老いへの恐怖
新聞の人生相談にこのようなものがあった。
20歳の女子大生の悩みだ。
歳をとった自分にどんな価値を見いだせるのかと考えると、老いた自分を想像することが嫌になる。
若く綺麗なまま一生を終えられたらどれほど良いかとさえ考えてしまう。
「若い時間を無駄にするな」の言葉に強迫観念に押しつぶされそうになる。
学業やバイトをしていてもふと老いへの恐怖感に苛まれる。
抗えない時間に揺らがないためにはどんな心持ちでいれば良いのか。
現代、このような悩みを抱える若者は少なくないのかもしれない。
今のようにスマホがなかった時代の子どもは、自分の周りにいる人や見えている世界がすべてのような、狭い世界を生きていた。世間知らずさゆえの怖いもの知らず。だから何者にもなれる気がしたし、壮大な夢を描けた気がする。
でも今は、遠い世界のことが簡単に見える。黙っていてもどんどん情報が入ってくる。自分の容姿を含めた立ち位置のようなものが自覚したくなくてもわかってしまう。
大人になるにつれ自然と身につく客観視を、強制的に強いられてしまっているのではないだろうか。
しかし、20歳で既に老いへの恐怖を感じてしまったということはこの先の長い人生、何十年とその思いに囚われ続けるのかと思うと胸が痛む。
時代背景も大きく関係しているだろう。
若いこと=美であるかのような風潮はここのところ特に顕著に思える。
美容、音楽、芸能業界において若い世代は発信源であり、時代を作るというような流れも色濃く見られる。
目上の世代に憧れとなる人が少ないことも原因なのでは?と思う。
目指すべき対象が同世代、もしくは目下になってしまっているのでは?
「若者恐怖症」なる言葉も聞かれる。
ハラスメントを恐れて若い世代を敬遠し、世代間の距離ができている気がするのは私だけだろうか。
私たちは「こんな大人になりたい」と思われるような、″目指されるべき大人″をどこかに忘れているのではないだろうか。
「老いる」、「歳を取る」という言葉からは″失う″や″退く″ようなイメージが強い。
そうではなく「歳を重ねる」。
積み重ねた経験や知識、生きざま‥。なんだったら刻まれたシワでさえ素敵だと感じ取ってもらえる大人でありたいものだ。
