数十年かかる職人育成。

不動産。

素材供給。

環境。

Creative Renewal。

へ投資しやすい。

つまり独立性は単なる所有形態ではない。

Long-Term Decision Capacity

として価値を持つ。



しかし独立しているだけでは続かない

独立企業でも失敗する。

所有者が長期視点を持たなければならない。

プロフェッショナル経営が必要である。

創造者へ十分な自由を与える必要もある。

つまりCHANELの強さは、

Family Ownership

だけから生まれているのではない。

Owner。

Management。

Creative。

Craft。

それぞれの役割が分かれていることが重要になる。



Owner × Management × Creation

2026年のCHANELを企業構造として見ると、

ヴェルテメール家。

リーナ・ナイル。

マチュー・ブレイジー。

という異なる役割がある。

所有者が資本時間を持つ。

CEOが企業全体を経営する。

Artistic Directorが創造する。

その下に膨大な専門組織がある。

一人へ全権限を集中しない。

しかしすべてが一つのCHANELへ向かう。



分業しても分断しない

これが重要である。

企業規模が大きくなると専門化する。

Fashion。

Beauty。

Watches。

Jewelry。

Finance。

HR。

Sustainability。

Technology。

しかし専門化が分断へ変われば、一つのブランドではなくなる。

必要なのは、

Specialization without Fragmentation

である。

異なる部門が高度な専門性を持ちながら、同じMaisonをつくる。



Human

その接続の中心にあるのが人間である。

前節まで見てきたように、CHANELの商品は人間の能力へ強く依存している。

創造。

クラフト。

接客。

判断。

教育。

顧客関係。

だからAIが発達しても、人間そのものを企業価値から除くことはできない。

むしろAI時代になるほど、何を人間へ残すかが明確になる。



AIはCHANELになれるか

AIに100年以上のCHANELアーカイブを学習させる。

大量の「CHANELらしい」デザインを生成させる。

技術的には可能な範囲が広がっていくだろう。

しかし、平均的にCHANELらしいものを生成できることと、

次のCHANELを決めること

は同じではない。

誰かが選ばなければならない。

何を出すのか。

何を出さないのか。

なぜ今なのか。

ここに人間の判断が残る。



CHANELらしさは過去の確率分布ではない

もしCHANELらしさが過去の商品特徴の統計的平均なら、AIは強力な再現装置になり得る。

しかしラガーフェルドが1983年に行ったことは、過去の平均を出すことではなかった。

過去を変形した。

ブレイジーにも同じ役割がある。

だからCHANELのIdentityは、

過去データの中心ではなく、過去と未来の境界で更新されるもの

と考えた方がよい。



Innovation

企業が続くには新しいものが必要である。

しかしCHANELにとってInnovationは、新技術を採用することだけではない。

素材を変える。

身体との関係を変える。

ブティック体験を変える。

環境負荷を減らす。

修理を強くする。

新しい顧客との関係をつくる。

ブランド史を別の角度から読む。

Innovationには多くの形がある。



Update

CHANELの長寿を説明する言葉として、Innovationよりさらに適切なのがUpdateかもしれない。

すべてを破壊して新しくするのではない。

既存資産を残す。

必要な部分を変える。

新しいものを加える。

古くなった部分を取り除く。

そして全体を現在へ適合させる。

これは100年企業に特有の変革方法である。



DestroyではなくUpdate

スタートアップなら既存資産を持たない。

ゼロからつくれる。

CHANELには100年以上の資産がある。

だから破壊的イノベーションをそのまま適用すると、大量の価値まで失う可能性がある。

必要なのは、

Preserve what matters.
Change what no longer works.
Create what does not yet exist.

