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【寝る前の5分閑話】 ボノボの性行動から分かる、人はなぜ喘ぐのか?

寝る前の5分閑話|眠れないシリーズ 第1回

皆さん、こんばんは。

カツタリョウジです。

本日も、寝る前の5分閑話を始めていきたいと思います。

——ただ、今日から少し、変わった枠を作りました。

名前を、「眠れないシリーズ」といいます。

いつもは、聴いているうちに、まぶたが重くなってくるような話をしています。

でも今日は、逆です。

聴いているうちに、少しだけ目が冴えてしまうかもしれない。

そういう回です。

そして今日は、少し大人なテーマでもあります。

「今日はそういう気分じゃないな」

という方は、ここで閉じていただいて大丈夫です。

また別の日に、ゆっくりお会いしましょう。

さて。

本日のテーマは、「ボノボ」です。

森の中の、和解の作法

人間以外の動物を眺めていると、不思議なもので、

「人間とは何か」

のほうが、逆に見えてくることがあります。

鏡を覗き込んでも、自分の顔しか映りません。

けれど、まったく別の生き物をじっと見ていると、

ふと、自分の輪郭が浮かび上がってくる。

——このシリーズは、そういう回にしていきたいと思っています。

皆さんは、「ボノボ」という動物を、ご存知でしょうか。

アフリカ、コンゴの森に暮らす霊長類です。

チンパンジーによく似ていますが、少し小柄で、

そして、ずっと穏やかな性格をしていると言われています。

争いを、あまり好まない。

このボノボという生き物には、とても興味深い特徴があります。

それは、

性行動を、コミュニケーションとして使う

という点です。

人間も、子孫を残すためだけに触れ合うわけでは、ありませんよね。

安心したいとき。

近づきたいとき。

ただ、そばにいたいとき。

——ボノボにも、驚くほどよく似た行動が見られます。

群れの空気が張りつめたとき。

食べ物をめぐって、いさかいが起きそうなとき。

彼らは、性的な接触によって、その緊張をほどいてしまう。

つまり、関係を整えるための行為として使っているんです。

森の中の、和解の作法、とでも言えばいいでしょうか。

暗い森の中で、「ここにいます」と知らせてしまう

でも。

僕がこの話を知ったとき、いちばん驚いたのは、実は別のところでした。

それは、

「声を出す」

ということです。

つまり——喘ぐ。

この行動は、落ち着いて考えてみると、かなり不思議です。

自然界というのは、基本的に、危険だらけです。

そして交尾中というのは、生き物にとって、もっとも無防備な時間のひとつ。

すぐには逃げられない。

周囲への注意も、散漫になる。

捕食者にとっては、これ以上ない好機です。

それなのに、わざわざ、声を出す。

暗い森の中で、

「ここにいます」

と、自分の居場所を知らせてしまう。

——生き延びることだけを考えるなら、これほど不合理な行動もありません。

僕は最初、

「あり得ないだろう」

と思いました。

でも、その後、ある研究を読んで、少し見方が変わりました。

ボノボのメスが交尾のときに出す声は、

相手が誰であるかによって、出方が変わる

というのです。

相手の順位。

周りに、誰が見ているか。

——つまりその声は、身体から漏れ出るだけのものではなく、

その場にいる誰かに向けられている

可能性がある。

そして、その声を聞いた他の個体が、近づいてくることもあるそうです。

だとすれば、あの声には、

「危険を招く」

だけではなく、

「仲間を引き寄せる」

という役割もあるのかもしれない。

危険を冒してでも、伝えたい何かがある。

——そういうことなのかもしれません。

人は、一人のときにも、声を出すのだろうか

ここで、ふと思ったんです。

……人間も、同じなんじゃないか、と。

そして、ここからが、今日の本題です。

もし、あの声が、単なる身体の反応なのだとしたら。

——それは、いつでも、同じように出るはずですよね。

誰がいても。

誰もいなくても。

だとすると、こういう問いが立ちます。

人は、一人のときにも、声を出すのだろうか。

この問いは、意外と、まっすぐです。

そして、この問いの答えが、

「声とは何か」

を、かなりはっきりと決めてしまう。

もし、一人のときにも同じように声が出るなら。

それは、身体が勝手に鳴らしている、反射です。

くしゃみと、そう変わらない。

けれど、もし、一人のときには、ほとんど出ないのだとしたら。

——それは、反射ではありません。

誰かに向けられた、合図だということになります。


実際に、この点を調べた研究があります。

インターネット上に自ら公開された、性的な場面の音声を、何千件も集めて分析したものです。

そこには、相手がいる場面のものも、

一人で行っている場面のものも、含まれていました。

そして——

一人のときの声は、相手がいるときに比べて、ずっと控えめだった、と報告されています。

出ないわけではない。

けれど、明らかに、違う。

……この違いは、なかなか、静かな衝撃だと思いませんか。

