3/21 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観た

 考えてみると、洋画で、原作を読んだ後でその映画化されたものを観る、という経験はこれが初めてだ。多分……観た洋画の原作小説を読むってことも無かったんじゃないかな。そういう意味でこれまでの洋画鑑賞体験とはちょっと違っていたのかもしれない。洋画を観て「こここういうことだったのか」とか「あっもうここまで進んだ」とか「あれはこういう風に解釈したのね」とか思うことなどなかったのだ。
 原作の一人称視点での軽妙な語り口がないことで、プロジェクトの悲壮感がだいぶ増されているように感じた。もとより全宇宙レベルの危機ではあるが。グレースのキャラも、人嫌いだったり情が薄いわけではないけどぼっち感が増していたりして、主人公の性格をこんなに変えてしまうハリウッドの大胆さに改めて驚く。いや、驚くべきはこんなに変えてるのに改変、改造というほどじゃなくあくまでバリエーションの一つとして見られるようになっていることか。
 回想パートの最後で、実は自分が船に乗りたくなんかなくって緊急措置として無理矢理乗せられたことが判明するシーンは、原作読み返したら思い出すタイミングが変わってて、おかげで最後に地球へ帰還するかロッキーを助けに行くかの選択で後者を選ぶのが妥当という感じになっていた気はした。英雄的献身ではなく、あくまで友情のためにそうしたのだという意味を持たせるねらいもあったのかな。
 あと、ヘイル・メアリー号のコンピュータが原作より会話できるようになってて、メアリーという名まで付けられ、第3の隠れたチームメイトくらいの扱いになっていたのは、近年のAI技術発達の影響もあるのだろうか。自我がなくともあれぐらいは喋れるようになれるってことがこの数年で周知されてきているわけで、これまたすんなり受け入れられた。

 そんな感じで「俺の『ヘイル・メアリー』」……もしくは「俺たちの『ヘイル・メアリー』」をどのように映像化するのか、という視点で終始観ることになっていたが、結局のところは楽しめた。あァでも一個だけ、ジャンプスケアイベントがあったのは、肯ぜない……ファーストコンタクトなのだからどうしたってああなるだろという意見もあるかもだが、やっぱりあれはイヤ! グレースが驚くのはまだしも、ドルビーデジタルなサラウンド使って観客まで驚かすことないだろ! 特にエリディアンなんて音に敏感なんだから、地球人の文化の中で一番醜悪だと言われてもおかしくない。そういうのに特化した作品以外には、一刻も早く衰退していただきたいね。そこさえ忘れれば、とても面白かった。

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