【未解決事件ファイル #03】白バイ警官は偽物だった──三億円事件
もしあなたの目の前に警察官が現れて、「この車に爆弾が仕掛けられています」と言ったら──すぐに信じて車から降りるだろうか。
1968年12月10日、東京都府中市。冷たい雨が降る冬の朝、一人の「白バイ警官」が現金輸送車を止めた。
わずか数分の犯行で、約3億円が消えた。現在の貨幣価値に換算すると20億円以上。犯人は7年後に時効を迎えるまで、ついに捕まることはなかった。
昭和最大の完全犯罪──3億円事件。
前回までの振り返り
このシリーズでは未解決事件を一つずつ取り上げ、事件の概要と社会への教訓を考えている。第1回は世田谷一家殺害事件、第2回はグリコ・森永事件を扱った。
第3回は、1968年に東京で起きた3億円事件。映画のような犯行手口と、それを追い切れなかった捜査の裏側を追う。
「伏線」は4日前に張られていた
事件を理解するには、4日前の出来事から始める必要がある。
1968年12月6日、日本信託銀行国分寺支店の支店長宛に脅迫状が届いた。内容は「翌日午後5時までに指定の場所に300万円を持ってこさせなければ、支店長宅を爆破する」というものだった。
警察は即座に動いた。翌7日、銀行員に扮した女性警察官を指示通りに行動させ、約50名の捜査員が現場周辺に張り込んだ。しかし、犯人は現れなかった。
当時はイタズラとして処理されかけたこの脅迫こそが、4日後の「本番」のための伏線だった。犯人は銀行員たちに「爆破の脅迫があった」という記憶を植え付けることで、本番での反応を確実なものにしたのだ。
さらに遡ると、犯人の周到さはもっと前から見えてくる。事件の半年以上前、1968年4月から8月にかけて、多磨農業協同組合に対して爆破予告や現金要求の脅迫が計9回繰り返されていた。何も起きずイタズラとして処理されたが、この農協の給与は日本信託銀行国分寺支店から送金されていた。
つまり犯人は、農協への脅迫を通じて、警察や現金輸送車がどのように動くのかを事前に観察していた可能性がある。半年以上かけた「予行演習」だった。
12月10日──わずか数分の完全犯罪
1968年12月10日、午前9時15分ごろ。日本信託銀行国分寺支店から1台の現金輸送車が出発した。
車は黒い日産セドリック。中には東芝府中工場の従業員4,525人に支給されるボーナス──約2億9,430万円がジュラルミンケース3個に詰められていた。乗り込んでいた銀行員は4人。
午前9時20分ごろ。府中刑務所の北側、「学園通り」と呼ばれる路上。後方から白バイが追いつき、サイレンを鳴らして輸送車を停車させた。
白バイに乗った「警察官」は運転席の窓越しにこう告げた。
「支店長宅がダイナマイトで爆破されました。この車にも爆弾が仕掛けられている可能性がある」
4日前の脅迫事件を知っていた銀行員たちは、疑う余地もなかった。全員が慌てて車から飛び出し、物陰に避難した。
その瞬間、「警察官」は車の下に潜り込むふりをして発煙筒に火をつけた。白煙が上がる。「あったぞ!」と叫ぶ声を聞いて、銀行員たちはさらに遠くへ逃げた。
その隙に、「警察官」は悠々とセドリックに乗り込み、3億円ごと走り去った。
犯行時間、わずか数分。一発の銃声もなく、一滴の血も流れなかった。当時の大卒初任給が約3万円の時代、3億円は途方もない金額だった。「ニクシミノナイゴウトウ(憎しみのない強盗)」──被害額の語呂合わせから、事件はそう呼ばれることもある。
消えた犯人、消えた3億円
銀行員たちがだまされたことに気づいたのは、約10分後のことだった。府中刑務所の監視塔に助けを求め、ガソリンスタンドから銀行へ通報。銀行経由で110番通報がなされたが、すでに犯人の姿はどこにもなかった。
警視庁は東京都全域に緊急配備を敷き、約1万人の警察官を動員して検問を行った。奇しくもこの日は歳末特別警戒の初日で、警察官の数は通常より多かったはずだ。
しかし犯人は、その上を行っていた。
犯人は強奪現場から約1.5キロ離れた国分寺市の旧国分寺史跡の敷地内でセドリックを乗り捨て、あらかじめ用意していた別の車に現金を載せ替えて逃走していた。当初、警察はセドリックと同型の黒い車を探していたが、犯人はすでに別の車両に乗り換えていた。その後「全車両検問」に切り替えたものの、検問による大渋滞が発生し、夕方には検問を取りやめざるを得なかった。
犯行のために盗まれていた車両は、少なくとも自動車6台、オートバイ2台。これらは事前に別々の場所から盗まれており、逃走ルート上にあらかじめ配置されていたとみられる。一人の犯行なのか、組織的犯行なのか──この点も大きな謎として残った。
偽装白バイも周到に作られていた。盗んだヤマハ製バイクの車体を白く塗り替え、赤色灯に見せかけたストップライト、広報用スピーカーに見せかけたメガホン、書類箱に見せかけたクッキー缶を取り付けていた。当時の警視庁白バイはホンダ製で、ヤマハ製は存在しなかったが、切迫した状況の銀行員たちがバイクのメーカーまで確認する余裕はなかった。犯人はそのことも計算に入れていたのだろう。
偽白バイには犯行前に428キロもの走行履歴があった。犯人は事前に入念な下見と練習を重ねていたことがうかがえる。
現金もバイクも犯人も、そのまま消えた。3億円は一度も発見されていない。
捜査の迷走と、壊された人生