という判断である。



History

この判断をするために歴史が必要になる。

何が本当に重要なのか。

何が単なる時代的習慣だったのか。

何を変えてもCHANELなのか。

それを知らずに更新すれば、ブランドの核を誤って壊す可能性がある。

だからアーカイブは創造の敵ではない。

むしろ大胆に変えるための基礎になる。



自分を知っている企業ほど変われる

Identityが曖昧な企業は変化を恐れる。

少し変えただけで自分が誰かわからなくなるからである。

逆に、

自分の本質がどこにあるか

を理解している企業は、表面を大きく変えられる。

この意味でStrong HeritageはConservatismではない。

正しく理解されれば、

Change Capacity

を高める。



Client

そしてCHANELがCHANELであり続けるかを最終的に判断するのは、企業内部だけではない。

顧客である。

新しいコレクションを出す。

顧客が見る。

試す。

買う。

使う。

長く持つ。

あるいは選ばない。

ブランドは顧客との関係の中で毎回再評価される。



顧客は保存者でもある

CHANELの商品を長く使う顧客は、ブランド史を企業の外で保存する。

ヴィンテージバッグ。

古いジャケット。

ジュエリー。

時計。

世界中の顧客が分散したアーカイブを持つ。

つまりCHANELの継続性を支えるのは会社だけではない。

顧客もHeritage Carrierである。



次世代顧客

しかし現在の顧客だけを大切にすればよいわけではない。

現在25歳の人。

まだCHANELを一度も買っていない人。

Beautyだけを使っている人。

中古CHANELからブランドへ入る人。

その人たちが20年後の中核顧客になる可能性がある。

長寿ブランドは、現在の顧客関係と未来の顧客入口を同時に維持する必要がある。



高価格化の境界

ここで本書が扱ってきた価格問題へ戻る。

価格を上げる。

希少性を高める。

超富裕層との関係を深くする。

企業価値を高めることができる。

しかし上げ続ければ、CHANELが社会から遠くなる可能性もある。

憧れのブランドと、無関係なブランドは違う。



Desireを失わない

Luxury Brandには距離が必要である。

しかし距離が大きすぎれば、Desireが消える。

「いつか欲しい。」

から、

「自分とは関係がない。」

へ変わる。

CHANELが次世代にも強いブランドであるためには、最高級化しながらも、文化的な接点を広く残す必要がある。



Beautyの役割

Fragrance & Beautyは、ここで重要な役割を持つ。

Fashionに比べ、より多くの人がCHANELと接触できる。

N°5。

口紅。

スキンケア。

これらは単なる低価格商品ではない。

ブランドへの広い入口である。

CHANELは一つのメゾンの中に、

Broad Cultural ReachとExtreme Luxury

を同時に持つ。



頂点と入口

オートクチュール。

限られた顧客。

最高水準のクラフト。

その頂点がブランド全体の価値を引き上げる。

一方でBeautyや文化活動が広い入口をつくる。

この上下の構造があるから、CHANELは超富裕層だけの閉じた工房にも、大量ブランドにもならずに済む。



ScarcityとAccessibility

ここでも二つを同時に扱う必要がある。

Product Scarcity。

商品所有の限定性。

Cultural Accessibility。

ブランド文化へのアクセス。

商品は希少であってよい。

しかしブランド世界そのものを完全に閉じる必要はない。

この区別が現代Luxuryには重要になる。



Time

そして最終的に、CHANELをCHANELにしている最大の資産の一つが時間である。

100年以上。

この時間は買えない。

複製できない。

短縮できない。

しかし時間だけでも価値はない。

その時間の中で、何度も危機を越え、更新し、顧客との関係を残してきた。

つまり価値があるのは年数ではなく、

Accumulated Renewal

である。



100年の蓄積とは100年の変更履歴である

歴史というと、変わらなかったものを想像しやすい。

しかし企業史を詳細に見ると、逆である。

商品が変わる。

経営が変わる。

市場が変わる。

店舗が変わる。

Creative Directorが変わる。

つまり100年企業の歴史とは、

100年間のChange Log

でもある。