同じ身体。

同じ快感。

それなのに、そこに誰かがいるかどうかで、漏れ出る音が変わってしまう。

声は、身体から出ているようでいて、実は、関係から出ている。

そういうことなのかもしれません。

なぜ、人は——とりわけ女性は、声を出すのでしょうか

ここで正直にお伝えしておくと、

この分野の研究の多くは、女性を対象にしています。

なぜ男性についての研究がこれほど少ないのか。

——それはそれで、けっこう面白い問いなのですが、今日は置いておきます。

いくつかの説があります。

ひとつずつ、並べてみます。

ひとつめ。快感が、そのまま音になっている。

いちばん素直な説明です。

呼吸が速くなり、身体がこわばり、その延長として、声が漏れる。

——ただ、これだけでは説明がつかないことがあります。

ある自己報告の研究では、

女性がもっとも強い快感を感じた時点と、もっとも声が出た時点が、必ずしも一致しなかった

と報告されています。

もし声が快感の実況中継なら、二つの山は重なるはずですよね。

でも、ずれる。

——そこから、ふたつめの説が出てきます。

ふたつめ。相手に向けた、合図。

声によって、相手を励ます。高める。導く。

「大丈夫だよ」
「そこでいいよ」

——言葉にしないまま、それを伝えている。

先ほどの研究では、女性の声がもっとも多くなるのは、パートナーが達する、その前後だったといいます。

自分の頂点ではなく、相手の頂点に、声が寄っている。

……これはもう、身体の反射というより、

二人でつくっている、ひとつの合奏

に近いのかもしれません。

みっつめ。関係を、確かめている。

ボノボの話を、思い出してください。

彼らは、緊張をほどくために、触れ合っていました。

人間の声にも、似た働きがあるのかもしれません。

いま、自分は安心している。

あなたを受け入れている。

——それを、言葉より確かな形で伝えている。

よっつめ。声を、意図して出したことがある。

これは、少し勇気のいる話です。

ある調査では、回答した女性のうち、少なくない割合が、「声を、意図して出したことがある」と答えています。

言い換えれば、演じたことがある、ということです。

「なんだ、嘘だったのか」

……この事実を、どう受け取るか。

「なんだ、嘘だったのか」

そう感じる人も、いるかもしれません。

でも、僕は、少し違うふうに思っています。

考えてみてください。

人が、わざわざ声を出す。

相手のために、自分の身体の音を、少しだけ整える。

——それは、その相手を、どうでもいいと思っていたら、しないことです。

気を遣うというのは、そこに関係があるということです。

早く終わらせたいから出す声もあれば、

この時間を大事にしたいから出す声もある。

そして、その二つを、外から見分けることは、たぶん、誰にもできません。

だから僕は、こう思っています。

「本物か、演技か」

——この二択で聞こうとすると、いちばん大事なものが、こぼれ落ちてしまう。

身体から勝手に出た音と、

相手のために出した音は、

たぶん、同じ喉から、混ざり合って出てきています。

そこに、はっきりした境目なんて、ないのかもしれません。

声で、感情を分け合う生き物

ボノボの声も、そうでした。

あの声は、快感の証拠なのか。

それとも、社会的な合図なのか。

——研究者たちも、その点はまだ、はっきりとは言い切っていません。

たぶん、どちらでもあるのだと思います。

もしかすると人間は、

言葉というものを手に入れるよりも、はるか昔から、

声で、感情を分け合う生き物

だったのかもしれません。

意味を持たない音で、意味を伝える。

——考えてみれば、それは、歌にも、笑い声にも、泣き声にも、共通しています。

もちろん、ここから先には、僕の推測もずいぶん混ざっています。

でも、人間という生き物は、

「高度な知性」

だけで出来ているわけではなくて、

何万年も前から続く動物としての反応が、

いまも、身体の奥のほうで、静かに息をしているんじゃないか。

そんなふうに思うんです。

同じ森から、ここまで歩いてきた

僕たちは普段、

「人間は特別な生き物だ」

と、どこかで思いながら暮らしています。

でも時々、こうして別の生き物を眺めていると、

人間の輪郭が、少しだけ、ぼやけて見える。

知性の奥に、もっと古いものが、うずくまっている。

そして、それは、決して恥ずかしいことではないと思うのです。

今夜、誰かの隣にいる人も、

今夜、一人で眠る人も、

同じ森から、ずいぶん長い時間をかけて、ここまで歩いてきた。

——そう考えると、なんだか、少しだけ、優しい気持ちになりませんか。

ボノボの話は、まだもう少し続きがあります。

彼らが、なぜあれほど争いを好まないのか。

その話は、また別の日に、ゆっくりお話ししたいと思います。

それでは、本日の寝る前の5分閑話も、そろそろ終わりたいと思います。

——目が冴えてしまった方は、すみません。

そういうシリーズです。

今日もお疲れ様でした。

おやすみなさい。

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