警視庁は延べ17万人以上の捜査員を投入し、容疑者として浮上した人物は11万人を超えた。犯人のモンタージュ写真が作成され全国に配布されたが、目撃証言の信頼性に疑問が生じ、1974年に正式に破棄された。
捜査が行き詰まる中、警視庁は異例の手段に出る。事件から約10ヶ月後、5人の推理作家を警視庁に招き、極秘の捜査情報を伝えて意見を求めたのだ。プロの捜査官がフィクション作家に助けを求めるほど、捜査は追い詰められていた。
事件発生から1週間後の12月17日。隣接する三鷹市で19歳の少年が青酸カリを飲んで自殺する。この少年の父親は白バイ隊員だった。少年は以前から窃盗などで補導歴があり、犯人像と重なる部分が多かった。
松本清張をはじめ複数の作家や評論家が、この少年こそ真犯人ではないかと推理した。しかし捜査本部の統括だった名刑事・平塚八兵衛は「犯人は別にいる」と断言した。多磨農協への脅迫が行われた時期、少年は鑑別所に収容されており、脅迫状を送ることは不可能だったからだ。真相はわからないままだ。
事件から1年後の1969年12月、新聞社のスクープにより別の容疑者Aが浮上する。警視庁はAを別件逮捕し、マスコミは実名で犯人視報道を展開した。しかし翌日、Aのアリバイが確認され無実が証明された。
釈放後もAの人生は元に戻らなかった。「3億円事件の犯人」というレッテルは剥がれず、勤め先を失い、縁談は破談になり、家族からも白眼視された。毎年12月になるとマスコミが取材に押しかけ、「黙っていたって載せるんだぞ」と脅す記者もいた。Aは精神を病み、2008年に自殺した。誤認逮捕から40年近くが経っていた。
事件は犯人だけでなく、無実の人間の人生も破壊した。
1975年──時効成立
1975年12月10日午前0時。事件発生からちょうど7年。刑事訴訟法に基づく公訴時効が成立した。
この瞬間、3億円事件は未解決のまま「完全犯罪」として確定した。17万人以上の捜査員を投入し、11万人以上の容疑者を調べ、それでも犯人を見つけられなかった。日本警察にとって屈辱的な幕引きだった。
時効成立の夜、警視庁の捜査本部では捜査員たちが黙って時計の針を見つめていたという。「犯人はこの瞬間、どこかで笑っているのか」──そう思った刑事もいたに違いない。
さらに1988年には除斥期間の経過により損害賠償請求権も消滅。法的には、事件は完全に「終わった」ことになった。
なお、被害額は約3億円だが、全額が保険でカバーされていたため、日本信託銀行の実質的な損害はわずか約2万円(免責額)だったとされている。最も大きな被害を受けたのは、保険料を支払った保険会社と、事件に巻き込まれた無実の人々だった。
この事件が問いかけること
「権威」を疑えるか?
犯人は警察官の制服を着ているだけで、銀行員4人を完全に従わせた。制服、肩書き、「爆弾が仕掛けられている」という緊急性──人は権威と恐怖の組み合わせに極めて弱い。
この心理構造は、半世紀以上経った今も変わっていない。振り込め詐欺では「警察」や「銀行」を名乗る電話が使われ、闇バイトでは匿名の「指示役」が若者を犯罪に駆り立てる。三億円事件の犯人が利用した「権威の偽装」は、現代の犯罪にもそのまま受け継がれている。「権威ある者の言葉をまず疑う」という姿勢は、今も最も難しく、最も重要な防犯意識のひとつだ。
報道は人を殺すか?
誤認逮捕されたAは、メディアに実名で犯人視報道され、無実が証明された後も「3億円事件の犯人」として世間に記憶された。勤め先を追われ、兄弟の縁談は破談になり、廃品回収をすれば「3億円が中にあるといいね」と声をかけられた。タクシー運転手をすれば「やっぱりお前が犯人だろう」と客に絡まれた。そして40年近い苦しみの末に、自ら命を絶った。
「報道の自由」と「推定無罪の原則」の間にある深い溝。日本のメディアは3億円事件から何を学んだのか。実名報道のあり方をめぐる議論は今も続いているが、明確な答えは出ていない。
時効は正義か?
3億円を奪い、捜査を攪乱し、無実の人間の人生を壊した犯人は、法の力が届かない場所で今も生きているかもしれない。この事件はグリコ・森永事件と並んで、時効制度への根本的な疑問を社会に突きつけた。2010年の殺人罪時効撤廃は、こうした事件の積み重ねが後押ししたとされるが、窃盗や強盗には依然として時効が存在する。それは本当に正義にかなっているのだろうか。
おわりに
3億円事件の犯人は、半世紀以上が経った今も名乗り出ていない。犯人が存命であれば、70代後半から80代になっているはずだ。3億円はどこに消えたのか。一人の犯行だったのか、組織的だったのか。あの19歳の少年は本当に無関係だったのか。すべてが謎のままだ。
しかしこの事件が日本社会に残したものは、3億円という金額以上に大きい。現金輸送の方法は事件後に大きく見直され、輸送車の防犯装備や運行ルートの秘匿が徹底されるようになった。また、権威への盲従の危うさ、報道被害の深刻さ、時効制度の矛盾──それらの問いは、2020年代の今も私たちの足元に横たわっている。
次回【未解決事件ファイル #04 】では、閉店直後のスーパーで3人の女性が射殺された──八王子スーパーナンペイ事件を取り上げます。
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