CHANELの継続性は、変化の少なさではなく、変化を管理してきた能力から生まれている。



Memory × Update

ここからCHANELの長寿を非常に簡潔に整理できる。

Memory。

過去を失わない。

Update。

現在へ変える。

Memoryだけなら博物館になる。

Updateだけなら別ブランドになる。

CHANELはこの二つを同時に行う。

Memory × Update。

ここに長寿ブランドの中心構造がある。



Craft × Update

クラフトも同じである。

昔の技法を残す。

しかし昔と同じものだけをつくらない。

新素材を使う。

新しいデザイナーの要求へ応える。

伝統技能が更新される。

だからCraftも固定されたHeritageではない。

Living Capabilityである。



Human × Update

人間も同じである。

熟練者が教える。

若い人が学ぶ。

しかし若い人は先輩のコピーになる必要はない。

技術を受け取り、次の問題へ使う。

ここで技術継承は未来へ開く。



Client × Update

顧客も変わる。

親の世代。

子の世代。

地域。

文化。

ブランドは顧客に合わせてすべてを変える必要はない。

しかし新しい顧客が自分自身をCHANELへ重ねられる余地は必要になる。

これもUpdateである。



Environment × Update

素材環境も変わる。

気候。

資源。

規制。

技術。

従来の素材や製法が永遠に使える保証はない。

そこでCircularity。

NEVOLD。

自然再生。

新素材。

を導入する。

環境戦略も、CHANELを未来へ更新する一部になる。



Technology × Update

AI。

データ。

デジタル。

それらも同じである。

CHANELをTechnology Companyへ変える必要はない。

しかしTechnologyを拒絶すれば、企業能力は相対的に弱くなる。

必要なところへ入れる。

不要なところでは人間の時間を残す。

Selective Modernization

が重要になる。



すべてを変えない

Updateという言葉には、すべてを最新化するという意味はない。

古いから変える。

ではない。

現在も価値があるなら残す。

手仕事が機械より遅くても、そこに価値があるなら残す。

物理店舗がECより非効率でも、人間関係と身体体験に価値があるなら残す。

長期企業には、変えないという積極的な判断も必要である。



何を変えないのか

ではCHANELが守るべきものは何か。

特定の商品ではない。

特定の人物でもない。

より深い水準で、

創造性。

卓越性。

人間の身体への感覚。

クラフトへの敬意。

独立した判断。

歴史との対話。

顧客との長期関係。

こうした価値が残る限り、表面は大きく変えられる。



何を変えるのか

反対に変えるべきものは何か。

時代に合わなくなった表現。

持続不可能な素材や製造方法。

過度に非効率な業務。

閉鎖的な組織慣行。

顧客との古い接触方法。

修理しにくい設計。

AIで改善できる反復業務。

ここではHeritageを理由に固定してはいけない。



PreservationとConservatismを区別する

Heritageを守ることと保守的になることは違う。

Preservationは価値あるものを残す。

Conservatismは変化そのものを拒む。

CHANELの歴史を見る限り、後者では100年以上続かなかっただろう。

ガブリエル・シャネル自身が当時の慣習を破った人物だったからである。



革新することが伝統になる

これはCHANELにとって非常に重要な逆説である。

伝統を守るために新しいことをしない。

ではない。

新しいことをし続けた歴史そのものが、CHANELの伝統である。

だから真の継承は、過去の革新を固定することではない。

現在でも革新することである。



2026年

ここで2026年へ戻る。

リーナ・ナイル。

人間中心の経営。

マチュー・ブレイジー。

歴史の再解釈。

環境と長期経営。

NEVOLD。

AI。

これらは、それぞれ別の流行ではない。

CHANELがもう一度、自分の企業能力を現在の条件へ更新している現象として読むことができる。



2026年の答えはまだ完成していない

ブレイジーの時代は始まったばかりである。

人間中心経営も継続中である。

2040年の環境目標も未来にある。

循環素材事業も初期段階である。

AIが何を変えるかも完全にはわからない。

したがって2026年のCHANELを完成形として描くことはできない。

