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yasnoto
短篇連載小説 遠吠え①
昭和三十年五月の初め、牧場の周りには桜が咲き始めていた。
二十七歳になる渡利正明には、二十五歳の可愛い妻の洋子がいる。家には父親と母親が同居しており、妹の絹は昨年暮れ、隣町の三石の農家に嫁いでいた。
ここは北海道の太平洋岸の静内(現 新ひだか町)である。渡利家は昔からここで牧場を営み、競走馬を飼育していた。それなりに頭数も多く、生活には困ることはなかった。二、三年まえから、内地からの需要が多く、この牧場から有名な競走馬が出ていた。
霧が漂う春の朝だった。
浄化された空気が正明の五感に染み渡る。このような爽やかな朝は都会では味わえない。
北海道の春は遅い。東京では四月の初めには桜が開花したというのに、約一カ月遅れである。この地方では、冬場の積雪が日本海側に比べ少ないようだ。
エゾヤマザクラのピンク色の花が、遠くに見える日高の山々で咲いている景色が、どんな景色より素晴らしいと、毎年この時期になると正明は想う。
エゾヤマザクラの花言葉は、優れた美人。
その桜景色が妻の洋子の美しさと心根の優しさに重なるのだった。
正明は、その日の早朝、昨夜から放牧していた馬の様子を見に行った。
深夜、家で飼っている北海道犬(アイヌ犬)の太郎が何度も吠えていた。
いつもは深夜に滅多に吠えることのない犬の太郎が、何度も吠えていたのだった。正明だけではなく、妻の洋子、父親の巌、そして母親の袖もが、太郎の鳴き声に何度も目が覚めたのである。
