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ままならない世の中、感情そのまま

こんばんは。

いつもは、のほほんと文章を書いていますが、今日はままならない想いを徒然に。

優しい人が報われる世の中になってほしい。

子供の頃からの、私の願いです。

小さい頃から、強く、時にはずる賢く生きなさいと、親に言われてきました。それが受け入れられなかったのです。

どうして私のこの感性そのまま生きちゃいけないの?

小さな頃から、その想いが消えることはありませんでした。

だから、不器用な大人になってしまいました。
自分の本当の気持ちと社会で求められる大人像に、反発して息苦しくて苦しくて。

思春期は、ひたすらその中で苦しみました。
ほんとうの自分と乖離するたびに、胸が傷みました。

これは私じゃない!と、心が叫ぶのです。

大人になってからも、そんな葛藤が時折心にそっとやってくるのです。

優しさを悪用されたり、
まっすぐな思いを踏みにじられたり。

そんな時、はっきりと分かります。

胸が痛むから。

それは確かな感覚で、悲しくなることもある。
悔しくなることもある。

穏やかに生きたいと、その感情に蓋をすることもたくさんありました。
私は、こんなことで怒る人間ではない、と。

でも、そうやって蓋をするたびに、体の具合が悪くなりました。
抱えきれない想いが、あふれて体に浸食していきました。

私は、こんな風に生きていきたいの?

たくさん、たくさん胸に傷を抱えた時ようやく原点に立ち返ったのです。

「私は、私このままだから。
このままの自分を大切に生きたい」

搾取された過去も、理不尽な態度を取られたり、

その度に自分が変わらなきゃ、こんな性格じゃだめだと
自分を叩いてきました。

こんな自分じゃ、いつまでも人から搾取されるから、と。
こんなんじゃだめだと。

その度に潰れる心。

それは本当の意味で自分を大切にしていないのです。

ありのままの自分の感性・感覚を大事にしていないのですから。

自分が本当になりたい姿は何?

確かに、私は周りの同世代と感性も感覚も違う。
だけど、だからといってその感覚に合わせる必要はないのです。

私は来月誕生日になります。

生き方迷子になって悩み続けて30年近く生きてきました。
ずっと生き方に悩んできました。もがいていました。

今もたくさん悩みます。悔しい想いもたくさんします。

だけど、もう自分の感覚に従って生きてたい。

最近、聞いていた「Mrs. GREEN APPLE」の曲に、心に響く歌詞がありました。

もう胸の傷が痛む頃 犠牲を払って何を救う? どれもがきっと必然で 僕の正しさはここにある

息をして意識をして 生きることのひどい痛みには 意味があると信じてると同時に やるせない何かと今日も戦ってる
(中略)

繭に包まれた人の夢 希望とシェイクハンドして 鏡を見つめ直して 真新しい自分

Brand newより

誰かが馬鹿だと笑ったとしても、おかしいと言ったとしても。
それは私の「感性」だから。

その感性を大切にして生きていきたいのです。

私たちは、子供の頃から常に他人の評価にさらされる世の中に生きてきました。

自分の考えよりも、正解があって、その正解を求められる世の中です。

だから、何となく自分の意志ではなくて、世の中に合わせて生きてきて、
そういう社会の中で大人になります。

その固定概念は、仕事をする世の中でももちろんあって。

時には、自分の考え丸ごとを否定されることもあります。
社会の定規に当てはめた時、規範から外れると、おかしいと跳ね返される。

もちろん仕事をする上で、守らなければいけないこともあります。

でも、もっと自由であってほしい。
自由な発想が認められる社会であってほしいのです。

真剣に生きている人が馬鹿にされないような。

自由で楽しくて自分の感性に従って、真剣に生きている人がもっと自由に輝ける社会であってほしいと願うのです。

社会から「ダメ」の一言で終わりにされないような。
自由が肯定される世界。

それは、私自身が感じてきたコントラストでした。

たくさん悲しい想いをしてきたからこそ、そう願う気持ちが強いのかもしれません。

自分の感性まるごとを愛することが出来る世界に。

少し壮大になってしまいましたが、少しでも前を向いて歩けるように。
最近感じたことを書いてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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