それでよい。

長寿企業に完成形はないからである。



完成したブランドは止まる

「これが完璧なCHANELである。」

そう定義した瞬間、それ以外を排除し始める。

社会が変化しても同じ答えを繰り返す。

やがてブランドは過去になる。

だからCHANELに必要なのは完成することではなく、

自分自身を継続的に更新できる状態を維持すること

である。



Permanence through Renewal

CHANELの100年以上を一つの企業原理へ圧縮するなら、

Permanence through Renewal

と表現できる。

更新することによって残る。

変化することによって同じであり続ける。

一見矛盾している。

しかし長寿ブランドでは、この矛盾を扱う能力そのものが競争優位になる。



ガブリエル・シャネルが残した最大のもの

彼女が残したものは、ジャケットだけではない。

香水だけでもない。

ブランド名だけでもない。

それより深いものがある。

「既存の常識を、その時代の人間から見直す。」

という創造姿勢である。

もしCHANELがこれを保持できるなら、未来の商品が現在とまったく違っていても、CHANELであり続けることができる。



ラガーフェルドが証明したもの

ラガーフェルドが証明したのは、

創業者がいなくてもCHANELは更新できる

ということだった。

これは極めて大きい。

ブランドが創業者の死後も創造できる。

つまりCHANELは個人ブランドから制度化された創造企業へ移った。



ヴェルテメール家が支えたもの

その長期更新を可能にした条件の一つが独立資本である。

短期的な流行だけを追わない。

Craftへ投資する。

店舗へ投資する。

人材へ投資する。

Creative Directorへ時間を与える。

長期資本がCreative Timeを支える。



職人が残してきたもの

ブランドコードを実物へ変え続けたのは職人である。

彼らがいなければ、CHANELはロゴと物語だけになる。

何世代もの職人が技術を渡してきた。

だからCHANELの100年は、Creative Directorの歴史だけではない。

無数の人間の技能継承史でもある。



顧客が残してきたもの

そして顧客が商品を選び続けた。

使った。

修理した。

保管した。

次の世代へ渡した。

市場で再評価した。

企業がどれほど自分をCHANELと呼んでも、誰も欲しければブランドは存続しない。

CHANELというIdentityは、企業と顧客の関係の中で100年以上確認され続けてきた。



CHANELは一社だけでつくられていない

ここまで来ると、CHANELを企業境界だけで説明できないことがわかる。

所有者。

従業員。

職人。

工房。

素材生産者。

サプライヤー。

顧客。

中古市場。

文化。

自然環境。

多くの主体が関係している。

しかしその関係の中心に、CHANELというMaisonがある。



Maisonという言葉

「会社」という言葉だけでは、CHANELを十分に表現できない理由がここにある。

Maisonには、

家。

歴史。

人。

技術。

文化。

継承。

という意味が重なる。

企業として利益を上げる。

しかし同時に、過去から未来へ何かを渡す組織でもある。

CHANELが自らをMaisonとして捉えることには、経済合理性を超えた時間構造がある。



しかし経済合理性を失わない

文化が重要。

歴史が重要。

だから利益は不要。

ではない。

利益がなければ職人へ投資できない。

環境技術へ投資できない。

店舗を維持できない。

人材を雇えない。

つまり利益は目的のすべてではないが、

長期継承を可能にする条件

である。

ここにBusinessとMaisonが接続する。



美しさと経営

CHANELは美しいものをつくる企業である。

しかし美しさを100年間継続するには経営が必要になる。

資本。

組織。

サプライチェーン。

人材。

データ。

修理。

環境。

一見、美とは無関係に見える領域が、最終的に美しい商品を支えている。

だからCHANELの強さは、CreationとManagementを対立させないことにある。



創造と経営

本書の序章で見た問いへ戻る。

創造と経営は別なのか。

違う。

しかし分離できない。

経営だけではCHANELはつくれない。

創造だけでは100年続けられない。

Creation creates value.
Management makes creation repeatable.

この二つの接続が、CHANELという企業を形成してきた。



長期価値

そして本書で繰り返し現れたもう一つの言葉が、長期価値である。

職人を育てる。

歴史を残す。

修理する。

顧客と関係する。

環境を守る。

これらはすべて、時間を長く取ることで初めて合理性が見える。

短期的にはCostに見える。

長期ではAssetになる。



Time Horizonが経営を変える

一年で見る。

職人教育は高い。

10年で見る。

必要な投資になる。

一回の販売で見る。

修理は追加コストになる。

20年の顧客関係で見る。

信頼投資になる。

今期で見る。

環境投資は負担になる。

100年で見る。

操業条件を守る投資になる。

つまり企業の判断は、

どの時間軸で見るか

によって変わる。



100年という競争優位

CHANELは100年以上の過去を持つだけではない。

100年という時間軸で考える資格をすでに持っている。

一世紀生きた企業なら、次の一世紀を考えることは非現実的ではない。

もちろん存続は保証されない。

だからこそ、現在の経営判断が重要になる。



2126年

2126年のCHANELはどのような企業だろうか。

同じ素材を使っているとは限らない。

同じデザイナーはいない。

同じCEOもいない。

顧客の生活も違う。

AIも現在とは比較できないほど変化しているかもしれない。

それでもCHANELであり得る。

条件は一つである。

変化の中で、自分自身の創造原理を失わないこと。



CHANELはなぜCHANELであり続けるのか

最初の問いへ戻る。

答えは、一つのロゴではない。

一つの商品でもない。

一人の創業者でもない。

一つの技術でもない。

それらの間にある構造である。

歴史を記憶する。

現在から読み直す。

人間が創造する。

職人が実物へ変える。

長期資本が支える。

顧客が選ぶ。

時間の中で価値が形成される。

そして次の世代が、もう一度更新する。

この反復が続いている。



CHANELという企業の最小構造

本書で見てきたCHANELを、最後に最小限へ圧縮するなら、

History
→ Creation
→ Craft
→ Product
→ Client
→ Time
→ Renewal

と表すことができる。

しかしこれは一度だけ進む直線ではない。

顧客の反応が次の創造へ戻る。

古い商品が新しい商品へ影響する。

職人の経験が次の技術へ戻る。

現在の創造が過去の歴史を再評価する。

何度も循環する。



だから100年以上続いた

CHANELは一度完成したから続いたのではない。

一度も完成しなかったから続いた。

1910年代のCHANEL。

1950年代のCHANEL。

1980年代のCHANEL。

2000年代のCHANEL。

2026年のCHANEL。

すべて違う。

しかし互いに切断されていない。

それぞれが前の時代を受け取り、次へ渡している。



継承とは同じものを残すことではない

継承とはコピーではない。

受け取る。

理解する。

変える。

加える。

次へ渡す。

もし何も加えずに渡せば、それは保存である。

CHANELが行ってきたのは保存だけではない。

毎世代、自分たちのCHANELを加えてきた。



2026年の役割

だから現在のリーナ・ナイルやマチュー・ブレイジーの役割も明確になる。

過去を最終完成させることではない。

次の世代が使えるCHANELをつくることである。

人材。

クラフト。

素材。

環境。

商品。

顧客関係。

そのすべてを、次の時代へ渡せる状態にする。



CHANELはまだ完成していない

2026年。

CHANELは世界最高峰のラグジュアリーメゾンの一つである。

巨大な企業である。

強いブランドを持つ。

豊かな歴史を持つ。

高い財務力を持つ。

それでも完成していない。

完成すれば、更新する理由を失うからである。

次のコレクションがある。

次の職人がいる。

次の顧客がいる。

次の素材がある。

次の技術がある。

次の時代が来る。



最後に

1910年、ガブリエル・シャネルが帽子店を開いたとき、2026年のCHANELは存在していなかった。

N°5も。

2.55も。

ラガーフェルドも。

le19Mも。

リーナ・ナイルも。

マチュー・ブレイジーも。

NEVOLDも。

後から生まれた。

それでも私たちは、それらすべてをCHANELの歴史として一つにつなげることができる。

なぜならCHANELとは、最初から完成した一つの形ではなかったからである。

時代ごとに、自分自身を失わずに新しくなり続けるメゾンだった。

ガブリエル・シャネルがつくったものを、次の世代が受け取る。

その世代が新しい意味を加える。

さらに次へ渡す。

商品が変わる。

人が変わる。

社会が変わる。

それでも創造は続く。

だからCHANELは、CHANELであり続ける。

そして2026年もまた、その100年以上続いてきた長い更新の、終点ではない。

次のCHANELが始まる一つの現在なのである。

愛と敬意を込めてmandala

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